『タローマン・クロニクル』は究極の「ごっこ遊び」だ。
「実在しない番組のムック本」という時点で「でたらめ」なんだよなぁ。
作品自体が昭和特撮ヒーロー番組のパロディなわけですが、設定は妙に細かいですね。元ネタを探すだけでも面白い。1972年に放映された幻の作品、てのは完全に『サンダーマスク』だし、パイロット版が存在するのもピー・プロダクションの歴史と同じです。特撮メイキング写真もどこか既視感ありますし「それっぽさ」が満点。それでいて、出演者やスタッフ、制作会社、主題歌を歌う人達に至るまで全てが架空なわけです。このこだわり方が気に入りました。なお本ムック本の帯には一言
「幻の設定画や絵コンテ、貴重な偽資料を多数収録!」
と。例え偽でもここまでやるか、という感じです。
で、読んでて思い出したのが、みうらじゅんの中学~高校時代におけるエピソード。その頃からせっせと漫画を描きエッセイを記していたみうらさんは、ただ描くor書くだけでは飽き足らず、表紙や背表紙、読者からのお便り、さらには著者近影まで作り上げ、あたかも一冊の雑誌や書籍があるかのようにまとめてたとか。なお後年に山田五郎氏からは
「こういうのはフェチのやることだよ」
と呆れられたそうですが、同時に
「中身よりも本を作ること自体が重要だったんだろうね」
とも評しています。
自分にはこれが「もう一歩足を踏み入れたごっこ遊び」に見えるんですね。誰かの漫画を真似するのでなしに、さも漫画雑誌が実在してるかのように見える部分へこだわってるという。言うなれば「『○○(架空の作品)』を作っている人達ごっこ」。
この点は非常に思い当たるフシがあります。というか自分もそんなことをしてたからです。
その昔「タマゴラス」という玩具がありました。卵の形をしてますが、そこから違う生物の姿に完全変形できるというヤツです。調べてみたら最近リメイクされてガシャポン化されててちょっと驚きました。
で、自分はかつてこのティラノサウルスを所有しており、いろいろ変形させて遊んでいるうちに
「コイツは恐竜っぽいけど、卵の姿になったり後ろ足だけ引っ込めたり出来るんだから、むしろ怪獣っぽいな?」
と考えるようになり、いつしかその玩具を「ティラス」という正義の怪獣をとして扱うようになったのです。やがて脳内で想像するだけでは飽き足らず、絵は下手でしたが下手くそなりにポスターやロゴをノートの片隅に書いたり、勝手にライバル怪獣を作り上げて続編映画まで考えたり、適当なメロディから主題歌まで作ってしまったりとアレコレ想像して遊んだわけです、ええ、独りで。
「♪なんとかかんとかかんとかだ~、ボクラのティラス、ティラス~(♪ここからアウトロ)」
今でもこの部分だけはしっかり覚えてますが、ただ歌といってもサビの部分しか作れなかったような……そこは当時の限界だったのでしょう。にしても、改めて考えるとこれはゴジラよりはガメラに近いですね。どれだけ影響を受けてたのやら。
なので『タローマン・クロニクル』を読んでいると、そんな「作る側に思いを馳せていた頃のごっこ遊び」を感じてなりません。九割方はでたらめなれど、ひたすらまでに「それっぽさ」を追求した一冊。
……こんなのを作れる大人になりたかったなぁ。
いや、今からでも作れるのか?
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