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雇われ院長の法的責任~開設者となるケース~

1.雇われ院長の2つのパターン


こんにちは。弁護士のあらきん(@arakin_1019)こと荒木優子です。

以前、医療系の人材紹介会社を通じた転職で、勤務医のつもりが、クリニックの開設者になってしまったドクターのインタビュー記事を書きました。
いわゆる「雇われ院長」という形態でクリニックのオーナーが非医師の場合で診療所の開設者となってしまったケースです。
私は、診療所の開設者となる「雇われ院長」を「雇われていない雇われ院長」と呼んでいます。

記事を書いてから1年以上経過しても定期的に反響があり、更に実際に問題となる事例も今後も起きる可能性があるので法的に整理しておきたいと思います。
ここからお話するのは、診療所(クリニック)の院長の話です。
「雇われ院長」には、以下の2つのパターンがあります。

①医療法人が開設した診療所(クリニック)の院長に就任するパターン
 ”雇われている雇われ院長”

②雇われ院長自ら診療所(クリニック)の開設者になるパターン
 ”雇われていない雇われ院長”

2.雇われ院長が開設者となるパターン ”雇われていない雇われ院長”

②雇われ院長が診療所の開設者になる場合 ”雇われていない雇われ院長” のケースでは、クリニックの事業に関する契約のあらゆる名義が雇われ院長のとなることがあります。

なぜ雇われ院長が診療所の開設者になるかというと、実質的なオーナーが非医師であるためオーナー自ら診療所を開設できないことが理由であることが多いです。
医師では無いけれどもクリニックを経営したい、そういう会社や個人が診療所の開設者となって診療所を開設してくれるドクターを探すのです。若い医師は特にターゲットになりやすいと思います。

雇われ院長名義となる契約としては一般的に以下のものが挙げられます。

(1)銀行口座


 雇われ院長名義で口座を開設してクリニックの事業の入出資金に使用します。
 通帳、カード、届出印など入出金に必要なものはオーナーが預かり、雇われ院長は自分名義の口座でありながらいくら残高があるのか把握できないと思います。

(2)クリニックの賃貸借契約

 クリニックが入居する物件の賃貸借契約も雇われ院長名義となることが多いと思われます。
 詳しく説明すると、雇われ院長が物件のオーナー(貸主)と賃貸借契約を締結し、雇われ院長が借主となります。
 借主は、物件のオーナーである貸主に対して毎月の賃料の支払い義務を負い、物件から退去する際は原状回復義務を負います。
 テナントの賃貸借契約の原状回復は、退去してクリーニング費用を支払う居住用マンションの原状回復とは違い、借主が原状回復工事を行い物件をスケルトンの状態にすることが一般的です。工事費用も少なくとも何百万単位でかかります。
 物件のオーナー(貸主)の立場でみれば、賃料支払義務を負うのも原状回復義務を負うのも賃貸借契約の借主である雇われ院長個人の責任です。
 もし、クリニックのオーナーと雇われ院長との間でテナントの賃借に関して全てクリニックのオーナーが責任を持つという合意がされていても、そんな事情は物件のオーナーである貸主には関係ない内輪の事情なので対抗できないです。

(3)医療機器などのリース契約


脱毛クリニックでは脱毛の機械を使用しますが、このような医療機器は、誰でも借りられるものではなく、医師や医療法人名義でないと借りれないことが一般的であると思います。
そのため医療機器も雇われ院長名義で借りることになります。雇われ院長名義であるということは、リース会社に対してリース料の支払い義務を負うのも雇われ院長です。
リース契約を解約する場合は、機械を返して終わりではありません。残リース料(ざっくり言うと機械の代金からこれまで支払ったリース料の総額を差引いた金額)を一括して支払うことを求められる契約内容となっていることが一般的です。
医療機器は高額であるため残リース期間が長いと中途解約の際に支払う金額も高額になります。

(4)患者さんとの契約

雇われ院長の個人開業という扱いですので患者さんとの診療契約も雇われ院長個人が主体となります。
医療費の支払いについては、医療脱毛を例に挙げれば、患者さんが医療脱毛で30回分を最初にまとめて支払っていて、10回分の消化しかされていない場合に診療所を閉院したいと考えた場合、20回分の未消化分の扱いが問題になってしまいます。
脱毛の役務の提供義務を負っているのは医師個人ですので、患者さんは雇われ院長に対して、未消化分の役務の提供又は返金を求めることになります。
もちろん返金できる十分な資金が口座にあれば良いのですが、雇われ院長名義の口座を管理しているのは実質的オーナーの場合、未消化分がいくらあるのか、預金がいくらあるのか、支払えるのか知らされていないのではないでしょうか。

(5)スタッフとの雇用契約

雇われ院長の個人開業という建前なのでスタッフとの雇用契約の雇用主が雇われ院長名義となることも十分有りうると思います。
その場合、実質的オーナーが労務管理が杜撰で賃金や残業代の未払があった場合、法的には雇用主である雇われ院長の責任が問われる可能性が高いです。

以上は、代表的なものを例示したに過ぎず、他にも様々な契約の名義が雇われ院長名義となる可能性があります。

医師個人がクリニックを開設する場合、上記の他にも電話回線、インターネットに関する契約、電子カルテの契約、医療資材の購入に関する契約、HPに関する契約など様々な契約をすることが想定されると思います。
雇われていない雇われ院長の場合も、クリニックを運営する上で必要な様々な契約が院長名義となる可能性があります。

3.雇われ院長のドクターから頂いた質問に答えます


(1)院長名義の通帳、カードを実質的オーナーに管理されています。実質的オーナーによる横領を防ぐ方法はありますか?


刑法
(業務上横領)

第二百五十三条 業務上自己の占有する他人の物を横領した者は、十年以下の懲役に処する。

ニュースで報道される経理担当者が会社のお金を横領したという事件は、刑法253条の業務上横領罪の成否が問題になります。
横領罪は、自己が占有する他人の物を横領した場合に成立する犯罪です。
通帳や口座は実質的オーナーが管理しているということですので自己(オーナー)が占有するには該当しそうです。

では、雇われ院長名義の口座に入っているお金は、オーナーにとって「他人の物」なのでしょうか?

オーナーとしては経営者は自分なのだからオーナーの判断で事業に使うのは当然と考えるでしょう。
雇われ院長としては院長名義の口座に入っている預金で、事業に関するあらゆる名義は院長名義なので事業に関する債務を支払えるだけの残高を残してほしい、接待交際費などの経費で無駄遣いしてほしくないとと考えるのは当然でしょう。

雇われ院長名義の口座ですので、雇われ院長が金融機関にカードやネットバンキングの使用をストップして貰って、雇われ院長の管理下に置いて残高や取引履歴を調査することは可能ですが、これをやると実質的オーナーと雇われ院長の間で対立することになりますので、覚悟を持って最終手段になると思います。

(2)クリニックの借金は最終的に雇われ院長の借金になりますか?

雇われ院長名義で借入れをしていれば、貸主に対して借金の返済義務を負うのは雇われ院長個人になります。

借金が債務ということまで含めると、先述したリース契約のリース料、賃料も支払い義務を法的に負うのは雇われ院長個人になります。
もちろん、クリニックの経営が上手く行っていれば、クリニックの収益からこれらの経費を支払えるので、雇われ院長の純粋な個人の貯金などから支払う事態は発生しないことが通常です。
しかしながら、クリニックの経営が上手くいかずクリニックの収益から支払えず、更に実質的オーナーの資力が無かったり逃げられてしまった場合、債権者は法的に雇われ院長個人に対して支払を請求できます。そういう意味では最終的に負担するのは名義人である雇われ院長個人になります。

(3)雇われ院長が名義人となってハンコを押した契約を後から変更することは可能でしょうか?

契約の相手方が契約の変更に合意すれば、契約の内容を後から変更することは可能です。ちなみに契約の変更に応じるかどうかは契約の相手方が決めることですので拒否されれば変更できません。

また、雇われていない雇われ院長を辞める場合は、新しい雇われていない雇われ院長に契約を承継して対応することになると思います。
賃貸借契約やリース契約については借主の名義変更を行うことになります。
賃貸借契約の名義変更に応じるか否かは物件のオーナーが決めることですので物件のオーナーが名義変更に同意してくれなければ詰みます。
リース契約についても誰にでも貸してくれるわけではなく与信審査があり、落ちてしまうと名義変更できず、一括返済できなければ詰みます。
雇われ院長を”退職”後も契約が残ってしまうリスクがあります。

4.最後に

雇われていない雇われ院長によくあると思われるケースについて書きました。特に型が決まっているわけではないですし、私もあらゆるケースを知っている訳ではないので、上記はあくまで私が多そうだと思われるケースを挙げただけで、様々な派生型もあると思われます。

大事なことは少しでも疑問・不安に感じたら自ら調べて、周りの医師や知り合いに相談したり、専門家に相談しても良いと思います。実質的オーナーや仲介会社の言うことを鵜呑みにするのは止めましょう。

途中で気づいたら、一旦立ち止まって、検討しましょう。リスクが低いうちに引き返すと傷が浅くて済む場合もあります。

契約にサインするのは一瞬。契約の解消はできないかもしれません。

(おわり)


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