母娘の絆、信じる心
今回で皇室関係の記事は終わりです。
今まで長い文章を読んでくださった皆さんには心から感謝申し上げます。
私がこのテーマで書く、と決めたのは、
54年生きてきた私の半生はさほど遠い道のりじゃなかった、と思っているのは自分だけで、30年〜40年前など、20〜30代の皆さんには見たことも聞いたこともない世界だということなんだな、と感じたからでした。
ですから、皇族に対する見方や感覚も、私が明治、大正生まれの親類や両親から聞いたものと、現在メディアやブロガーの皆さんが報じるものとは明らかに違います。
まず第一に目線が違うのです。戦後昭和天皇皇后両陛下は、数々の場所を巡り慰問を行いました。合間には、宮内庁が取り仕切る会や叙勲式などでは、一般国民が唯一天皇皇后両陛下を直にめにする機会でした。
その時の皆さんは、頭を深々と垂れ、陛下には目を合わせず常に恐縮しながら応答をする、という姿を目にしたものです。私は両親に尋ねました。人とお話をするときは、相手の目を見てお話をしましょう、と幼稚園で教わったのに、みんな天皇陛下を見ていないよ、と。すると、両親は
天皇陛下は神様なので、私たちは直接お顔を見てはいけない、とみんな教わっているのよ。
と言うので驚きました。
50年前は本当に皇室は幾重ものベールがかかっていて私たちにはどのような暮らしをしているかなど想像もできないほど謎の多い存在でした。
それを今で言う「開けた皇室」を目指したのは、一般国民と成婚された上皇天皇と皇后様だと思います。
特に美智子様は、謎すぎる皇室での生活について詳らかにし、ただただ恐縮して崇める象徴天皇ではなく、国民が心から打ち解けて皇族を愛せるようになるための立役者であったと思います。
特に子育てについては、侍従や侍女に厳しく躾けられてきた宮家のしきたりとは別に、一般の同世代の人たちとも親しく交流できる環境やルールを少しづつご子息方に享受されていった様子が私たちにも報道をされ、知ることとなりました。
特に、美智子様がこのような教育方法を採用されたのは、後の天皇となる徳仁様、それを支え続ける文仁様、そして将来嫁ぐことで皇室を離脱なさる清子さまができるだけ国民に寄り添える存在になれるように、という配慮があったのだと当時の国民は重々に察していたものでした。
特に、娘の清子さんは女性ですから、いずれは結婚をし皇室から離れ、普通の生活をするようになると言うことを考え、家族との思い出をたくさん作りました。
美智子様と清子さんが御所のお庭や御用邸の避暑滞在のご様子などでお二人仲良く散歩をなさったりのんびりとおしゃべりをしている様子も報道されました。そこには何のゴシップもなく、親子の和やかな雰囲気が映されていました。
当時美智子様が、自分を良き母に見せるよう娘を引き立て役に連れ回したような噂を流す人たちがいます。そこで私は、皇室に親しい知人たちに真偽を伺うと、
まごう事なく、この親子関係はとても深く、現在も変わらずその絆は硬い
と確信できる返答を貰いました。
美智子様が清子さんと共に雅子皇后をいじめてきた、などと言う噂は女性誌でもよく見かけるものですが、上記のように生の皇室に触れた人からの話には、そのような安っぽい姑の邪気など全く感じられません。
美智子様は赤十字名誉総裁を長く務められ、上皇后に成られてその任務を雅子さまが立派に引き継がれています。皇后陛下の大事なお仕事の一つである養蚕の仕事も雅子様が努めていらっしゃいます。習わしなため、美智子様は雅子様にも時には厳しくご教授、引き継ぎをされたと思いますが、それは嫁いびりとは言い切れません。どのお勤めも神聖なもの、怨恨を絡めて務まる仕事ではないからです。
美智子様は、その美貌とお育ちの良さから、ご成婚前後から妙な嫉妬や妬みを受けてきたと母から聞きました。それを考えると、国民全員が姑となってその一挙手一投足を凝視してきた歴史でもあったでしょう。
これは、雅子皇后も同様で、長年のお身体の不調もそのようなものから生じた精神的ダメージも原因であったのではと思います。
ここで私が一番懸念しているのは、一連の悪質なゴシップの源が、皇室、宮内庁関係者からの告発ではないか、という事です。
皇室という特別な場所のに職務を得た事で、自らの立場を見誤ると、我を出しその職を執り行うようになるものも出てくるかもしれません。厳格という皮を被った強引さやエゴを持ってイノセントな皇族方に接してはいないだろうか、良かれと思ったことを咎められ恨みの果てに皇族の人々を悪くいうようになってはしないだろうか、と。
感情を面に表現するとき、その人の本音が出ます。しかしそれはあくまでもその人の本音であって、事実かどうかは別なのです。
裏どりをした!と皇室バッシングに勤しむ自主ジャーナリスト達がSNSに振り撒くネタは、全てとは言いませんが、そのような類が多いのでは、と感じます。
何を信じようがその人の勝手ではあります。しかし、もし何かのソースを嘘偽りない事実だと信じる前に、私たち自身もある程度は調べる必要があると思います。
人1人を叩く時には、その人の尊厳を無知で叩いているのと一緒なのだ、と知っておいてほしいです。その上で、何か不正があった場合、これもご自身である程度はしっかり調べ、ファンタジーが混じる事ない事実であることを確信してから、真偽を見極めてほしいです。
私が見た範囲だけでも、たくさんの人々が情報を信じ崇拝しているジャーナリスト等の配信動画をつぶさに見ていると、最初は何度も裏どりをしていると言いながら、まとめの段になると想像を加えた総評で締める人が多いです。
まとめで真相について断言ができない話でないものは、いくら1〜2時間熱弁されているとしても信じる価値はないかもね、といつも思う感想です。
長い記事を読んでくださって本当にありがとうございました。
次回はまた違うテーマを探して執筆いたします。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
楽しい週末をお過ごしください。