キャプテンウルトラ第19話「神話怪獣ウルゴンあらわる!」
古い迷信を捨てよう、てな話を作る時に古代人の末裔まで持ち出すとは。それをタイムスリップで無く、現代において「(意図的に)科学を排斥した者たち」を産み出すあたり、何とも大胆な設定である。
宇宙船を造れるほどの科学力を持った一族が、なぜ科学信仰を排斥して神を崇拝するまでになったか。ここにトンデモな空気を感じずにはいられないが、思うに「余りにも科学を信奉しすぎたため、その揺り返しが起きた」のかもしれない。簡単に言えば、ウルゴンによって起こされる「超常現象」が、彼らの持つ「科学」の理解を遥かに超えてしまったのだと推測する。
かのオウム真理教事件を振り返ってみると、幹部役員は揃いも揃って科学畑出身の人間ばかりだ。高学歴で教養もあるはずの者たちが、オカルトという畑違いの場にハマってしまうからには、それが余程の衝撃で無くてはならない。つまり自分達が信じていた「力」よりももっと凄いものがあると「信じ込んで」しまい、気が付けば余りにも非科学的な方へと転がってしまったのではあるまいか。
無論、それでもなお「凄い力」を科学で解明しようとする動きが起きても変ではない。だがもしこの「信じ込んでしまう」力を、ピタゴラス人達の中でも特に統率力の高い人間が持ってしまったら、果たしてどうなるだろう?
すなわち、ウルゴン信仰を名目として一部の勢力が民族統治のために利用していた可能性もある。
実際にウルゴンはその能力によってピタゴラス人達から恐れ慄かれているのだから、彼らにとってはなおさら都合が良い。ウルゴンを科学によって解明することを否定し、ひたすら崇め祭れよと説き伏せる。つまりウルゴンによる恐怖を利用して人々を統治し続けていたのだ。
もっともウルゴンがいざ怪獣としての姿を表した途端、恐怖を利用していた者達はただ祈ることしか出来ずにいた。その姿に失望したユーリスは皆に訴える。「ウルゴンは畏れ崇める存在ではなく、戦う相手である」と。そしてキャプテンがシュピーゲル号で立ち向かう姿を見て、ついに人々は立ち上がった。この辺は実に痛快である。
一方で心変わりも早いように見えるが、生贄の監視を任された市民が
「あんたが逃げ出さなきゃアタシは追わない。つまり原因が無ければ結果は無いんです」
と理屈っぽく語っていたのも気になる。非科学的な信奉に支配される中であっても、理論的(?)志向の持ち主は存在していた。まだそのような心が残っていたからこそ、彼らは立ち上がれたのかもしれない。
最後はピタゴラス人たちが「迷信を捨て、科学精神を復活させて地球人に負けない星を作ろう」と決意を新たにして〆となる。ここも少し気になる点があったので書こう。
かの「と学会」の本を改めて読んでみると面白い記述がある。日本では過去に幾度となく「迷信を排斥せよ」運動が盛り上がり、特に戦後は「日本を神国と信じ込むような非科学的教育のせい」として、迷信を無くし、科学的思考力を育もうという記事が少年誌にまで掲載されていたそうだ。
……しかし結果はどうかというと、1966年の丙午(この年に産まれた女は夫の生命を縮めるという迷信)の年には出生率が実際に落ちており、そう簡単に迷信は排斥出来なかったのが証明されてしまった。今は丙午を信じるどころか知らない人のほうが多かろう。ちなみに次の丙午は2026年と直近だが、既に出生率が落ちている昨今には丙午など何の影響も及ぼすまい。
これだけ科学技術が進んだ今でも、非科学的なデマやオカルトに飛びつく人は後を絶たない。ではあるが、そんな現在であっても、世の中にはなお未知なもの、全貌が解明されていないモノはやはり存在する。
科学の発展を推進する思いと当時に、不可思議なるものへの興味も持ち続けるほうが健全であろう。現に自分達は科学技術の恩恵を受けていると同時に、神仏への信奉を忘れてはいないのだから。
果たして、ピタゴラス人が新たに作り出す科学文明はどんな姿になるのだろうか?
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