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可愛い女性は年齢に関係なく可愛い理由

物事には、全く見た目には同じに見えるのに、その根底の意図が違うと言う事が往々にしてある。

ここに二人の女の子がいて、どちらも男が一般的に可愛いと思うようなワンピースを着ている。

片方の女の子は日頃からワンピースが好きで、家に居ようが買い物に行こうが、デートで彼に会う時も大抵は可愛いワンピースを着ている。

もう片方の女の子は、実は普段はワンピースは着ない。
合コンとかデートとか、男に関連したイベント用の服だったりする。

どちらの女の子も、見た目はそう変わらない。
設定としては、性格の違う双子にした方が想像がしやすいかもしれない。

そう考えた時、その意図の違いは明らかだ。

前者には特に他意はない。
単に可愛いワンピースが好きで着ているだけだ。
それが彼女のお気に入りのスタイル。

対する後者の意図は、明らかに男性の関心を引く事がその目的であり、当然他の要素、例えば化粧や髪型や靴や言葉遣いまでも同じような傾向が見られるだろう。そうなると、男性がいる時といないときでは、まるで別人のように振る舞っているのかもしれない。

このように、外に出ている姿や現象は同じに見えても、それを人間が表現する場合には全く逆の意図があるのかもしれない。

私が気づいたのは、後者は男の気を引く必要が無くなれば、あえて女性らしくあろうとはしなくなることだ。むしろ「可愛い」を軽蔑したり嫌悪したりする。

なぜかといえば、根っから当たり前に可愛い女の子は脅威だから。

演出された可愛さは、女性が女性らしくあろうと思って自然にそうしている可愛さには決して敵わないことを無意識でも理解しているからだろう。

女性の可愛さは結局のところ可愛い装いなどではない。

自分自身が女性であり、自分がイメージする女性らしい女性であろうとすること。そのことがその女性を可愛くしている根源的な理由であり、生き様とでも言えることだと思う。

そうすると、よく「女捨ててるな」なんて言われちゃう女性と、自分が当たり前に女性らしくある人とは、年齢を重ねるほどにその差は開いていく。

要するに小学生の女の子だって、その素養として、潜在的にオバタリアンと素敵な女性とに分かれているのだろう。

そもそも可愛い人は、特に可愛くなろうとか思ってなくて、その人の自然なあるがままの存在が可愛いのであって、それは決して年齢で色褪せるものではない。

結局、あるがままが可愛い人を、当たり前に可愛いと感じるだけの話で、当たり前すぎて、そこには何の秘密もない。

それだけのこと。



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