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歌うたいとやらにじわりと(2468文字)

――リクエストしていただき、

斉藤和義さんの『歌うたいのバラッド』

ウクレレで弾き語ってみようとしたんだけど、、、

どうにも上手く歌えなかった💦

歌の前半は、音程が低く、尾っぽが上向きのオタマジャクシの群れなんだけど、

対するに後半は、音程が高く、尾っぽが下向きのオタマジャクシの群れな気がしてしょうがない。音痴な僕なれど、そのくらいはわかる。

で、それは別によいのだ。前半は低く、後半は高く歌えばよいだけだ。

問題は、その切り替えの箇所なんである。

歌の真ん中へんの、

『ほんとうのことは~』

というフレーズが切り替え箇所なんだけど、

ここんとこがどうにも上手く歌えなかったのだ💦

だから、むかし、この歌を弾き語ってみようとして、

ん? なんかムリめ??

とか思って、ほっぽっといたんだな、たしか💦ソウダッタソウダッタ💦

で、今回「唄って!」って女性に言われて、、、

そしたら僕が唄わないわけがなくて、

チャレンジしたんだけど、

やっぱりむかしとおんなじで、

切り替えのとこの音がとれなくて、

ぼえ~ってなことになっちゃった💦

昨日アップした記事に、その沙汰が如実に見てとれるってわけ。

でも、その記事に、

僕のウクレレの先生――と僕が勝手に仰いでいるまゆ♪さんがコメントをくださって、

それがヒントとなり、

僕ってば、夜遅くまで、この歌の研究に打ち込んだ!

思うに、

『ほんとうのことは~

は、

その直前の、

『あなたとのまいにちー

の、

「ちー」の音(僕の音程だと、僕的にはたぶん、低いドの音じゃないかと推測)から、

いくらか上がって、

『ほんとう』までは、きっと、ファくらいの音なんだけど、

そのあと、

『のこと』

のあたりで階段を1段ずつ上がり(これが僕には難しい!)、

追記:「*sora*さん」に教えていただいた↑

は~

って頂点は、

たぶん、高いほうのドなんじゃないかと。

つまり、この1フレーズで、低いドから高いドにシフトアップしなきゃいけなくて、

ウクレレの伴奏的には、

低いドも、高いドも、Cコードで鳴らすから、

そこにすごく違和感があるというか、

二の足をふんでしまう感覚があり、

だから、

ぼえ~、なことになっちゃうんじゃないかと、

合唱コンクールで独り口パクを命じられていた過去を持つこのあひろは、

ない音楽知識を勝手にフル回転させて結論をくだした!

てかそもそも、その音がドかどうかもわかんないんだけど――💦

で、わかったつもりになって、

『ほんとうのことは~』の階段を上がろうとしたのだけど、

くぅ、上がれない💦!

なんか、気持ちよく歌えない💦

なんかが違ってんだけどなにが違ってんのかわかんない💦

で、YouTubeで、いろんな方の『歌うたいのバラッド』を聴いてみた、隣で妻が寝てからイヤホンで。

みんな苦もなく歌ってるなあ。やっぱ僕は音痴なんだなあ。

と、いくらかやさぐれた気分でスクロールしてたら、

面白いのに出会った。

――AIソング。

例えば、玉置浩二が『歌うたいのバラッド』を歌っているようにAIが合成した歌いっぷり、みたいなやつ――。

ほ、ほう。すごいな、こりゃ!

僕なんかが、たとえ一生練習しても、AIみたいに上手くは歌えないだろうな。

――朝になり、妻にクイズを出してみた。

「これ、だーれだ?」

と、AIが玉置浩二になりきって歌ってる『真夏の果実』を聴かせて尋ねた。

「玉置浩二に似てるね」と妻は言った。「でも、違う。だけど歌上手いし、玉置浩二の特徴をよく真似てると思う」

「――じゃ、これは?」

と、次に、エレカシの宮本さんふうにAIが歌ってるあいみょんの歌を聴かせた。ら、

「あ、この人も上手いね。でも、エレカシの人じゃあないね。そのモノマネでしょ?」

と妻は応えた。

スピッツのマサムネが唄ってるふうのあいみょんソングも聴かせた。

「なんか、息継ぎしてないの?」

と妻は応えた。

――息継ぎ、、。

そっか。息遣いが感じられないんだ、AIソングには。

――悟った!


AIの歌は、確かに上手い。スキがない。カンペキかもしれない。でも、たぶん、らしさがないんだ。その歌い手らしさが。

そのあと、奥田民生さんの『歌うたいのバラッド』を聴いた。

奥田さん的に唄ってる。斉藤和義さんのそれとはずいぶん違う。でも、それがいい!

――わかった気がした。

歌も、小説も、絵も、上手いか下手か、が大事なんじゃない。

らしさの表現足り得ているかがすべてなんだ。

生き方と同じ。

上手い生き方も下手な生き方もない。

その人らしさが、一回性により、まんまに表れているのがすなわち人生だ。

ときどきの「時」との偶発的な化学反応により描かれている僕らの「らしさ」。

そのhappeningなありさまこそが表現であり、表現は、好き嫌い(すなわちマッチング)にこそ晒されど、優劣として評価されることには馴染まない。

例えば僕は村上春樹さんのメロディ(文体)が好きだけど、妻はばななさんの描写が好きみたいで、僕はばななさんの文体は好きでもないけど、妻は春樹氏のモチーフが苦手みたいで――。

つまりは、好き嫌いでしかない。

表現は――、そうだ、斉藤和義氏がこの歌で語ってるみたいに、

頭の中をからっぽにするだけ――的な脱力にこそ馴染むのかもしれない!

音痴な僕ごときが、ドレミだの、CだのFmだの、ごちゃごちゃ考え、指を縮こまらせて、音を置きに走って(゚Д゚#)ナニシテケツカルネンオンドレガ!

〽あー、うたうことはぁ、むずかしーことじゃなーい♪

そのとおりであるなぁ。

〽ただこえにみをまかせー、あたまのなかをからっぽに……

してやろーじゃねーか(゚Д゚#)オンドリャア!

てなわけで、

なんも考えんと、

自分らしく、

ノリとキブンとフンイキで、

でもオモイはこめて、


やってみた↓

AIではない僕が、

僕の今の息遣いで、

1回限りの「このとき」を歌ってみましたよ。


歌詞の、

『ずっといえなかったことばがある!』

ってとこ、

『ずっとうたえなかったところがある!』

って唄いたいくらいに、

すっきり唄えた気がしないでもない。

なんか、ちょっと、「歌うたい」とやらに、、、

じわっと近づいたような気がこれも、しないではない。

文庫本を買わせていただきます😀!