25歳ニートゲーマー、人生を考える
この記事は、見る人が見れば「今更そんな事に気が付いたのか?」と思われるかもしれないが、最近頭を悩ませ続けて仕方が無い事。
自分にとって何か好転する切っ掛けになればと思い書く。読む人にとっては上記のように嘲笑してくれたって良いし、同じ悩みや不安を持つ人にとっても考え直すきっかけや気付きになれば幸いだ。
前職を辞めた理由
題名通り、私は現在職に就かず貯金を崩して好きなように暮らしている。
前職には新卒で3年間勤めていた。正社員で給料も悪くなく、在宅勤務ができ、人間関係で特別困っていたわけでもない。しかし辞めた。
仕事に関しては100%苦しい訳では無かったが、100%楽しい訳でもない及第点といった所。当たり前だ、自主的にみんながやりたくなる事に給金は発生しない。
問題は生活の部分。ライフワークバランスで言うライフに当たる部分だ。ゲームや音楽鑑賞等の趣味はあったが、仕事のストレスを緩和しきれていなかった。何なら休日に仕事の事が気になって気が付いたら月曜日だったなんて経験もした。生きるのが下手。
そんな折、所謂いつメンの中で話題だった新作のゲームがリリースされた。
それを私以外の殆どが初日で遊び倒し、感想戦を私がいる場でしていた。その時素直に羨ましいと思った。
私がよく遊ぶいつメンの殆どはサラリーマン・正社員のまともな職には就いていなかった。しかし、自分の人生なんだから好きにさせろと言わんばかりにキャリアや恋愛等の関心が薄く、自由気ままに生きているといった雰囲気。
「いいなぁ」と思った。私だって専卒だし、食うのに困らない技術があって平社員でいられれば良いやとしか思っていなかったが、ここまで自分に我儘で生きられるのが良いなと思った。だから3年働いた職場を辞めた。
ニート前半期
自由こそが豊かさだと思った。
好きな時間に寝て、好きな時間に起き、何の制約もなく好きな事を好きなだけ出来る。
行きたかった温泉旅館に行き、気が向いたらゲーセンに行く、23時にモンスターエナジーのキャップを開け、日が昇るまでラジオを聴きながら時間の溶けるゲームをし続け、飯を食いながら好きな音楽を3、4時間ダラダラと聴き続ける。
特に当時はブルーアーカイブにハマっていて、イベントストーリーやキャラクター性を深く咀嚼し、自分にとって100点の解釈を探すのがたまらなく楽しかった。甘い秘密と銃撃戦・ON YOUR MARK・Get Set,GO!・パヴァーヌ編2章・エデン条約編3章4章・最終章辺りは本当に面白かった。ガワは美少女アニメ物なのにキャラ造形にギャップがあり、音楽や表情差分の演出とテキストの読みやすさが好み過ぎて凄くハマっていた。(今も大好きです)
閑話休題。この時期はとにかく自由である事に豊かさを見出していた。
ニート後半期
徐々に息苦しさを感じ始める。
大前提として収入の当てがないので貯金残高は目減りする一方であるが、これはニートになった頃から残高が0になっても良い覚悟があったのでまだ大丈夫、心の隅っこの方でじわじわと精神を蝕んでいるが。
問題は、私自身のニート適正だった。流石に同じような生活を何ヵ月し続けていると飽きは来るもので、新しい趣味や楽しい事を探せばいいと思うのだが、ビックリするほど思いつかない。仮に思いついても着手しない。これマジでなんなんだろう?
何やっても良いですよと言われて何もしない。何もしたくないからしない。きっとここを許容できるかどうかがニートの向き不向きに関係してると強く思った。私自身の裁量で生産性のない行動をする自分がとにかく許せない。
ともあれそうすると必然的に虚無を感じる時間が増える。まさかの「自由」に苦しめられるという展開だった。
そうなると外部からの刺激に頼りたくなるが、残念ながら私は非常にインドアであり、ニートなので派手に金を使えるわけでもない上、交友関係が非常に狭い。結果いつメン頼りになる。相手の休日に合わせてゲームなり出掛けるなり雑談なりをしていた。その楽しさは担保されていたのだが、相手とペースが合わないこともやはりある。ニートの虚無を埋め切れる程ではなかった。
そうこうしているとニートのまま20代の折り返し地点、25歳に来てしまった。
現在
さぁ25歳。ついに来てしまった25歳。
この記事の執筆時点の私はこの25歳という数字に異常なプレッシャーを感じている。
一つ目は長い間ニートだったので、「夏休みの宿題踏み倒すつもりだけどやっぱり2学期が始まるのをどこかで恐れながら最後の2週間を過ごす小学生」のような気が強いのか弱いのかわからないメンタルである事。
二つ目は20歳から25歳の体感経過速度が尋常じゃなく速かった事。歳を取ればとるほど1年が短く感じると言いますが、年々右肩上がりで速くなっている感覚がする。体感20歳の1年間と23歳~24歳の2年間が同じで「まだ半年しか経ってないと思ったら1年終わってた」と感じた。20歳の時に感じた30歳との距離感と25歳の今感じる30歳との距離感は全く違います。
こうなると私が中学生の頃に立てた人生設計である「40にはどうせ俺死んでるからw」は通じません。惨い事に気が付いたら30・40・50・60と生きていきます。生きてしまいます。
40歳までプランなら肉体に衰えはあれど、稼働は出来るし、行き当たりばったりで好きに遊び続けて死ぬ事は出来る。しかし、60歳・70歳まで生きるビジョンが見え、少しでも豊かに生きようと考えると話は変わってくる。
30歳の私・40歳の私・50歳の私・60歳の私が25歳の私をどう見る?このままでは13歳の私を見る25歳の私のように怒声で𠮟りつけられる気がする。
三つ目が二つ目ともかなり共通する内容だが、一人では豊かさを創出しにくくなった事。ニート後半期にも似たようなことを書いたが、この記事を書く決心をさせた出来事があった。
前述のいつメンとやるゲームを決める流れになり、なかなか決まらなかった。誰かのやりたいゲームは誰かが納得できない。そんなやり取りを20分程した後、4人中2人が納得する提案を私が妥協してOKした。4人中3人がOKを出したが最後の1人はNGだった。これに怒りを覚え、その後お開きとなった。
後から考えればそれぞれのスタンスの問題であり、良い・悪いではなく、単に合わないだけだったという話だ。時間を浪費して生産的な結果を導けなかったのは全員同じなのだから誰が悪いとかそういう話ではない。
ただ、いつメンと遊ぶ時間がポシャった際の代替案が乏しい私からすると困る。だから渋々妥協案を承諾しようとしたがそれも蹴られて頭に来てしまった。
だが、それはいつメンに固執(自覚無し)している自分に問題がある。それをまざまざと実感させられた。私のやりたいゲームを一緒にやってくれる友達が他にいればそっちに頼ればいいだけじゃないかと。もっと厳しく表現すると自分が楽しく過ごすためにいつメンをツールにし過ぎたんだと。
長くなってしまったが、要は「自分と遊んでくれる友達をいっぱい作って楽しく暮らそう」だ。人間が習得する技能で小学生レベルの能力がこの25歳には欠落していたらしい。
なので現在やりたいゲームのDiscordサーバーに片っ端から参加している。幸いモンハンとcivという元々大好きなシリーズかつ、マルチ対応のゲームが今月はリリースされるので新しいコミュニティをガンガン発掘していこうと思う。ようやく前向きな話が出たなこの記事。
展望
今後数年で私は、希望した職に就き、健康に気を配り、活発に行動し、趣味の合う新しい友人を見つけられるかどうかは分かりません。ままならない生き物なので。
ただ、25歳の私が自身が抱える問題を文字に起こし、電子の海に投げる事で正面から向き合った事だけはこの記事が証明してくれます。