「会おう。」と思ったら。
こんにちは。
髙井です。
昨日の投稿の続きになります。
まだの方は、そちらから読んでいただけると嬉しいです。
お時間ある時にどうぞ。
久しぶりに見るおじさんは、以前と同じように口数少なく、でもたまにジョークも言ったりと、変わっていないように見えました。
僕は、大学で福祉の勉強をして、同業界で仕事をするんだと伝えました。
当時知識のなかった僕なりに、どういう仕事なのか、何がやりがいなのかを説明した記憶があります。
おじさんは、「そうか。おっちゃんのちっちゃい頃みたいな、子どもらを助けたってくれな。智くんやったらできる。」と、確かそんな言葉をかけてくれたと思います。
この時、母から聞いたおじさんの幼少期のことを思い出しました。誰に誓った訳でもないですが、しっかり学び、立派な姿を見せたいと思いました。
そこからさらに約3年が経過し、母からある話をされます。
おじさんが肺癌を患っており、ステージ3なのだと。
おじさんは、確かに煙草をよく吸っていましたが、それが原因なのかそうでないのか、まさか癌になろうとは思ってもいませんでした。
既に治療を開始しており、入院も必要に応じてしているそう。
母からは、「また日にちみて、お見舞いに行きや。」と言われていました。 確か2回は言われたはず。
でも、大学生の僕は、授業やアルバイト、サークル活動を理由になかなかお見舞いに行こうとしませんでした。
「また行ける時に行こう。」
くれぐれも面倒だったのではなく、癌の進行速度を見誤っていたのだと思います。
結局、僕が大学在学中にはお見舞いに行かず、新社会人となった5月に、母からおじさんが亡くなったとの話を聞きました。 この話を聞いた時、本当に本当に後悔しました。
もう本当に。
母と僕は告別式に参列しました。
母は当日までに相当泣いていました。僕は告別式まで涙が出ませんでしたが、参列し、遺影をじっと見ているとびっくりするぐらい涙が出てきました。
式内のアナウンスで、「故人は埼玉西武ライオンズのファンで、野球中継を楽しみにしていました。」という言葉が流れ、おじさんと一緒に観戦しに行った試合のことを思い出しました。
あの日のホームランが放たれた時の表情だったり、会話も蘇ってきて、より一層涙を流したのを覚えています。
そして後悔の1つに、実際に福祉の現場で働いているんだと、その話をできなかったことも本当に悔やみました。
いろんな話をしたかった。
いやはや、思い出話が長くなってしまいました。
せっかくおじさんのことを書くなら、とあれこれ思い出しているうちについつい。
やっと僕が大切にしていることですね。
それは、「この人に会おう。」と思ったら、時期を待たずに会うことです。
「いつか会えるか。」で、後悔することのないように。
それは、家族も、友人も、恩師も。
そして、少々小っ恥ずかしくても気持ちや感謝を素直に伝えることです。
これからも大事にしていきたいです。
ありがとうございました。