世界が私である――
みたいに感じている人と、
私が世界である――
みたいに感じている人がいるらしい。
前者は客観的な人で、
後者は主観的な人だと言えるんじゃないかな。
――星占いについて書く。
星占いってのは、普通は、地球を中心に据えたホロスコープを読む。
実際の太陽系は太陽が中心なわけだけど。
つまり星占いというのはいまだに天動説なわけだ。
地球は、意思を持つ人間のいる星であり、つまりは視点であり、ユング的にいうなら「自我」かもしれない。
太陽は、視点すらもがそれを周回しているところの客観的な中心点であり、ユング的にいうなら「自己」かもしれない。
「自我」への執着を手放し、「自己」実現をはかることが僕らの人生の目的であるなら、伝統的なホロスコープは、十二分に吟味し、意識化され、それを生きてみたのちに放り投げられるべき体系である――といえるように最近になり俄然思えてきた。
星占いが「主観的な心理」であり「客観的な真理」ではないことを悟るためにも、星占いがいかに「当たってしまう」のかを主観的に体感してみることは、無駄なようで無駄でなく、むしろ必須であるように僕には思われる。
星占いになんて興味を持たず、あるがままをただあるがままに生きる姿はたいへんに美しくのびやかであるが、ありさまを「主観的に分析し尽くすこと」は、主観から客観にシフトしてゆく自らを意識化する――という意味でたいへんに望ましい行為であるとも僕には思える。
折しも冥王星が水瓶座入りしたこの冬、僕は、天動説から地動説に向けての意識的変容に、僕が、僕らが、世界が、どうしようもないほどに晒されている――ように強く観じていたりする。
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あひろ場では、
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2、出生時刻
3、出生地
のデータから、
ご参加くださった方の内的な配置を物語る活動をさせていただいています。
許可が得られましたので、今回は、Rさんの景色――秀才と、チンピラと、オオオヤブンと、発明家らしからぬ発明家と、芸術家らしからぬ芸術家と、それからヴィーナスの紡ぎ出します物語――を以下に転載させていただきます😃!
Rさん、ご参加ありがとうございました😃!
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12/9追記:Rさんからのご感想↓を転載させていただきます😃!
12/9追記2:ご感想に対するあひろからの返信も↓😀💦
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