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怪獣を造った男 ~村瀬継蔵氏、死去~

 2019年の真夏。
 これまでにもグルメ旅行を何度も敢行している友人から、誘いがあった。
「村瀬継蔵の特別展を観に行きませんか?」
 会場の近場には、いい感じのグルメスポット及び温泉施設もあるので、それも兼ねてとのこと。予定もその日は空いている。なら行かない理由はない、と話に乗った。

 展示会場は、村瀬継蔵氏が立ち上げた造形会社・ツェニーのお膝元にある郷土資料館。中に入ると……

モスラがお出迎え。

 平成版モスラは毛のフサフサ、そして昭和版を踏襲しつつもより鮮やかになった羽が特徴的である。初見時は宣伝用スチール写真だったが、極彩色の大決戦というキャッチコピーに恥じない鮮やかさだ。ちなみに昭和のモスラもやはり村瀬氏の仕事。平成での復活時はどんな想いで作られていたのだろうか。

 様々な過去作品の展示に、自分含めて唸る一同。その中で特に皆が感心していたのは当時の最新作『狭霧の國』に登場する怪獣・ネブラだった。展示室の床にはこの造形物、すなわち怪獣の着ぐるみが鎮座していたのだ。

 みんな揃って「めちゃくちゃリアルだな」と。背中に生えてる苔とか伸びている木の枝等々、質感が本当に良い。村瀬氏、80代にしてこの作品である。これぞレジェンドの仕事、としか言いようがない。

 映画の技術的な括りからすると、造形は広義の「特撮」における「特殊美術」の一つであり、撮影用に作られた実用品でもある。しかし、これら造形物を鑑賞している皆の反応を見るにつけ、まるで美術品でも眺めているようなのだ。美術を謳いつつも技術的であり、技術の一つでありながら芸術的観点からも見ることが可能なモノ。実に摩訶不思議だ。これがファンタジーでなくて何なのか。

『カミノフデ』ワンフェスの展示にて。これが遺作となった

 そのファンタジーを長らく支え続けたレジェンドが、この世を去った。
 これまでに、村瀬氏の仕事をどれだけ観続けてきたか分からない。
 そしてこれからも、観続けるだろう。

 本当にお疲れさまでした。
 村瀬継蔵氏の御冥福をお祈りします。



<おまけ:実はこんな仕事も……>

 会場に展示されていた資料の中に「株式会社・ツェニーが手掛けた仕事一覧」があった。映画やテレビだけでなく、博覧会パビリオンの造形物や、街角にあるオブジェや看板も手掛けていたという。

 それら写真付きの資料を何気なく見た数時間後、別の目的へ向かっていたところ……

俺「……あれ、さっきの資料に載ってたやつじゃねーか?」
一同「「「ホントだ!!!」」」

羽村市のお寿司屋さんだそうです

 本当に偶然だったんですよ、これ。まさか出会えるとは。
 

 


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