私がキャリアコンサルタントになったわけ④
どう生きたいかを問うキャリアコンサルタントの新井香奈です。
前回、初めての就職活動で、自衛官の仕事を言語化する=転職先の企業の方に自分を知ってもらうことの難しさを感じたことを書きましたが、早速、自衛官の職務経歴書の書き方について質問をもらいました
「自衛官」と一言で言っても、そこは、社会の縮図のように、様々な仕事が存在しますし、階級社会ですので、役割も明確に異なってきます
いやー、なかなか難しいですね〜
前置きが長くなりましたが、私の自己紹介がわりにスタートした「私がキャリアコンサルタントになったわけ」4回目です
私がキャリアコンサルタントになったわけ①はこちら
私がキャリアコンサルタントになったわけ②はこちら
私がキャリアコンサルタントになったわけ③はこちら
カルチャーショックと心の揺らぎ
初めての転職活動は1勝1敗。転職活動期間2ヶ月。
なんともスムーズなものだった。
退職の手続きもこれまたスムーズ(実際、スムーズに辞められるタイミングとネゴもかなりした)
自衛隊を退職した翌日から休むことなく、次の仕事へ。
ワクワクのアドレナリンが放出しすぎて、冷静な判断ができない
今までの常識にないことばかりの連続だが、それすら新鮮
そんな状況で仕事ができたのは半年だったろうか
次第に、ギャップに耐えられないことも増えてきた
苦しさを抱えて行き詰まっている私に、新しい環境と仕事を与えてくれた
新規事業の立ち上げ。初めての営業。初めてのコンサル。
初めて尽くし。
知らなかったことを知る喜びや、関わる仕事の領域の広さ、自由度に充実感もあったが、やはり苦しさも相当あった
その苦しさが何なのか、自分でもわからない
相談できる人もいない
なぜならば、自衛隊と企業のギャップの苦しさを理解してもらえる人がいないからだ
苦しさいっぱいの中、人材紹介会社を経営する防衛大学校出身の先輩と出会い、相談するようになった
まさに、先輩にキャリアカウンセリングをしてもらい、苦しさの正体を知ることができたのだ
苦しさの正体がわかると、その会社にいることが本当に苦しくなってきた
結果的に、先輩の会社にキャリアカウンセラーとして転職することとなった
気がつくと「キャリアカウンセラーになっていた」という表現の方が正しいだろうか
ここでは、個性的な経営者、カウンセラーとしても営業としても尊敬できる先輩方。偏差値が高くて大手企業に就職できそうな学歴をもっているのに、ベンチャー企業を選択してあついパッションを持って働く新卒の若手たち。
今思うと、よくまあ、あそこまでの逸材を揃えたなと思うくらいの50人ほどのベンチャーの人材紹介会社で、約1000人ほどのキャリアカウンセリングをし、順調に実績も残し、まさに、意気揚々と仕事をしていた矢先
すっかり諦めていた「妊娠」がやってきた
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自衛隊退職後、実は、2回ほど妊活にトライしています
1回目は1社目にいるとき
転職後のアドレナリンが切れた頃だろだったと思います
先ほども書いたように、全てが順風満帆だったわけでなく、苦しみの中にもがいた時があります。
その時、現状から逃げる手段として「妊娠」を利用しようと思っていました
転職したばかりで、この職場が合わないからと、次の転職をすることはできない。でも、実際に働くことがしんどい。じゃあ、誰にも文句を言われずに仕事が休める状況になればいい=「妊娠」と考えていたのです
でも、1回の受診で妊活を辞めました
2回目は、人材紹介会社にいる時
この時は、仕事は順調。結果も出てる。
そうなると、やはり手に入れたいと思っているものに、また執着するのです
要は、様々なものを手に入れるのと同じ感覚で「子ども」も手に入れたい。と考えているのです
この時は、「妊活しようかな」と考えた段階で辞めました。
だから「妊活をした」とカウントできないかもしれません。
この辺りのこと、ここで書き出すと、これまた長くなるので、妊活に揺れ動く心理は別にシリーズで書いていきたいと思います
今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました
「私がキャリアコンサルタントになったわけ⑤」を楽しみにしていただけると嬉しいです
防衛大学校卒、元海上自衛官。その後ベンチャー、スタートアップ経験、経営経験、NPO立ち上げ経験、現在はフリーのキャリアコンサルタントとNPO事務局長の2足の草鞋を履く異色のキャリアコンサルタントです。「生きたいように生きる」がモットー!