私がキャリアコンサルタントになったわけ⑤
どう生きたいかを問うキャリアコンサルタントの新井香奈です。
毎日続けるぞ!と思いながら、すでに1週間経過しました
そうです、私、ものすごくきっちりきっちりな性格に見えるのですが(他者からの評価によると) 、実は、かなり大雑把でめんどくさがりです
ところが、血液型はA型なので(キャリアコンサルタントとして、こういった根拠のないことで人を判断するのはおかしいのですが)、こだわったところだけ几帳面で綿密にやります。
あれ?noteはこだわっていないのかな?
いえいえ、そんなことはありません☺️
さて、私の自己紹介がわりにスタートした「私がキャリアコンサルタントになったわけ」5回目です
私がキャリアコンサルタントになったわけ①はこちら
私がキャリアコンサルタントになったわけ②はこちら
私がキャリアコンサルタントになったわけ③はこちら
私がキャリアコンサルタントになったわけ④はこちら
妊娠・出産・子育てで目まぐるしく変わる人生観
「諦めた頃にやってくる。」とよく言われる。子どももそうだ。
自衛官を辞めて、ビジネスの世界での仕事に慣れ、実績もだし、やっと自信を持てるようになった頃。確か、新しい事業も立ち上げて回し始めていたし、部下もいた。
待ち望んだ妊娠だったからか、私の思考は一気に「守り」に入ったのだ
仕事よりも自分の身体、赤ちゃん優先。
なんとも、まあ、わがままな状況を許してもらっていたと思う。
そして、そのまま産休に入り、出産
無事に生まれた子どもと過ごす毎日は楽しくて、私の意識はいつも子どものことばかりだった
とはいえ、育休のタイムリミットは近く・・・
復帰面談をするために、初めて子どもを預け、電車に乗った瞬間、私の頭の中に子どものことは一切なかった。
あんなに待ち望んだ子ども、無事に生まれて、スクスク育ち、可愛くて仕方がない子どものことが、電車に乗った瞬間に、仕事のことばかり考えて全くなくなったのだ。
私は、この状況に恐ろしさを感じた。
折しも、リーマンショックの煽りを受け、会社は従業員数が半分になっていたし、いろいろ大変そうだった。
このような状況の中で復帰すると、またがむしゃらに会社のためなのか自分のためなのかわからないけど、少なくとも子どものことをそっちのけで働いてしまうんじゃないか。と思ったのだ
タイミングよくなのか・・・・
待機児童の問題もで始めたタイミングで、保育園も決まらなかった・・・(保活という言葉もなかったけど、真剣さにも欠けてたのも事実)
「子育てに専念しよう。」と、私は会社を辞めた
辞めると、新しい仕事に出会うのも、世の常だ
子育て支援の仕組み、インフラを創ろうとしている社長と出会い、「子連れで働いていいよ」という話をもらい、スタートアップのベンチャーにジョイン。ありがたいことに「社会起業家」としてのコンサルを受けるフェーズを一緒に過ごすことができた
そして、やっと、子連れで仕事をしながら、子育てを仕事の両立ができると、第2子を妊娠
出産を前に、第1子と同じように過ごせないことへの不安や、2人の子育てをしながら子連れで仕事をすることへの不安があり、一旦退職
嬉しいはずの妊娠・出産に全方位から関わると仕事とのバランスは取れない
かといって、仕事から離れる期間が長くなると、これまた不安
そして、第2子が1歳半過ぎに、またわがままをいって、再度ジョインさせてもらう。そこから、まずは、わがままを受け入れてくれた会社に結果を出して貢献したい。と仕事パワーが全開。
そうすると、3人目を妊娠
一人目の不妊は一体なんだったんだ!と思われるかもしれないが、私は、自分がやりたいことを精一杯やれて、そして、自分の思い通りにことが進む状態がきっとストレスが少ないのだ
子育てと仕事の両立の不安は抱えながらも、自衛官の時と違って、自らのキャリアの時間軸を自分で決めることができる
ライフイベントに合わせて働き方を変えていきたいと思っている私にとって、それができる環境を作り出せていたのだ
3人目妊娠中もガシガシ働いた
結果、切迫早産となり、二人のこどもを母や義母にお願いして2ヶ月の入院生活
その間もメールも見てるし、mtgにも参加するという始末
今思うと、完全に様々なバランスを崩していた
自分がやりたいようにやってるだけで、大切にしなければいないことや物や人を蔑ろにしていた気がする
無事に出産し、3人の子育てが始まると、それまでとは全く違う子育て。5歳差、3歳差で3人の子どもを育てるのは、壮絶なことだった。今でも、第3子の0歳の記憶はかなり怪しい。
毎日、子どもに食べさせ、お風呂に入れ、生活をさせ、自分も子どもも生きているのがやっという状態。その上、私は懲りもせず子連れで仕事をしていた。
限界だった。
スタートアップから関わり、途中休んだとはいえ、様々なことが形になって、事業になっていく。
そして、会社の規模も少しずつ大きくなっていく。
そんな状況に私は酔いしれていたのだと思う
「多くのママや家庭を幸せにしたい」と朝から晩まで子育ても仕事もしている日々。ある日、夫に言われた
「ママを幸せにしたいっていってるけど、うちの家庭はちっとも幸せじゃないし、君も幸せそうには見えない」
ショックだった。
それまで夫は、私の生き方働き方に何か文句を言ったり、反対をしたことのない人で、どんな状況であろうとも私を認めてくれていた人から初めて言われた一言だった。
でも同時に、吹っ切れた
私は、その会社を辞めた
「私が大事にしたいものは何か」
「私はどう生きたいのか」
その答えを見つけるために、一旦、仕事を全て手放すことにした
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今の私なら、同時の自分をとても客観的・俯瞰的に見たり、心理を分析したりできますし、それが、結局は今の私を創造しているとも思っています
何かうまくいかないと、その原因を取り除くために環境を変えた
辛い状況から逃げたのではない
ここで切り開くのではなく、違う場所でやればいい
いろいろ思っていましたが、当時の私は「逃げた」部分と、どうやって変えられない環境や事実があり、そこに止まることが得策ではないと判断したのだと思います
「逃げる」という経験は、本当は子どもの頃、迷惑をかける人ができるだけ少ない状況で経験できているといいなと思いってます
そして、大人になって「逃げる」ということをしてしまったら、その事実に対し、真摯に向き合い、謝罪しなければいけないところや人には謝罪する。そして、そこから一歩を踏み出し、その人たちに恩返しができるような人間に成長できるといいなと思っています
防衛大学校卒、元海上自衛官。その後ベンチャー、スタートアップ経験、経営経験、NPO立ち上げ経験、現在はフリーのキャリアコンサルタントとNPO事務局長の2足の草鞋を履く異色のキャリアコンサルタントです。「生きたいように生きる」がモットー!