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僕の、ボクとのディスタンス(1600文字)

『令和版百人一首』という企画↓があり、

秋の恋の歌を――、という募集に対して、秋の短歌を2首、

冬の恋の歌を――、という募集に対して、冬の短歌を1首、

応募させていただきました(冬の恋の歌、今も募集されています。れっつ、しゃるうい?)


〈秋の歌〉

君去りし
街に立つ僕
顎あげて
睨みつけたる
鰯雲かな

雨の夜
別れた妻に
電話する
栗ご飯てば
どー作んのさ


〈冬の歌〉

思い出す
雪降る街で
夏の日々
出てった女(ひと)の
肌の熱かな


んー。

思うのだけど、

僕の歌ってば、

Heartbreak💔なんばっかやんな💦

しかも、

別れた女への未練、別れた妻への未練、出てった女への未練――、未練、未練、未練! うじうじしまくっとって、よう見れん💦

今の妻、についての歌がいっこもないので――、ああ、これは妻には、よう見せん💦

あひるのがあちゃん🐥への恋歌も、あらしまへんさかい、あひるたち🐣🐤🐥にも、よう見せん💦

――で、言い訳。

なぜ、今の妻や、あひるのがあちゃんへの歌を書かないのか?

書けませんのです💦

なんでかっていうと、

近すぎるから。

今の妻や、があちゃんは、今の僕の、あまりに近くに存在するので、シリアスにスケッチすることがかなわないのでありました💦

エッセイめいた記事にも、僕は、現在進行形なありさまをほとんど書いていません。

書くにしても、浅く、ふざけて、照れながら、笑い話として、さらりと流し書きしてしまいます💦

たぶん、照れくさいのでありましょう。

そして、生々しい。

時の経過により風化された対象――、これは骨のように清潔なので、客体視できるのだけれど、

今ここにあるあれこれは、憎々しいほどに肉々しいので、

主観まみれなスケッチになっちゃいそうで、ちょっと扱いが難しいのでありました💦

なので、とおい昔の恋なんてのを歌っちゃうのでありますな💦

実ってない恋。今に繋がっていない袋小路の、骨のように清潔な客体。

どだい、おっさんが、恋を歌うって、これ、なかなかになかなかであります💦

ふぁーでぃすたんすな、消化試合を、ひと事のように歌うので、いっぱいいっぱいであります💦

今の恋については――と妻やがあちゃんを意識しながらいちおう書いとくと――、歌う対象ではなく、生きる対象なんでありますかな、僕の場合💦

さて、タイトルの内容でありますが――、

僕は、今のこの僕のことも、

シリアスには、

よう書きまへん💦

照れくさいし、生々しいから。

僕についても、とおいむかしのことについてなら書けます。

たぶん、とおい僕は、今の僕から見て、もう、彼、だから。

客体化できてるんだと思われます。

なるほど、冒頭の1首、

君去りし
街に立つ僕
顎あげて
睨みつけたる
鰯雲かな

この歌も、なんか、誰かが、「歌中の僕」を、空から俯瞰しているみたいなありさまですね。

僕は、僕を、今の「ぼく」と過去の「ボク」に切り離し、ぼくの筆で、ボクの息遣いを再現するのであります。

ボクは、彼であり、僕ではありません。

そしてまた、書き手としての、ぼくも、僕ではなく、あくまでも「僕の手」なのでありますかな。

僕は、僕を生き、僕については、ぼくに書かせず、ボクの息吹きを、ぼくにスケッチさせるのであります。

そうやって僕は、生身の僕を隠匿しつつ、ぼくの手に、ボクを晒させちゃうのでありました💦

――とおくから眺めるボクってば、なかなかにいいヤツです。

男気のある、純情で、鈍感な、少々情けないヤツです。

今の僕が女の子なら、なんならボクに惚れちゃうかもしれません(うあ、自己愛が事故愛レベル💦)

――ボクを慈しみながら僕が、ぼくに書かせた物語を、Amazonで販売しています↓

ボクを晒して僕は、なにを得たいのか、よくわかりません💦

たぶん、単純に、アーカイブしたいのでありましょう。

僕ら夫婦に子供がいないからかもしれません。

息吹きを遺したいんだろうな、

と思われます。

冒頭の失恋3部作(笑)、これらもまた僕の欠片であり、息吹きであるのかもしれません💦

文庫本を買わせていただきます😀!