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母に感謝した(555文字)

母が他界した翌日、

『きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない』

から始まる小説を読み直した。

――

母の死は、悲しい、だけではなかった。

解放。

僕の、ではない。母の解放。

長く苦しんでいたからかもしれない。でも、そういう意味だけではなくて。

偏りや結ぼれが正されて、母は、病む前の母に戻り、いや、のみならず、人になる以前の母に戻り、母自身や、僕を、肯定してくれているように感じられた。

穏やかで、すべてを見通しているかのようだった。死んだのちの母は、そういう存在となった。

超然としていながらも、あきらかにぬくもりでもあった。だから、安堵できた。

母の、そのようなあり方は、僕に、ほんとうのことについてのヒントを与えてくれた。

生きてゆくのが楽になった。

――

カミュの『異邦人』を読み直しながら僕は、ムルソーを、かつてとは違い許すことができたし、それどころか肯定すらしてやれた。

生きている人は、みな、役割を担わされた演者であり、

生きている間のあれこれも、すべて、配置されたものなのだ――、


と思われた。

いつの日か、役割は終わり、配置は解かれ、存在は本来に戻る。

悲しいことじゃない。

以上を前提にしてこそ、僕には、むしろ役割をまっとうできるように思われた。

自由に、一生懸命生きようと思えた。

母に感謝した。

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あひろ
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