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郷土紙という超ローカル新聞(連載7) 喫茶店の新メニューは、ニュースになるのか

【情報屋の源さんはいない】


入社して2週間。
自社の過去の新聞を読みつつ電話取次ぎや校正の手伝い、予告記事の作成で内勤をしていたら、ついに最初の取材に行くようにと指示がありました。

編集局長から紙をを1枚もらいました。
取材を依頼するFAXのようです。
当時はまだFAX全盛時代でした。もちろん電話もあります。
ついでに申し上げると、小さな新聞社のため、一記者にいきなり編集局長から指示があります。零細企業が部長→一営業部員というダイレクトな指示があるのと同じです。

ローカルの狭いエリアで情報を発行しているメディアには、さまざまな取材依頼がやってきます。
新聞社でありながら自社でネタを集めるよりもやってきたネタ(取材依頼)を順番にさばいていくようなケースのほうが多いです。
ジャーナリズム的には「う~む…」という部分もありますが、スクープばかりが大事な情報ではありません。どのニュースがくらしに役立つかというのが郷土紙の編集方針です。
取材依頼の中には、県庁や市役所、企業からも発表文書やプレスリリースも含みます。全国紙もこの手の情報はたくさん扱っていますね。

私が入社する前にイメージしていた新聞社は、記者が自分の情報網を持っていてニュースを探して歩き回るというものでした。現実には、そのようなことは少ないです。
昭和の劇画雑誌で見かけるような「ホームレス情報屋の源さん」とか「アウトロー記者タカハシが悪徳企業に潜り込ませたスパイのヒロシ」なんて存在はありません。少なくとも私は見聞きしませんでした。
広義の情報屋という意味では、誰に聞けばわかるかとか、何かあると電話やメールで教えてくれる人はいましたけどね。

ビッグニュースは、記者独自の情報網から取材が始まるということもありますが、紙面に反映される情報の9割程度は、行政機関や企業から文書などでリリースされる「発表もの」と市民団体やお店などから「私たちはこんなことをしているので新聞に取り上げてください」「こんなものを売っていますので紙面で紹介してください」という取材依頼です。
ん、9割は言い過ぎか?
とはいえ郷土紙の取材体制と記事のネタ元はだいたいこんな感じです。
事件や事故も同じです。紙面で取り上げてほしいことは、警察や消防が各新聞社や全国紙、通信社の支局にFAXしてくれます。


【1人で取材に行け】


「誰と行けばいいですか?」
取材指示のFAX用紙を手にちょっと間抜けな感じで編集局長に聞く私。
「1人で行ってきて。話を聞いて、帰ってきたら簡単にまとめてくれればいいから。写真も適当に撮ってくればいいよ」

え、そうなんですか。
いきなり1人で取材に行くとは思いませんでした。
そろそろ取材現場に行けるのかなと期待はしていました。しかし、最初の取材は先輩記者について行くものだと勝手に信じていました。自分の中では単独取材から始まるのは、相当な驚きです。

そもそも私の小学生の頃の新聞記者のイメージは、話を聞く記者(ペン記者)とカメラマン(写真記者)がセットで取材するのが普通だと信じていました。
今でもスポーツ大会や大きなイベント、囲み記事(特集)や連載になるインタビューなどはそのような体制で取材しますが、ふつうの取材は、記者が1人で話を聞いて写真も撮るのがデフォルトです。
最大の理由は、経費削減。


【私の初取材の行き先は、市内の喫茶店】


初めてのおつかい…違った取材は、市内の喫茶店でした。
そこの新メニューを紙面で紹介してほしいとのことです。
なんでえ、タウン誌の取材と変わんないじゃん。
地元の喫茶店の新メニューがニュースになるのかよ。

心のなかで毒づいてみたものの、実績ゼロの新人がいきなりこんなこと言っても仕方ありません。ここで編集局長の心証を悪くしたら、1年後にはこの地域の中でもさらに田舎の1人支局勤務にされることも否定できません。それどころか延々と内勤が続き、予告記事のタイピングだけしかやらせてもらえないなんて辛い状況になったら目も当てられません。

当時は、スマートフォンが世に出る前の話です。
地図を頼りに向かうと、黒ずみかけた白い壁にオレンジ色の屋根瓦、スモークを貼ったような暗い色の窓という「ザ・昭和」な喫茶店がありました。遠くからでもわかるようにお店の看板は、大きいです。
地方にお住まいの方なら写真を頼るまでもなく再生できるイメージです。屋根瓦が青ければ秀和レジデンスのような品の良さがみられたのですが…。ともあれ、昭和の地方都市の喫茶店は、白壁にオレンジ瓦というデザインの店がけっこうありました。

訪れた時間は、ランチタイム後。午後のお茶の時間までは少し早いというタイミングなので、店の中にはお客さんが2人だけ。マスターらしき男性とアルバイトと思わしき大学生風のフロアクルーの女性が1人。

本郷新聞の取材であることを告げると
「編集局長の松濤(仮名)さんには、いつも百獣クラブ(仮称)でお世話になっています」とマスター。
こちらこそ(以下略)という型どおりのあいさつでサラリと受け流す私。
後々この連載の中で登場してきますが、この百獣クラブや回転クラブ(仮称)などの異業種交流の奉仕団体は、田舎ではステータスの一つであり、同時におつきあいしなければならない重要な団体です。
新人記者の私は、そんなことを知りません。このときは「へえ」くらいにしか思いませんでした。

【まるで男子中学生】


さっそく新メニューをマスターに作ってもらいます。
あれ…。
出てきたのはカルボナーラ。

へ?
2000年代半ばです。
長崎から出てきた福山雅治さんだって90年代には東京で出会っている代表的なパスタ料理です。
まさか人口30万人の本郷市(仮名)では、いまだに誰もカルボナーラをみたことないのでしょうか。
「これってカルボナーラですよね?」
恐る恐るマスターに尋ねると
「カルボナーラの底に卵焼きを敷いたんです。焼きそばからヒントを得て」
おいしいものを2つ合わせればもっとおいしい。
まるで男子中学生のような発想です。
カルボナーラのハンバーグ乗せてでなかっただけ良かったです。

試食してみてくれと勧められたので、撮影後に食べました。
おいしいもの×2のとおり、たしかにおいしいですね。
個人的には農民×職人という庶民の血が流れているだけあって焼きそばの下に卵焼きを敷くほうが好きですね。
それにしても卵黄をトッピングするカルボナーラの底面に卵焼きを敷くってどれだけ卵好きなんすか笑。

写真もたくさん撮りました。
料理の全景×5
マスターが皿を持ってというポーズ×10
フォークにパスタを巻きつけたもの×3
卵焼きが見えるようにした構図×5
料理風景×7
店内×10
店の全景×5

フィルム時代なら24枚撮り2本相当です。その当時なら写真部長にお小言ちょうだいレベルですね。
しかし、デジカメになってからは、自分のパソコンに取り込んで、「これは」というのを1枚または2枚提出するだけですから何枚とっても問題なしです。
私は、どんな取材でもたくさん撮るほうでした。

【記事の背景を読む】


ずいぶんな小見出しですが、そんなに立派なことは書いてありません。

この喫茶店、紙面に正月と暑中見舞いの広告を毎回欠かさず紙面に出してくれるお得意さんです。
しかも別刷りの企画特集記事を作るときも声をかければ広告つきあいをしてくれます。
もちろん、お店で新聞をとってくれています。

郷土紙ではこのような記事と広告のバーター取引もかなりあります。
お店の新規出店紹介や新商品、キャンペーン情報などの記事の背景は、こういう事情もけっこうあります。

さらにマスターが郷土紙とはつきあいが深い百獣クラブ(仮称)の会員であることも大きく効いてきます。
本当にいるのかどうかわかりませんが、ジャーナリズムに燃えている社会部至上主義の記者からみると堕落しているように映るかもしれません。私はこれもありだと思います。
こういうつきあいがあるからこそ、ジャーナリズムが成り立つお金が回ってくるのです。全国紙でもじっくりと流れをみているとそういうことがけっこうあります。大きな広告をたくさん出した1カ月後くらいに企業面や日曜版で経営者のインタビュー記事が大きく載るということもよく見かけます。
参考ながら、広告を出したらその企業は批判されないということではないことはお聞き届けください。


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