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2年の前期、上座部僧侶の体験をしていたかもしれない。

本日の2限、比較宗教論にて、仏教について学んだ。

仏教には、チベット仏教、大乗仏教、上座部仏教などの種類があり、日本では大衆に開かれたものになっている。


そこで、上座部の僧侶についても取り上げられていた。特徴を聞いているうちに、

「あれ?オレってこんな生活していた...か...?」

と、当てはまることが多かった。

そこで今回は、アウトプットも兼ねて、私の体験と重なる部分を書いていこうと思う。

注意書きとして、上座部仏教をバカにするなどのものではない。私は無宗教であるし、どんな宗教も尊重している。

予めご了承いただきたい。

特徴その1 髪をすべて剃り落としている

これは、大乗仏教の僧侶の特徴としても見られるものである。僧侶と聞いて、一番最初にイメージするのは、「坊主」の姿ではないだろうか。

実は私も、4/1に、友人にバリカンをもたせ、0.5mmの丸坊主にした。

僧侶への道を、形から入った、つまり「出家」したのである。

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理由は、「面白そうだったから」というただそれだけの理由である。二年生の目標は、面白そうなことをとことんやるということであるため、坊主にしてみた。

意外と、「似合っている!」という、お世辞でも嬉しいお言葉をいただき、もしかしたら、また別の機会にやるかもしれない。

特徴その2 アルコール摂取が禁止されている

上座部の僧侶は、修行の身である。そのため、アルコールの摂取が禁止されている。

私は、10/3に誕生日を迎え、つい最近、20歳になったばかりである。2年生の前期で呑んでいるはずがない。

また、いまだにアルコールを摂取したことがない。いまだに消毒で使用するものであるという意識である。

私は、炭酸が飲めない。加えて、果物も嫌いな物が多い。そうなると、飲めるお酒が限られてくる。

さらに、今まで呑んだことがないため、呑んだら自分がどうなってしまうのか、全く予想がつかない。

お酒を摂取することによって、コミュニケーションが円滑に進むという利点もあるが、理性が飛び、IQが下がっているような人をよく見る。

「オレはこんな風になりたくないなあ」と思うことがあるため、本当に機会がなければ、お酒は飲まないかもしれない。

特徴その3 恋愛、結婚は禁止されている

特徴その2同様、修行の身であるということが大きのであろう。恋愛や結婚が禁止されているのである。

さらに、上座部の僧侶は女性は一部例外を除いて、なれないらしい。男性だけという厳しい世界であることが見て取れる。

私の恋愛観というのが、年々変化している。

興味のない方もいると思うので、軽く触れると、

「恋の駆け引き」というものの良さなどが全くわからない。「恋」がしたいとも思わない。一人が好きだし、一人で十分幸せを感じている。

周りの友達は、彼女持ちが数人いる。「この前彼女がさ...」なんて話を持ちかけられることも少なくない。

しかし、そこで「いいなぁ~」と思うことは、無い。自分でもどうかしているのかもしれないを思うことがある。

少年ジャンプなどで連載している、恋愛マンガはたまに読んで「青春しているなぁ~」と感じる。潜在的には恋愛したいのかもしれない。

仏教により、禁止されていることであるが、私の場合は、感情が湧いてこないのが現状だ。

特徴その4 一般信徒からの托鉢(お布施)によって生計をまかなっている

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上記の画像は、見覚えのある方もいるかもしれない。教科書にも載るような構図である。

上座部の僧侶は一般の信徒からお布施をいただき、生活をしている。もらえるものは多種多様で、お金や食物、衣料品などがいただけるらしい。

それを利用しながら、修行に励む。それが上座部の僧侶の生き方だ。

大学生なら多いと思うが、私も仕送りを頂いている。

ありがたいことに、その仕送りで生活している。

上座部の僧侶は、修行し、さまざまな戒律を守った上でお布施を頂いているが、大学生は、戒律がほぼ無いのに、仕送りを頂いている。

そう考えると、感謝の気持ちを忘れずに持ちたくなる。改めて気付かされた。

特徴その5 1日2食

仏教の食事は、精進料理という印象が強いのではないだろうか?

上座部の僧侶は午前中に2食済ませ、午後は何も食べずに生活をしている。

肉類の摂取は避け、五葷と呼ばれる、ニンニク、ニラ、ラッキョウ、タマネギ、アサツキも禁忌として避ける傾向にあるらしい。

厳格な信者ほど厳しい。

私は、1日2食と聞いて、「オレもじゃん」と真っ先に思った。

それも、「『空腹』こそ最強のクスリ」という著作を読み、16時間のファスティングを2年生の前期から行っていたからである。

スケジュールは、昼の12時と夜の8時に食事を取り、夜12時に睡眠を取るというものである。

すると、16時間の空腹時間が保たれる。これは今も継続している。

昼食は納豆ご飯、味噌汁、漬物、野菜ジュース

夕食は、サバ缶と卵のそぼろ丼、味噌汁、漬物

以上である。

身体的な変化としては、眠くなりにくいくらいで、大幅に健康になったと感じる点はあまりない。また、「痩せたね」と言われることが多くなってしまったため、もとの食生活に戻そうかと考えている。

特徴その6「修行」をしている。

仏教における修行は、写経や座禅、お経を唱えることなど、多岐にわたる。しかし、今まで挙げた戒律こそが、修行とも捉えられるのではないだろうか。

私は似たようなことをやってきたが、これまで挙げた特徴を「修行」として捉えていない。むしろ、ユーモアを持って、楽しみながら、幸せを見出しながら生活をしてきた。

一番の違いは、世俗との関わりではないだろうか。

イメージに容易いと思うが、上座部の僧侶がお布施をいただきに行く際は、山を下る。つまり、山に寺院を構えていることになる。自然と世俗とはかけ離れた存在になるだろう。

さいごに

上座部仏教が根付いている地域は、僧侶が崇高な存在である。そうなると、ずっと世俗にいるわけにはいかない。

私もインターネットなどがない生活は、考えにくい。

読書するくらいしかやることがないのではないのだろうか。(それもそれで面白そうではあるが)

世俗と関わり続けているため、傍から見たら戒律のような生活でも、十分幸せを感じることができた。

また、長時間の座禅のような修行もしてこなかったため、修行と感じなかったのだろう。

また、能動的にやっていたのも、大きいと考えられる。事件も起こしていないし、「悪いことをした」という罪意識も無いまま、内的要因でこのような生活、考え方になった。

私が経験したのは、擬似的で、楽観的で、かつ能動的だ。

読んでい頂いている方の中には、坊主はないにしても、修行のような生活を経験しているかたもいたのではないだろうか。

今回の比較宗教論では、意外な気づきを得られたので、非常に満足している。

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