読書ノ○トについて
1つ新しいものに手を出してしまうと、芋づる式に趣味が増えてしまうものである。創作という大きな括りの中で、大体は見る側と作る側どちらにも手を出すことになるのだが、ジャンルが増えていってしまっては尽く時間が足りなくなる。
まるで小説を読まずに過ごしてきた思春期、1年前ようやっと推理小説に目ざめ、また今読書にふけっている訳だが、中学の頃から文章を書くということにずっと憧れだけがあったのを思い出す。文章に触れない生活を送ってきたせいで文の上手さは人並み以下であるが。そこで、何も小説好きだからと言って物語を書くところから始める必要はなく、読書の感想文を連ねようと思ったのだ。それならTwitterで毎日のようにやっていることだし。しかし、描き物も書き物もやっていると当たり前のように時間が足りなくなる。そこで、なるべく手軽に記録できる書き方を探そう、と読書ノートの一例を探すために検索をかけるとマスキングテープやマーカーで彩られた細やかに文字が詰まっている手帳しか出てこない訳で。○ソが、○○○○○。約20年前の読書好きのブログにオシャレさの欠けらも無い(ある意味オシャレだが)使い古されたノートの写真が貼り付けられていた時の嬉しさたるや。しかし、丁寧な生活に憧れがない訳でもないので、いざノートを持ってしまえばもしかしたら憧れた(そしてコンプレックスを持っている)それになれるかも…と丁寧に書こうとして、序盤の3ページで終わってしまう愚か者になってしまうオチは見えている。で、それならば丁寧に書こうと思う環境を作らなければいいのだと。iPadで擬似的な大判の1枚の紙を用意して(フリーボードのことである)そこに乱雑にメモを書き記せば、世界一美しくない読書ノートの出来上がり。
(昨日の日記からまるごと。なお人に見せるには不適切な部分のみ蓋をして。)