#19『君はひとりじゃない。』8/19
金沢市で政治活動をしています。あらい淳志です。
立憲民主党の衆議院石川県第1区総支部長です。
今日は、朝6時から予定がスタートし、そのまま17時までノンストップで動き続けました。
その後、資料など作成し、19時に事務所を出ました。
怒涛の1日でしたが、心地よい疲労感もありますね。
まだまだ、もっともっと、頑張ります。✊
18歳以下の皆さんへ
政府の孤独・孤立対策の一環で、新しく18歳以下の皆さんに向けた、相談用サイトが開設をされました。
『こんなものを作って、何か意味があるのか?』と感じる皆さん。
私は、このサイトができたことを、とても嬉しく思っています。
ぜひ、皆さんにも、一度、目を通していただきたいです。
どんなメッセージが込められているか、見てみてください。
子どもの逃げ場は、どこにある?
日本の子どもたちが置かれている状況は、深刻です。
いじめの恐ろしさは、言うに及びません。他人から拒絶され、否定される経験は、心に大きな傷を残します。
受験や就職、学校生活で一度でも躓き、ドロップアウトしてしまうと、そこから這い上がるのは至難の技です。
その原因には、経済的な事情や、家庭的な事情を抱えているケースが散見されます。
家庭内暴力やネグレクト、性暴力や性自認に関する悩み、最近注目されるようになったヤングケアラーの問題で苦しむ子どもも、少なくありません。
果たして、今の日本の社会は、こうした課題に、ちゃんと向き合えているんでしょうか。
子どもは困ったとき、つらいとき、苦しいとき、誰に頼ればいいんでしょうか?
日本の若者に『自死』が多いのは、なぜか?
目をそらしたくなるようなデータがあります。
日本の若者の死因に関するデータです。
日本の10代、20代で、最も多い死因は『自死』です。
こんな国は、滅多にありません。
キツい言い方になりますが、
『未来を担うべき子どもが生きづらい、病んだ社会』だと、感じざるをえません。
家庭や学校のことで悩み、自ら死を選ぶ子どもが多すぎます。
原因は何か。
私には、なんとなく、理由が分かります。
最大の理由は、日本的な人間関係のあり方と、本来、それを補うはずの社会の機能不全です。
私は、これまで、家族の話を何度もしてきました。
家族は選べないから、ひどい家族に当たったときには、社会がその子どもを守らなければいけません。
でも、日本では、そういう発想が必ずしも優勢ではない。
どんな親であれ、唯一無二の親なのだから、その親のことを敬い、家族を大切にすべきだという規範が、今も根強く残っています。
私も、別に、その事を否定するつもりはありません。
でも、その原則を徹底しすぎて、子どもを守れなかったら、元も子もないのです。
子どもは、親とは別人格であって、自分の意思で家族と向き合い、その関係性を築くことができる。
それを、『社会』が仲介するようなあり方こそが、本来、目指すべき姿だと、私は思います。
今の日本には、この『親と子の対等性』と『社会の重要性』に対する感覚が、まだまだ足りていない気がしています。
学校も同じです。
いじめが起こったとき、日本の教育現場は、後ろ向きの対応に終始し、見て見ぬふりをすることがあります。
全てがそうだとは言いません。心ある教師の皆さんや教育委員会が、しかるべき対応をしたケースは、たくさんあると思います。
でも、それとは正反対に、教師や教育委員会が全く子どもの悩みに向き合っていなかったのではないかと、思わざるをえないケースも、起こるのです。
私は、日本の教育現場は、少なくとも、いじめについては、もっと切実に、子どもを守る『社会』として、強い機能を発揮すべきだと思っています。
子ども同士の問題だからと、静観をすべきではありません。子どもの状況を、大人がよくよく観察をして、必要とあらば迅速に子どもを守らなければいけません。
これは、児童相談所などについても同じです。
子どもを守る砦である『社会』の役割が小さすぎる。権限が弱すぎるのです。
その分、私的な領域は自分たちで解決をしてください。そんな自己責任の論理がまかり通っています。
私は、日本の社会の弱さが、子どもの生きづらさに、そのまま直結をしていると思っています。
子どもを最後に守るもの
私は、子どもを最後に守れるのは、『社会』しかないと思います。
いわゆる『家族』に、全てを委ねてはいけません。子どもにとっての『家族』は、自分が選べる対象ではないからです。
『家族』は良くない、ということではありません。
『家族』も、『社会』なのです。偶然の産物にしてはいけないのです。
家族も、あくまで他人であって、上下はない。対等な立場で、関係を結べるようにすべきものです。
『近代的な社会』は、偶然の産物ではありません。
究極的には、対等な個人が、自分たちの意思で作り出すものです。
所与のものではないからこそ、最終的な意志決定の権利は、全ての個人に対等に与えられています。
日本の『社会』は、まだまだ、やるべきことがあるはずです。
子どもに寄り添う第一歩
本題から、話がそれてしまいました。
私は、子どもころ、家族のことで悩んでも、誰にも、一度も、そのことを相談できませんでした。
学校で配られた相談ダイヤルや、警察に、何度も相談しようと思いました。
でも、どうせ無駄だと、最後まで自分一人で抱え込んできました。
大切なのは、きっかけです。子どもに対して、悩みを相談できる環境がちゃんと整っているかどうかです。
社会の側、大人の側が、ちゃんと子どもの声を聞く準備はできているか。
今回できた新サイトは、小さな変化ではあっても、国として、子どもたちに寄り添うことへの一つのメッセージです。
まだまだ、足りない部分ばかりです。政治の現場で、その仕事を前に進めていきたいと思っています。
最後に
今悩んでいる若い皆さんへ。
あなたの悩みは、一人で抱え込む必要はありません。
人間は、運という、自分ではどうしようもできないものに左右をされます。
あなたの悩みは、社会の側にも、原因があります。
困ったときに、助け合うために、私たちは『社会』を作っています。
どうか、一人で抱え込まないでください。
逃げてもいいです。
逃げた方がいいことが、たくさんあります。
あわてる必要はありません。
ちょっとくらい回り道をしても、大丈夫です。
大丈夫な社会を作ります。
とりあえず生きていたら、いつか、生きていく理由が見つかるかもしれません。
自分で終わらせてしまうのは、すごくもったいないです。
子どもが絶望する必要のない社会を作ります。
理由なんてなくていい。
ただ、生きていていい社会を作ります。
そうすれば、人間は、自分で生きる理由を見つけられるのです。