忘れっぽい私や誰かのための短い読書 12
会話を必要以上に長びかせたくないので、ビリーは溝に寝ころんだまま、口をつぐんでいた。だが内心、残虐行為について知らないわけではない、と言いたい衝動をかすかにおぼえた。ビリー自身、子ども時代にはほとんど毎日朝な夕なに、拷問やむごたらしい傷口のことを空想したものである。イリアムの彼の小さな寝室の壁には、むかし身の毛もよだつ十字架像がかかっていた。槍やいばらによる傷、鉄の釘がうがった穴ー想像力たくましい芸術家の解釈になる、キリストの全身の傷の臨床的迫真性は百戦錬磨の軍医すら賛嘆の声をあげかねなかった。ビリーのキリストは無残な死をとげた。かわいそうなものだった。
そういうものだ。
むごたらしい十字架像とともに成長したビリーだが、彼はカトリック教徒ではなかった。彼の父親は無宗教であり、母親は市内のいくつかの教会をかけもちする代理オルガン奏者であった。母親は必ずビリーをつれて演奏に行き、彼にもオルガンのてほどきをした。どの教会が正しいか見きわめがついたら、そこの信者になるつもりだ、というのが口癖であった。
けっきょく、見きわめはつかなかったらしい。そのかわり彼女のうちには、十字架像へのあこがれが年を追うにつれ高まっていった。そして大不況の最中、一家が西部へ旅行に出かけたおり、サンタフェのみやげもの店で像をひとつ買いいれた。アメリカ人の多くがそうであるように、彼女もまた、みやげもの店で買う品物から意味のある人生をかたちづくろうとするタイプの人間であった。
十字架像は、ビリー・ピルグリムの部屋の壁に飾られた。
カート・ヴォネガット・ジュニア スローターハウス5
(*太字は自分がしました)
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