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映画愛好家の楽園『MUBI』が描く未来――ストリーミングから映画館建設へ
映画の鑑賞スタイルが多様化する中で、日本を始め世界190カ国の映画愛好家に特化したユニークなサービスを提供している「MUBI」。厳選された映画を配信する世界的なストリーミングサービスとして、アートハウス映画やインディペンデント作品など幅広いジャンルを網羅し、質の高い映画体験を提供している。
近年は配信サービスとしての顔だけでなく、映画の製作や配給、映画祭の建設にも乗り出し、映画文化の発展に積極的に貢献するその姿勢が注目を集めている。
大手映画会社と異なる独自の美学を追求し、その全貌が謎に包まれているMUBIだが、今回MUBIの社員の方に話を聞く機会があった。映画配給に対する哲学、現在の取り組み、そして未来へのビジョンについて語ってもらった。
劇場配給への挑戦:『aftersun/アフターサン』に見る成功の裏側
――今日はよろしくお願いします。まずお聞きしたいのですが、MUBIの社員数はどのくらいで、どんな体制なのでしょうか。
全部で300人くらいじゃないかな。ロンドン、ベルリン、NY、イスタンブール、クアラルンプール、デリー、メキシコシティ、サンパウロ、あと何箇所かにオフィスがある。僕はロンドンオフィスで、主に欧州映画の国際配給宣伝に関する仕事をしている。国際販売会社から配給権を購入し、映画館をブッキングし、オンラインでストリーミング配信する。
もともとはオンライン配信権だけを購入していたので過去の名作をチョイスすることが多かったけど、2016年から英国と米国で新作の劇場配給もやるようになったんだ。2016年のベルリンパノラマ部門で上映された『私、オルガ・ヘプナロヴァー』とか。
映画館の上映をやってたのは英国と米国だけだったんだけど、2021年からメキシコシティやデリーのオフィスでもやるようになった。最初は映画館とのコネクションがなくて大変だったみたいだけど、今ではスタッフも増えてきているらしい。最初に英国と米国以外で劇場配給した映画はパブロ・ララインの『エマ、愛の罠』だったと思う。
実は僕はロンドンオフィスのことしかよく知らないんだ。他の地域は全然別のプロジェクトをやっている。ラテンアメリカやアジアの映画を欧州で配給するときは関わることもあるけど、基本的にはそれぞれの地域でそれぞれのことをやっている。
――いちばん思い入れのある映画は何ですか?
それはもちろん『aftersun/アフターサン』。この映画のサクセスストーリーはMUBIのサクセスストーリーでもあるからね。
英国、フランス、イタリア、ドイツの配給権を購入したけど、他の映画と全然違った。普通は国際販売会社が企画の段階で情報を出して、ワールドプレミアの前には配給権が売れているんだけど、この映画はワールドプレミアまで一切情報が出ていなかった。だから配給権はどこにも買われていなかった。後で知ったけど、プロデューサーのバリー・ジェンキンスがそういう戦略を取ったらしい。
皆カンヌで初めて『aftersun/アフターサン』を観たわけだけど、「この映画は絶対に行ける!」と即決して配給権を購入することにしたんだ。契約をまとめたのはワールドプレミアのまさにその日だった。A24も同じように即決したみたいで、米国の契約を翌日か翌々日にまとめていたよ。
『aftersun/アフターサン』は予想通り当たって、英国の興行収入は当時MUBIとして歴代最高になった。後でバリー・ジェンキンスが「MUBIのプレゼンは熱意があった。MUBIが買ってくれて良かった」と言っていたと聞いて嬉しかったよ。
もう一つ珍しいこととして、フランスの配給権も取れた。フランスは独自の映画産業があるので新参はなかなか入れないんだけど、そういう事情で配給権が買われていなかったので運が良かった。これ以降フランスの配給権を取ったのはセバスティアン・シルバの『Rotting in the Sun』だけだよ。それくらいフランスは難しい。
――ワールドプレミア前に配給権を買ったこともありますか?
そっちのほうが普通だよ。モリー・マニング・ウォーカーの『HOW TO HAVE SEX』はワールドプレミアの半年前には英国の配給権をMK2から買っていた。カンヌある視点部門でグランプリを取ったので結果的には良かったね。こういう賞を受賞した後だと値段が上がるから。
監督はもともとカメラマンで脚本の人じゃなかったけど、2022年のカンヌのピッチで脚本が評価されてて、MK2が国際販売だけじゃなく製作にも関わっていたので、これなら失敗はないだろうと思った。
ヨアキム・トリアーの『わたしは最悪。』はカンヌの前からMK2が企画を売り込んでいたけど、本編がまだ完成していなくてどこも様子見だったんだ。カンヌで上映されたら一気に争奪戦になって、米国の配給権はNeonに取られたけど英国は購入することができた。ワールドプレミアから1週間以内にどの国の配給権も売れてたと思う。
――ワールドプレミアの後に買った映画もありますか?
数は少ないけどカルラ・シモンの『太陽と桃の歌』。実は金熊賞を受賞すると思ってなくて、ベルリンではどこも買わないままだった。結局3ヶ月後くらいに米国と英国の配給権をMK2から買った。さっきと逆で賞を取っちゃうと値段が上がるからどこも買わなかったんだろうね。
スペインでは300万ユーロくらい行って大ヒットしたんだけど、カタルーニャのローカルな話なので売り方が難しくて、北米と英国ではアート系の映画館でしか公開できなかった。ちょうど同じ時期にパク・チャヌクの『別れる決心』を北米と英国で大きく展開してて、こっちのほうに力を入れたこともあって。
データ駆動の戦略:映画配給を支えるMUBIの強み
――配給権を購入する際のポイントは何ですか?
映画配給はベテランの目利きがやっていると思われているけど、実はかなり厳密にデータに基づいて決めてるんだ。MUBIは「本当に映画が好きな人が集まるオンラインプラットフォーム」という唯一無二の財産を持っているから、その視聴データは他の誰も持っていない強力な武器になる。データを統計的に処理する専門のスタッフもいる。劇場配給としては歴史が浅くて経験がないけど、だからこそ大胆に配給権を購入することができるんだ。オンラインの独占配信権も同時に購入するとなると、普通の劇場配給権より高額になるので失敗はできない。
それが一番うまく行ったのが『別れる決心』。米国と英国では劇場公開の1ヶ月後にストリーミング配信という戦略にしたけど、相乗効果でかなりストリーミングサービスの登録者数が増えた。オンラインで得たデータを基に劇場配給して、宣伝して広めて、またオンラインに人を呼び込むという循環になっている。
――ところでMUBIって日本映画はあまり興味ないですよね。
そんなことないよ。日系の社員もたしかNYオフィスにいるはずだよ。しゃべったことないけど。『ドライブ・マイ・カー』も配給したし。
ラテンアメリカの配給がすっぽり空いてたので、2022年の年明けにメキシコシティのチームが急いでThe Match Factoryと交渉して、3月のアカデミー賞に間に合わせて公開したらしいよ。上映時間が長いのとコロナ禍で劇場配給が意外と売れなかったらしい。でもそれくらいだね。ちなみに英国はイヴ・ガベローという僕の尊敬するプロデューサーが購入したのでMUBIが入る余地はなかった。
――The Match Factoryといえば、2022年にMUBIが買収しましたよね。
何も知らなかったのであれはびっくりした。でも子会社とか同じ会社の一部門とかではなく、別の会社としてやっている感じ。たとえば2024年『落下の王国』4Kが話題になったけど、MUBIは北米、英国、ドイツの配給権を購入して、それ以外の地域の国際販売はThe Match Factoryがやってる。「MUBIが国際販売にも進出」みたいに言われていたけど、配給と国際販売は全然専門性が違うからね。
映画文化の進化:映画祭や製作への取り組み
さっき「他のオフィスのことはよく知らない」と言ったけど、一番独自性があるのは映画祭かもしれない。ブラジルやメキシコでは「MUBIフェスト」というオリジナルの映画祭をやってるんだけど、ロンドンでは後追いで初めて2024年に開催した。レヴァン・アキンの『Crossing』をプレミア上映したよ。
イスタンブールでも独自の「MUBIフェスト」をやってるんだけど、2024年はルカ・グァダニーノの『クィア』がイスラム教にふさわしくないという理由でトルコ政府に目をつけられて、抗議の意味で映画祭自体を中止にしていた。
――Netflixなど大手の配信サイトは独自作品に力を入れていますが、MUBIはそのような予定はないんですか?
もうやってるよ。実はMUBIは映画製作もやり始めたんだ。まだ全然知られてないけど。自分は製作の部署には関わってないので伝聞になるけど、コロナが収まり始めた2022年くらいからかな。
ちょうど今撮影してるケリー・ライカートの新作はMUBIが単独で出資して製作しているオリジナル作品。『ファースト・カウ』で料理人をやっていたジョン・マガロとジョシュ・オコナーが主演で、美術館から絵画を盗む話。北米、英国、ラテンアメリカの配給はMUBIがやって、それ以外の配給権ももう売れてる。
もともと製作をやりたい気持ちはあったらしいけど、すぐにオリジナルは難しいので、まずは部分参加としていくつかやっていたらしい。ミシェル・フランコの『ニューオーダー』の配給をやったことがあって、その縁で製作会社のテオラマと繋がりができて、テオラマがやるミシェル・フランコの新作に部分参加することになった。それが2023年のヴェネツィアで男優賞を受賞した『Memory』。2024年に英国で劇場配給したよ。
あと2024年に撮ったジム・ジャームッシュとケイト・ブランシェットの新作にも部分参加してるらしい。
映画館建設への第一歩:MUBIが目指す映画の未来
――ありがとうございました。最後にMUBIの将来に向けた展望を教えてください。
一番ホットなニュースは映画館の建設だね。僕は経営にタッチしてるわけじゃないから噂レベルでしか知らないけど、前から映画館を建設する話はあって、その第一号がメキシコシティになるというのは聞いてる。将来は東京にも映画館を建設したいと創業者が何かのインタビューで言っていたよね。最初はストリーミング配信だけだった会社が、製作、劇場配給、国際販売、映画館運営まで進出したら、文字通り映画の上流から下流までやることになるからワクワクしているよ。