ダイレクトパス-非二元系悟りワークと中心帰納 その1

以前、運動でも仕事でも勉強でも、困難なくスルスルとできるようになってしまう天才型と、いつまでもできないままの凡人型の間の溝を埋めたい、という記事を書いた。私はなんの分野でもだいたい凡人型なので、誰かから何かを教えてもらうとき、「できない現状をできる状態に繋げるための説明」があるといいな、と思っている。また、私が誰かを教えるとき、そういう説明をしたいと思っている。

今は伝説となった昭和の大打者は、打撃の秘訣を尋ねられて、「こういうふうにボールがくるでしょ?これをこうやってバットで叩くんですよ」と答えたらしい。この方のキャラクターもあいまって微笑ましく思うと同時に、私は世の中に溢れるたくさんのこの類の説明を思い出し、苦しくもなる。この説明には、「できない現状をできる状態へ繋ぐ」、という要素がほとんどない。この類の説明は天才側にいる人たちにとっては、”天才度”を上げるためには役に立つのかもしれない。しかし、失礼だが、凡人としてできない側にいつまでも滞在している私から言わせていただくと、「橋渡し度0%」である。そもそも凡人のことは視野にないのかもしれないが、。

このところ悟り系の本を何冊か読んだが、同じように橋渡し度0%の本が沢山あってとても苦しかった。苦しさの要因は色々に説明できる:
A1) 悟っている側の状態が果てしなく書かれている。悟っていない人を悟るようにする橋渡しの説明がない。←昭和の大打者と同じ
A2) 通常の単語の意味を想定しては意味をなさない文章であることは明白だが、その文章独自の単語の定義がない。そんな意味がわからない文章がたくさんある。
A3) これをやれば何かを感じるのか?と期待させるようなワークが紹介されていて、「これがそうかな状態」が延々と続き、どこにも行けない。
A4) A2のような主張が仮に理解できても、検証できない。

ジョーイ•ロットさんの本の「これのこと」は、上のような苦しみが少なくよかった。彼の本でもA1のように悟っている側の話が延々と続き、A2のように「たんなるこれ」とかを連呼しているのだけど、はっきりと橋渡しのために「これ」の説明に費やしているページがあった。橋渡しの要素をまとめると、少なくとも二つあった。

B1) 悟りと、不思議・恍惚体験、は関係ない
B2) 彼の言う「これ」が何かを体感するワークの紹介

不思議・恍惚体験は、悟り系の本にはよく出てくる。宇宙人や前世の話も出てくる。そういう体験をすることが悟りではない、と彼ははっきりと書いている。全く関係ないとも言っている。確かに、凡夫としての私は、足が腐るほどの座禅をすれば(←実際にはできない)、いつかそんな不思議・恍惚体験が私にも訪れるのかもしれない、と思っていた。その日までは凡夫で、その体験をしたら悟った人なのだというような想像をしていた。ジョーイ・ロットさんは、それは違う、と言い切っていた。B1は直接橋渡しの為の説明ではないが、凡人の探索範囲を大幅に縮小してくれる。

B2は非常に良いワークだった。なぜなら、少なくともこのワークに従うと彼の言う「これ」とは、自分が体験しているこのことなんだと即効的に捕まえることができる。A3の苦しみがない。悟っていない人の身近な状況から、これが悟っている人の見ている世界だよ、というところまで連れて行ってくれる。体験として連れて行ってくれるのでA4の苦しみがない。

ワークはジョーイ・ロットさんの本「これのこと」のp121の「自己探究」という章に出てくる。このワークは、おそらく別の本、グレック・グッドさんの本「ダイレクトパス ユーザーガイド」に書かれているワークと同じものではないかと思う。このグッドさんの本はこれまでに読んだ悟り本の中で、一番橋渡し度が高かった。この本のタイトルにある「ダイレクト」とは、「漸近的でない、直結で連れて行く」、という意味だそうだ。悟りの状態にダイレクトにつれていく、という意味らしい。ダイレクトパスは、アメリカでは非二元の世界観を教えるいろいろなグループの中の有力な一つのようだ。

私がB1のワークをやってみて垣間見た「これ」をもう少し時間をかけて探索して、もう少しはっきりと掴みたいと思う。もう行き方はわかったので道を広げて整備すればいい。これは自分でできそうだ。

「これ」は、私が自分の思考を見るために見つけた俯瞰ユニットよりも断然本質的に思考を見る視点を与えてくれると思う。そして、自分のアイデンティティのベースを「これ」に置くことができたなら、私が毎日感じている不快な思考をコントロールし、QOLが著しく改善するのではないかと感じた。これは私にとって一つの事件に思える。

自分の内面の苦しみをなんとかするために、今回出会った悟り系の新しい鉱脈を進むと同時に、合気道無元塾の中心帰納との関係も探っていきたい。中心帰納は、科学的な側面からはどう説明したら良いかよくわからない不思議なものなので、これがなんなのか是非知りたいと思っている。ジョーイ・ロットさん、グレック・グッドさんの「これ(=自己意識)」と無元塾の「想い方」の関係を探ってみたい。


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