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覚書
しばらく、note書かなくてもいいかなと思う。なにか書いていても予定が進まないから、ということもあって。できるだけ、じっとしているのではなく、何かをし続けていた方がいい。
それでもちょっと、いま思い出したので書いておく。
2日まえくらいか、佐藤初女さんの言葉をいくつか読み返していると、それがこれまでになく、深く浸みわたってきて、良かった。
そのうちの、いくつか。
信仰
信仰のみなもとは、愛を受け容れること。
それは誰もが生まれたときからできていることで特別なことではありません。
信仰は自分でつくるものでなく、与えられ受けとるものです。
そうか、信仰は、「与えられ受け取る」ものなのだ。その過程が、とんでもなく厳しいこともある。確かに、言われてみれば、きっと生まれたときから、信仰を(または信じることを)「与えられ」てきていたが、あるとき「受け取る」ことが出来ずにひどく後悔したので、それからはとにかく「受け取る」ように常に意識しまくるようになり、そのことが、自分を支えてくれたと思っている。
私は、そうだった。それだけだ。
「いのちをむすぶ」という本だ。この本の言葉はどれも読みやすくて、とても短いが、短い言葉であるから足りないとは感じない。ていねいで、行き渡った中身だ、言葉は長い・短いでは測れないのだろう。
自分が気になってきていて内心さまざまに思っていたことも、佐藤初女さんの言葉に置き換わってそこにあるのを読む方が、ずっと感動する。初めて読んだときも感動しなかったわけではないが、今改めて読んでいると、言葉がもっと奥深いところに入って浸透していくのがわかる。この言葉は渇きを癒す。啓蒙書や人生指南も役にたつんだが、時間のない人は、この本だけで、いいと思う。困っているとしても、これ読んでたら大丈夫だ。
わたしのいろいろ好き勝手で、想像混じりに抱えている信仰と、初女さんの信仰と、きっといろいろに違うんだろうが、同じであるともいえなくはなく。私はクリスチャンであるわけでは、ないから。だけど信仰は自由であってよく、違っていても重なりあっている、と感じる。
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