推しを求めて5泊6日の旅その3〜そらをとんだわたし〜

 カプセルホテルで私は己の睡魔と闘った。
 ホテルの寝床の居心地は良かった。寝る前に浴びたシャワーも問題なし。問題だったのはチェックインの時に受付のお姉さんに言われた言葉だ。
「アラームはつけないようお願いします」
 思わず聞き返してしまった。同じ事を言われた。

 私は今回で飛行機に乗るのが3回目になる。1回目2回目は前回の熊本旅行の往復によるものだ。その時1回目も2回目も出発時刻がズレた。私はこの時「飛行機とは時間通りに動かないものなのだな。ということは少しでもはやく空港に向かったほうが良さそうだな」と思った。実際これは間違いだったのだが久しぶりの遠方一人旅で緊張していた私は早起きしてさっさと空港に向かおうということで頭がいっぱいであった。

 なのに、だ。まさかアラームをつけてはならないといわれるとは。
 一応私は、目覚まし機能を使わなくても毎日ほとんど同じ時間に目を覚まして支度をし出勤ができる優秀社会人だ。だがそれはあくまで自宅だから。夜行バスを使った後の疲労した身体でそのいつも通りができるかと言われたら自信はない。
 何故アラームを使ってはいけないかは理解している。通常のホテルと個室間において比べ壁といえる壁のないカプセルホテルである。騒音、良くない。
 
 よほど疲れていたのか頭がいつもより壊滅状態であった私は考えた結果このような決断をした。

「寝なければいいや」

 今思えば頓珍漢にも程がある。
 しかし当時の私にはこれしかなかったのである。寝て起きれないのなら、寝ないのである。馬鹿である。
 と、このような決意をしたわけだが、疲れていた私は案の定寝てしまった。しかしやはり緊張していたのか出勤するときよりもはやく目が覚めた。朝の5時。早すぎだ。飛行機の予定時刻は昼。早すぎる。この日の東京での予定は空港に行くことのみなのに、早すぎる。二度寝という言葉が頭をよぎったが私はそれを振り払った。ここで寝たらとんでもない時間に目を覚ましそうだからだ。寝過ごすよりはマシだ、と考えた私はいそいそと着替えを始めたのだった。

 前回の旅行は羽田空港だった。
 今回の旅行は成田空港だ。
 成田空港に着いた時刻は出発時刻の3時間以上前だった。早く着きすぎた。
 フードコートでコーヒーを飲みながら私は辺りを見渡した。フードコートにいるのはもちろん日本人だけではない。アジア、ヨーロッパ、アメリカ等等いろんな人種の人間が、美味しそうにリンガーハットのちゃんぽんを食べている。
 誰が食べても、美味しいちゃんぽん。世界が認めた、ちゃんぽん。
 出発時刻が近付いてきたので私もリンガーハットのちゃんぽんを食べ、急いでゲートへと向かった。

 初めてのLCCだ。思っていたより前後左右の座席と距離が近く私は戸惑った。前に乗ったANAは程良い距離感とコーヒーが付いてきた。今回はコーヒーなんて無かった。なるほどこれが格安航空。
 じわじわとゆっくり動き始めた機体に少しそわそわしながら私は外の景色を眺めた。席が3列並ぶ中の真ん中の席だった。窓側に座る男性に申し訳ないと心のなかで謝りながら顔は正面を向き、目線だけ窓に向けた。
 滑走路をゆっくりと移動していた飛行機は少しずつスピードを上げ自動車と同じかそれ以上のスピードで走っていく。そして気が付いたら空を飛んでいた。飛行機は陸からどんどん離れていき、あっという間にお空の上だ。
 青い、と思った。空の青と海の青だ。滅多に見ることのない景色に私は心躍った。人間が雲と同じ高さにいるなんて、そんなことあっていいのか?!なんて思いながら私は景色を見た。少ししたら飽きて持参した文庫本を読みだした。
 
 飛んだ機内の中で耳の感覚がおかしくなったり、長時間座ったせいかお尻が痛くなったりとハプニングがあったが私はなんとか阿蘇くまもと空港に辿り着いた。

熊本といえばくまもん
ONE PIECEの作者の出身地

 空港で写真を少し撮り満足した私は空港から熊本市内までのリムジンバスに乗るためバス乗り場へ向かった。激混みだった。なんだこれはと叫びそうなほどの長蛇の列に、皆どんだけ熊本市に行きたいんだよまぁ私もだけど!と思いながら長蛇の列の一員となる。
 私の後ろに並んだのはお年を召した2人のお姉様だった。それなりに大きな声で楽しそうにお話されていて思わず悪いと思いながらも私は耳を澄ましてしまった。
 会話の内容は詳しくは覚えていないのだが、たしか「〇〇のワインは美味しい」「〇〇は最高」のような話だったと思う。なお〇〇は外国の地名だった。
 金持ちトークを聞いているとリムジンバスがバス乗り場に着いた。列の先頭からバスに乗り込んでいく。さぁ次は私だ、というところで恐れていたことが起こった。

「はい、お客様から後ろの方は次のバスでお願いします」

 フライトで痛みまくるお尻と立ちっぱなしでバスが来るのを待っていた足は悲鳴を上げている。私の下半身はボロボロだった。交通会社のお姉様の言葉に泣きたくなったが私は大人なのでなんとか我慢した。ありがたいことに次のバスまで何時間も待つわけではない。ほんの十数分待てば次のバスが来る。地元の1時間に数本のバスや電車とは違うのだ。
 後ろから聞こえる金持ちトークにギリぃっと唇を噛み締めながら耐えていると、予想よりもはやくバスが来た。私はほっと息をついてバスに乗り込んだ。


 バスは熊本市内にはいった。
 熊本市内は、田舎過ぎない田舎であり都会過ぎない都会である。居心地が良い。ちなみに地元よりは都会である。
 地元にはない路面電車に心が踊る。そんなに大きい訳では無い通りにも路面電車は走る。この町で私は車の運転は出来ないだろう。電車怖い。

 熊本駅前でバスを降りた。

はるばる来たぜ 熊本へ


 久しぶりの熊本駅。ただいま、熊本駅。
 しかし感動の再開なのに私の心は沈んでいた。
 すっっごく疲れていたのだ。長時間の移動、重たい荷物、空腹。予定ではこの後熊本城を見てニヤニヤするはずだったがそれどころではない。早く宿で休みたい、その前に腹に何かを入れなければならない。
 私は虚ろな目で駅の横にある商業施設に入った。フードコードで熊本ラーメンを食べた。美味かった。地元ではあまりない豚骨スープに麺。とても美味しかった、が正直あまり味を覚えていない。

 すっっっっっごく、疲れていたのだ。

 にんにく臭い口内になった私は宿へと向かった。
 今回もカプセルホテルである。疲れに疲れた私は「この疲れ、とれるのか…」と怯えながらチェックイン。決められたスペースに荷物をぶん投げ、ベッドに寝そべった。

 まさか、こんなに疲れるなんて。
 コロナ禍前もほとんど同じ日程で旅行をした。その時はこんなに疲れを感じなかった。荷物をホテルに置いて夜の街をぶらぶら歩き回っていた。しかし今回はこんなにボロボロだ。これが、老化……?憧れの土地熊本に降り立った喜びよりも、老化を実感したことによる哀しみの方が大きい。私は可能であれば毎年熊本に行こうと思っていた。しかしこんなに疲れるなんてもしかして来年は難しいのではないだろうか。
 辛い、辛すぎる。
 老いることを嘆いていると、スマートフォンが着信を告げた。母親だろうかと画面を見るとなんと兄だった。
 私には年子の兄がいる。
 兄は私と違い頭が良い。私は良く言って並レベルの高校に入ったが兄は進学校に入った。私は文系で短大に入ったが兄は理系で東京の国立大学院を卒業した。私と兄は暮らす世界が違うと思っていた。そんな兄からの電話だ。何事かと不思議に思った私はベッドから起き上がり小走りで電話のできるスペースを探した。
 階段の踊り場まで走った私はスマートフォンの画面をタップした。
 兄と軽く挨拶を交わした。兄は私が熊本に来ていることを知っていた。母親から聞いたのだろう。とりあえず疲労がやばいことを説明した。
 老化だ仕方ない、と自分でもわかっていること兄からも言われイラっとした。自分で分かっていることを人から言われると、どうしてこうもイライラするのか。電話を切ってやろうか、と思っていると兄の声色が変わった。
「あのさ……聞きたいんだけど……」
 真剣な声に唾を飲み込んだ。
「どうしたの?」
「ウ〇娘のライブ行くんだけどさ、何か必要?」
「は?」
 私の知る限りだと兄はそれなりにオタクである。よく言う男性向け作品に関心があるかは分からないが、ジ〇ジョやワン〇ース等アニメ、漫画好きの人が好む作品は一通り触れているという印象である。だが私と違ってイベントには積極的に参加するイメージは無かった。だから、驚いた。
「え? ライブ行くの?」
 私が訊くと兄は当たり前だという風に言った。
「推し活でもしないとやってらんない」
 もっともである。兄は今回のライブが初めてのライブ参戦らしい。私はアニメのイベントはもちろんバンドのライブやコンサートにも参加したことがあった。とりあえずペンライトを購入し余裕があればタオルでも買っておけと伝えた。
 今までどこか遠い存在だった兄が身近に感じた不思議な時間だった。
 その後、兄が即売会にスタッフボランティアとして参加するかもしれない話や課金をどれくらいしているか、そして兄の推しの話を聞き、大変お腹いっぱいになった。お前もオタクだったんだな、人間だったんだなと思いながら通話を切った。

 スマートフォンを握り、またベッドに横になった。
 さぁ、明日は推し(刀剣)と推し(城)に会う日だ。朝一で乗る電車の時間を確認し、寝た。

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