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私がキャリアコンサルタントになったわけ③

どう生きたいかを問うキャリアコンサルタントの新井香奈です
昨日は勤労感謝の日でした。
私は朝から仕事。夫は接待ゴルフ。ともに仕事をして過ごしました
子どもたちは、ちょっと寂しそうでしたが、私たちの応援者でもあります

さて、私の自己紹介がわりにスタートした「私がキャリアコンサルタントになったわけ」も3回目。いよいよ初めての就活です

私がキャリアコンサルタントになったわけ①はこちら
私がキャリアコンサルタントになったわけ②はこちら

初めての就活

転職することを決めた

と言っても、防衛大学校から自衛隊に入隊した私は、就活すらしたことがない。(今は分かりませんが、当時は、就活は停学処分の対象でした)

転職活動=初めての就職活動

当時の時代背景は
1995年ごろから始まった様々な規制緩和で、ベンチャーブームが始まり
2000年ごろからは、企業の人事制度も年功序列から成果主義に代わりつつある
ITベンチャーがどんどん上場する

そんな世の中を、社会人になってから公務員という立場から見ていたわたしにとって、ビジネスの世界はワクワクと可能性に溢れた世界に見ていました

ライブドアショックの後ではありましたが、大きな組織での息苦しさを感じていた私はベンチャー企業に興味津々

とはいえ、就活の仕方を知らない私。

職務経歴書に、自衛官の仕事をどうかくの?
当然のことながら、ネット情報で自衛官の職務経歴書の書き方を入手したり現職の人に聞くなんてことは、無理

自衛官としてしてきた仕事をどのように企業に説明して
わたしにどんなバリューを感じてもらうのか

言語化することが、ここまで困難とは・・・

ラッキーだったのは、一般大出身の同期が、同時期にコンサルティングファームへの転職を成功させた後だったこと
彼に職務経歴書の書き方を教えてもらい、転職活動の仕方も教えてもらえたのだ

当時も人材紹介会社があることは知っていた
しかし、私自身が私のバリューを説明できないし、自衛官のキャリアを言語化して、マッチングする。そんなことはできないはず。と思っていた。
先に転職した超優秀な彼も、人材紹介会社のキャリアカウンセラーには無理。と言ってたし・・・

今の私なら、間違いなく、自衛官のキャリアを言語化して、企業とのマッチングができるし、売り込みする自信がある。
それができるようになったのは、徹底的な内省と、10年のビジネスキャリアを積んできたからだ  

結局、狙いを定めた2社に自社HPから応募
1社はコーチングの企業
1社はネットで野菜を売るというチャレンジをしている企業

なかなか上手に自分を表現できないが
・30歳になる前
・根性はありそう
・防衛大学校卒業って、エリートじゃね?

そんな下駄も履かせてもらったのでしょう
コーチングの企業は説明会参加後、書類提出。しかし書類選考で終了
もう一社は、事前に書類提出。誰でも説明会に参加でき、その日に集団面接というプロセス。
会ってもらって話ができれば私の魅力を絶対に知ってもらえる。と訳のわからない自信もあった。

実際、集団面接翌日にはすぐに役員面談となり、あっという間に合格をいただき、転職活動は終了したのだ

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「アラフォークライシス」という本によると

1976年生まれの私の前後数年の世代は、
大卒の就職活動の時は「就職氷河期」
30歳前後の時にベンチャーブームや
好景気になり、リベンジ就活をする人も多かったとか

今思うと、ちょうど、私はリベンジ就活の波に乗ったようだ

(その後、リーマンショックでまた不遇の世代になり、私もその波に飲まれた一人。これは後ほどお話しましょう)

もし、転職活動をしている時に、実際にキャリアカウンセラーと会って話をしていたら、どんなカウンセラーに出会えたのだろうか・・・
(「たられば」で何かを考えることは、無意味のように言われることがあるが、「内省」するには、一つのきっかけを与えてくれますよ)

お付き合いありがとうございました。
そして、「私がキャリアコンサルタントになったわけ④」を楽しみにしていただけると光栄です

防衛大学校卒、元海上自衛官。その後ベンチャー、スタートアップ経験、経営経験、NPO立ち上げ経験、現在はフリーのキャリアコンサルタントとNPO事務局長の2足の草鞋を履く異色のキャリアコンサルタントです。「生きたいように生きる」がモットー!