井上泰幸展に特撮の「美術」と「技術」を観た話。
子供の頃から東宝特撮怪獣映画をわんさか観て育ってきた。そして怪獣や特撮映像の迫力に引き込まれると同時に「あれはこうやって作っているのか!」という特撮技術そのものにも魅了されていった。
以前書いたように、今に通じる特撮怪獣趣味のきっかけはガメラ(大映)の方だが……
……一方で映像と技術の面白さに興味を持ち始めたのは東宝作品がきっかけだった。自分にとっては小学校高学年~中学生の頃になる。折しもゴジラ映画では「平成VSシリーズ」が始まり正月の定番作品としてヒットを飛ばしており、同時に雑誌や書籍・TV番組といった各種メディアでそれらの特撮メイキング場面が紹介されていた。結果「こうやって作っているのか!」の興味がますます深まったのは言うまでもない。
そして劇場用新作もそうだが、この頃(90年代前半)になると旧作品をビデオで観る機会も増えてきた。当時はビデオデッキの普及率が7割に達し、全国にレンタルビデオのチェーン店が一気に広まった時期でもある。衛星放送も開始され映画専門チャンネル(WOWOW)も始まった。いやというほど観る機会が増えていった、と同時に思った。
「この作品はどう撮っているのだろうなぁ……」
既に特技監督・円谷英二の歴史とその撮影技術を追った本は刊行されているが、今回の展示は特撮の神を支え続けた、いやその神が神と呼ばれたのはこういう方がいたからだ、と考えさせられるには十分すぎるほどの迫力と物量を持っていた。展示物は井上氏だけのものに限らず、共に特撮美術を支えた数多のスタッフ達の名前もあり、自分が観続けてきたのはそんな方々が産み出した美術と技術の賜物だったのかと今更ながら気付かされた。
しかし逆を言えば、これだけの才能と技術を持つ方々が絶対の信頼を置いていた人物こそが円谷英二だったといえる。「オヤジさん」と親しまれた理由もそれなのだろう。その円谷も彼等スタッフを信じていたからこそイメージを映像化出来た。この信頼関係こそがあの作品を産んだのだろう。もっとも『特撮映画美術監督・井上泰幸/キネマ旬報社・編』によると、そこに至るまでには現場での衝突も幾度となくあり「次の話をされると頭の上に重いものがズン、と乗っかる」。それでも「最善の結果に近づける努力をしていくと、不思議と理想的な方向に落ち着いてくる。監督もそれを見て頷いてくれる」。確かに不思議だ、と同時に神技のようなものも感じる。いや「神と技」と書くべきか。ますます興味深くなってきた。
展示物を観ていると……
そして井上泰幸氏は手元に膨大な資料を残された。ご遺族を始め数多くの特撮・映像関係者の尽力によってそれらのアーカイブ化、資料化が進められ、今回のような一大美術展示が実現した。
それらの展示物一つ一つを観ていくと、こちらも不思議な気分にさせられてくる。ここにあるのはもともと映画撮影用に作られた技術的な画図であり、本来は「アート」と全く違う場所にある。
しかしこれは「特撮美術」である。映像という美術作品を如何に造るか、を記した設計図であり、かつイメージを画で表したものだ。
つまり美術と技術の融合だ。
「イメージ画」「デザイン画」はそれ自体が美術作品に見えてくる。
一方でセットそのもののデザインやミニチュアの細かな図面には技術的側面がある。
その節々で紹介される「絵コンテ(通称:井上コンテ)」はまるで両者を繋いでいるようにも見えた。
誰かのアイデアを基に脚本が作られる。その文章から「画」がイメージされ具現化される。そして「画」を実際に作り出すために必要なものを全て計算して割り出す。それらは最終的に造形物となり、カメラの前に置かれて撮影される。こうして誰かの思い浮かべたイメージが映像化される。あるワンカットを産み出す裏には、途方も無い想像力とそれを現実に作り出す力が必要なのだ。あの膨大な数の資料はその証明だといえよう。
そういえばマガジンを購読している白饅頭氏が数日前にこんなことを語られていた。
井上氏がその想像力と技術を開花させたのも、そして円谷英二が神と称されるのも、全ては「だれとともにそれをしたか」の結果だったのだ。オヤジさんと巡り会えた、そしてオヤジさんの元にはこのような方がいたからこそ、あの映像が産み出され、何十年経った今でも自分はそれらに魅了され続けている。不思議だ、本当に不思議だ。
1ファンとしては、映像作品と共にこれらの資料が永遠に残され、その価値が語られ続けていくことを願うのみである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?