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『キャプテンウルトラ』の後に続くもの。

 昨日は『キャプテンウルトラ』の最終回について書きましたが、とあるところから非常にそそられる、興味深い記事が流れてきたので紹介。同作のプロデューサー・平山亨氏に関するエピソードが記されてて、そこで『キャプテン~』についても触れてます。

 66年に放映された『悪魔くん』は大人気番組となるも、大赤字を出して2クールで終了。しかし東映はTBS・日曜夜7時の「タケダアワー」において、『ウルトラマン』で制作が追いつかなくなった円谷プロに代わり、半年間・2クール分の後枠を受けることになりました。
 かくして始まった『キャプテンウルトラ』は平均視聴率25.6%という数字を叩き出したものの、関係者からは「失敗」とみなされた、とあります。ゴールデンタイムに25%なら御の字では、と一見思うものの、かの『ウルトラマン』が最高視聴率で42%、平均35%台だったので、そこから10%も下がったのはいかがなものか、ということなのでしょう。何とも厳しい世界であります。

 ましてや『キャプテンウルトラ』は東映テレビ部でも相当力を注いだ作品でもあり、その反動も大きかったのでしょう。かつてプロデューサーの平山亨氏と直接お会いした際には『宇宙からのメッセージ』についていろいろお伺いしたのですが、そこで『キャプテン~』に関する裏話もお聞きすることが出来ました。
 平山氏曰く、宇宙を表現するためにオールセットを用いたため「最大で5つもスタジオを使った」そうですが、後になってスタジオ側から物凄い請求額が届いて驚いたとか。え、なんで? と思って調べたところ、東映のスタジオは東映が直接管理しておらず他社(※おそらく東映が管理を委託していたところ)のもので、スタジオ使用料を払う必要があった。それを全く知らずに作っていたため大赤字になり、『悪魔くん』の時と同じく上層部から呼ばれて「会社を潰す気か!」とこってり絞られたとか。

 それでも『悪魔くん』と『キャプテンウルトラ』両作の特撮を手掛けた矢島信男氏には、後にこう語っています。

(※実写版『悪魔くん』について)
 「一番責任があるのは特撮監督の僕だ。でも平山さんは僕に『特撮予算を抑えてくれ』とは一言も言わなかった。いつも僕をガードしてくれた。感謝しています。
 僕は東映の専属契約だった。矢島に任せると金を使いすぎるって、クビになっても仕方なかった。しかし結局、特撮番組がヒットして軌道に乗ると、会社は何も言わなくなった。
 その当時の部長や課長に合うと『あの時は苦しめられましたよ』と今でも言われる。でも僕が『やってよかったじゃないですか』と言うと頷くよ。今のスーパー戦隊や仮面ライダーに続く東映のテレビ特撮を確立できたんだから、大成功だったんだ。」

洋泉社『矢島信男伝』より

 やはり平山氏の功績は大きい、と改めて感じます。確かに金は喰うし会社にとっては赤字、それでも喜んでくれる人達がいるなら……という氏の意気込みも伝わってくるのです。
 それに当時はまだマーチャンダイジングによるビジネスモデル(グッズなどの関連商品による版権収入)が確立されていない時期でもあり、放送局側からの受注金額では撮影経費を賄えなかった、とも語られています。60年代の東映特撮番組は、後に『仮面ライダー』で大化けするまでの、発展と苦難の時代でもあったわけですね。

 で、面白いのは『キャプテンウルトラ』で東映とTBSとの間にコネクションが出来た結果、それを引き継いだ東映のプロデューサーによってかの人気ドラマ『キイハンター』が誕生したということ。一本の特撮ヒーロー番組がそんなところにまで繋がってくるとは、どう転ぶか分からないものですね。

 『キャプテンウルトラ』は、単なる円谷の『マン』と『セブン』の繋ぎではなかったのです。ちゃんと後へと繋がっていたのです。
 そう考えると最終回で描かれた「無限の世界」も、意味のあるものに見えてきませんか? ……え、それは無理がある?


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