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【試し読み】球体の家と身体の内と外にある道具(永岡大輔)

 例えば、山道を歩いていて喉が渇いたとします。目の前には綺麗な湧き水がある。生水を飲むのはできるだけ避けたいところですが、安全が確認できたならばその泉に手を伸ばし、手のひらを丸めて凹みを作り、水を掬って口に運ぶでしょう。そのとき、私の手は「器」という道具となります。そしてさらに、その手の形が器の原型になります。笹の葉があれば、それを手のひらのように丸めて手の代用とし、或いはナイフがあれば、流木を彫り抜いて柄杓や椀を作ることが考えられます。道具というのは、ある目的を実現するために身体の延長として発見され、作られ、利用されます。

 私は、2017年より「球体の家」というプロジェクトを行なっています。端的に言えば、「球型」の家を実現し、そこでの生活を検証するという活動です。その目的は、一本の線を引くこと。絵を描く者として、これまでにない線を引くにはどうすればよいのか、すなわち生活そのもの、生きることそのものを表す線を引く方法を求めた結果、このプロジェクトに辿り着きました。

 もし私たちの住む家が「球」であったなら、住人が動くたび、 家は緩やかに回転します。食事をしたり、笑ったり、喧嘩をしたり、寝返りを打ったり。そんな日々の営みが家を転がします。そこに生きた事実が、回転となり、痕跡となり、大地に線を描くのです。

 このプロジェクトを始動してまもなくわかったことは、私たちの知識や認識がいかに偏っているかということでした。球体の家の集まる社会では、「生きる」ことは「移ろう」ことと限りなく同義となります。そこでは、私たちが固執している「所有」や「定着」の価値観は一変するでしょう。家には装飾性よりも機動性が、拡張よりも凝縮が求められます。地震や津波などの災害時には、住居ごとそれを回避することができるかもしれません。汎用性に富んだ家具や生活用品がよしとされ、快適さや便利さの意味するところも転じます。土地を所有するという概念もなくなり、社会のデザインや経済のシステムが、ひいては人々の思想までもが既成社会とは全く異なるものとなる可能性が潜んでいます。

 それゆえ、このプロジェクトでは、球体の家を完成させるだけでなく、球体の家の集まる社会における農業や産業の在り方、食の術、コミュニケーション方法といったあらゆる事象を多面的に検証することが重要だと考えています。それは、「方型」の家を基本とする現在の社会では「見えていないもの」を見る活動とも言えます。

 今回は、私が「球体の家」プロジェクトの一環として2023年3月より行なっている「道具の検証」について記したいと思います。

……(続きはRe:mind Vol.2にてお読みいただけます)

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