タイトルという、箴言が、過去の迷妄とそうじゃないもの(また現在の迷妄とそうじゃないもの)を明らかにしてくれるよ
うん。
そういうわけだからそういうわけなんだ。
というか、そういう働きをタイトルに持たせていきたいなと思った2020年。
皆さまは、いかがお過ごしでしょうか。
笑っていますか?
わたしはげっらげら笑える動画を見つけて、ほんと、それ見て笑ってたら、大切な記憶がよみがえったんですよ。
いい正月だ、と思っています。
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そのうちいつか、とか、今度、とかってね、無いっていう人いるけど。そういう心構えはいいとして、そういうつもりで生きる、はいいとして、そんなことは、ない。それって計り知れないものがあって、そもそもどんなにわかりきったように見えることでも、やっぱり計り知れないものがなかったら、この世ってつまんないんじゃないかと思う。
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新しい道、獣道。
違う生き物には思いもよらない通り方があって、人がふつう思う道にはなっていないけど、ある生き物にしてみれば、そこは通れる。そういうことって、いっぱいあるよね。けもの道に限らないけど。
脳の中で、何度も何度も繰り返された考えや物語は、いわば大通りとか、高速道路みたいに、わかりやすく流れやすい道になるというけど、そういう道っていうのは、別に絶対ではなくて、ただ、脳は楽したい子だから「そっちでいけばいいじゃん」という不遜な態度を常に持っている(らしいのだ、どうもそうらしい)
でもそういう道こそ気をつけないといけないから、やりきれない。そもそも騙されやすいのだ、脳は。わかりやすく流れやすい道にはまると、「そうだそうだ」「感動した!」「感動したっ!」となりやすい。「情に棹させば流される」まさに、「ん?」と思いつつも流されてしまうことが、ある。
それでいいんだろうか。と、思ってしまう。それでいい、と思いたいこともあるからなおの事、そうだ。それで、よかったんだろうか。
狭き門から入れとも、いう。滅びにいたる道は広くて大きいよ。それらしいよ。言ってほしかった言葉のように甘いよ。こっちの水は甘いよ。ほ、ほ、ほーほほほ。
いやもちろん、ほんとの感動はある。ホンモノだと思えばそうなのだ。
過去を振り返るとき、様々の、忘れがたいほんのひと時。だけどそれを絶対にしたらそこで止まってしまうし、振り返ってもあまり意味がないこともよくあるのも、確かで、じゃあどうせなら過去を見る時さえも視野を広げてみよう。
そのとき注視していたものではなく、むしろ、気づいていなかったことや忘れていたことに意識を向け、またほかの世界・ほかの時間と並べて、繋いでみるのだ。
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生き延びるために創造はある。おそらく。なんのためだか、よくわからない。不快だったり、だからどうしたと不満になるような、わからなさ。しばしばその表現は、希望が消え去るほどに虚飾なく、救いもない。にも、かかわらず。
生き延びるために創造はある。だからそれは幾多の、見えない、無数の、狭き門だ。現代アートやスピリチュアルに注目や期待が集まるとすれば、それだけ状況は切羽詰まっているのだろう。
でも、だから、笑っていますか。
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自分は、なにが、悲しかったのかな。さらさらと、日の光が冷たい空気に混じる音がした。地面に近いところにいた、そのときはただ、安らぎにもっとも近い感じがあった。もっと遠い日の、全く違う場所。ひじょーに、幼いころ。こんな、気持ちでいたような気がする。
しかしほどなくして、ひっぱたかれたり、つねられたり、叱られたり、なんやかんや、逃げ回りたい日々が始まったんだったな。絵本の世界に閉じこもるか、絵や字を書くのが好きだった。「た」という文字が好きだった。しかしひとり没入して遊んでいるとそれをぶっ壊しにくる輩が出現した。結局わあわあ泣いて、こっちに痛い思いをさせた子まで、泣いていた。ふざけんじゃねえ。笑。なんだったんだ。なんでもないんだ。ただ、ただ。ぎゃおぎゃお。ぎゃいぎゃい。
穏やかな人が好きだった、余裕がありそうで好きだった、平和にゲームでもしていたかった、おしゃれな人がすきだった、あんまり見ないような、その人しかやらないような、ほんとうにきれいだなという色合わせのできる人。ドンキー・コングが好きだった、ゲーセンのテトリスが好きだった、テトリスの達人のおじさんを後ろからみて尊敬した、子どもはうるさくていまいましかった、そういう自分も子どもだったけど、自分はいつも年寄みたいだった気がする、車が嫌いだった、外から見れば排気ガスが臭かったし、中に乗るとまたちがった臭さがあり、乗っているとかならず気持ち悪くなり、吐き気がするから、嫌だった、
考えたらこどものころ猫みたいだった、好きな物しか好きではなく、どうでもいいことはいっさい気にしなかった、どこでもねたきゃ寝ていた。こどものころはパワーがあるから、野菜なんか食わなくても元気だよ。
気を使って話したりしなかった、わかるだろうという固有名詞を混ぜたりしなかった、共通認識だろうという知識やらをまじえて話そうとしなかった、考えるとそういう媚びるということをしなかった、サービス精神がなかったともいう、ただ勝手に生きていたところが大きかった、たぶん、そうできるときはめいっぱい勝手だった、ぼーっとしていたと思う、だいたいがぼーっとしていた。ウスノロ!と言われたりしていた。活発な子にウスノロって言われてたけど、それについては腹も立たなかったりした、やっぱり、言い方なんじゃないか、同じ曲でも演奏する人によって全然違う、演奏によってはコレジャナイ感がすさまじい。でもまあ失礼なやつは嫌いだ、当たり前かもしれないが、無礼なやつとは関わりたくない(とこう思えるまでが長かったと、思う)。
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なにか子どもの頃の記憶が蘇ってきてそんな話をぽつぽつ書いてしまった。