フランスで、臨月のお腹を抱え、君たちはどう生きるかを見て。(後編)
前回、魔が刺してしまい、我慢していた宮崎駿監督の最新作を
5歳の息子と一緒に冒頭だけ観て映画館を後にした話を書いた。
今回は、その六日後、臨月に入ってすぐの出っ張ったお腹で
ついに鑑賞できた話をしようと思う。
息子のバカンスは先週で終わり、月曜からは通常営業に戻った我が家。
月、火曜日はバカンス中に溜まった家事を一気に済ませて、無事に
水曜日を迎えた。
午前中は、絵の方に手をつけて、いよいよ午後は映画館へ。
1人で映画館に行くのはいつぶりなのか、全く思い出せず。
上映室は、一番上の5階だった。
エレベーターで上がっていく間、気持ちがどんどん高揚していくのがわかった。上映室の扉を開けると、私以外には4人。
母親に連れられた小学生の子供2人と、長髪の若者1人。
前回来た時ほぼ満席だったのは、やっぱりバカンス期間中だったから
なんだな。14時からの回はフランス語吹き替えで、21時半からの回は
日本語音声にフランス語字幕の回のようなので、本物のジブリファンはその回の方が多そうだ。
14時ピッタリ、他の観客とは最大限に距離を置いて、後ろから3列目の席に
腰を下ろした。座ってみると、だいぶお腹がつっかえる。
広告が終わって、いよいよ始まる。東宝のクラシカルなオープニングが
流れ、懐かしさが込み上げた。
映画本編に関しての感想は、ネタバレになってしまうし、素晴らしい考察や感想はネットやnoteに溢れているので、私は私的な感情の吐露を書き留めることにする。
開始早々、母親のいる病院の方に空爆があって、その様子を見にいくシーンで、もう泣いていた。
マヒトが一緒に走る姿を観て、なんだか自分も走っているように胸が苦しくなったのだ。
足音や息使い、路上で苦しむ人々、火の中に消えていく母の姿。
自分の子供にこんな思いを絶対にさせたくない。戦争はなんて酷いものなんだ。
今、パレスチナで罪なき市民が何の手立てもなく、犠牲になっている。
今までジブリの作品を鑑賞する時に、現在進行形の戦争が頭によぎる事は
なかった。私は幸運にも、宮崎作品を幼少期から成人するまで大いに堪能させてもらった世代だ。宮崎監督は作品の中で戦争の恐ろしさをファンタジーを織り交ぜながら、子供も観れる程度に描いてきたが、2023年の今、ウクライナで、パレスチナで、戦争や市民に対する殺戮が行われている。
冒頭から、今、この作品が世に出ることに意味を感じた。
日本人は、戦争の愚かさを忘れ過ぎていて、他国で起こっている悲劇に何もできないままでいいのかと、憤りを覚えた。
あと10年もすれば、戦争を体験した世代はほぼ居なくなってしまう。
自分にできることなんて、たかが知れているのは重々承知だけど
世界が、日本社会が、大きな間違いを起こさないようにと、ここの所
心配でならない。
そんなことを考えつつも、物語は終始テンポよく展開していき、途中時計を見たら、あっという間に2時間経っていた。嗚呼、終わらないで!と思った。
エンドロールが流れだし、トトロの刺繍の入ったタオルを濡らしながら、声を殺しつつも、臨月の豊かすぎる感情に任せて大いに泣いたせいでフラフラの体をなんとか起こして、一番に外へ出た。大量の涙で目を真っ赤にした興奮気味の、豹柄の上着を来た大きなお腹のアジア人妊婦である私が、他の人を怖がらせてはいけないと変な自意識が働いたせいだ。
でも、本当に本当に、映画館で見れて良かった。
作品に関しては、千と千尋の神隠し、ハウルの動く城に続く、あと10回くらい観たい映画になった。風立ちぬは、1度見てそのまま、その後は見ていない。あまりハマらなかった。
ナウシカ、ラピュタ、トトロ、魔女の宅急便、紅の豚ほど繰り返す事は無いと思う。子供の頃のように金曜ロードショーのVHSを擦り切れる程観る時間が無いというのもあるけど。
オマージュが多いと聞いていた通り、あぁこれはあの映画の!というシーンがそこらじゅうに出てきたけれど、画家がお気に入りのモチーフを何度も描くように、宮崎監督特有の世界観を、美しい音楽と才能溢れるアニメーター達がとてもいい仕事をして、最後に残してくれたんだなぁという気持ちで観れた。監督の頭の中に存在する美しい風景の中に、今一度招待してもらったような気持ちになった。
たくさんの鳥が出てきた。それらの持つ、美しさ、不思議さ、怖さが多用されていた。動物たち、これから生まれてくる者からの、「 現代の人間達め、これ以上好き放題やるなよ。」という声が聞こえてくるような大発生ぶりも印象的だった。
宮崎作品が凄いのは、何度も何度も観たいと思うところだ。
いい映画やいい小説を繰り返し鑑賞するのはよくあることだけど
宮崎作品は、その世界に思い切り入り込むことができて、映画を見ている間は完全にその世界に没入できるところだと私は思う。
宮崎監督の描いた世界は、この世界のどこかにきっと本当に存在するんだ。
幼い頃、本当にそう思っていた。そして今もその気持ちはこっそりと持ち続けている。
監督の恐ろしく研ぎ澄まされた表現力と有り余る情熱のおかげで、宮崎作品は、アニメ映画という枠を超えていて、私にとっては、異世界への入り口だった。今いる世界を遠く離れて、頭の中に広がる別世界を、主人公と共に
その瞬間は本当に冒険することができるのだ。
こんな映画を作った人と同じ国に生まれて、その作品をリアルタイムで
鑑賞できたこと、それだけでも、自分の人生は恵まれていると思った。
確実に、あと1ヶ月後には、大きなお腹での生活も終わる。
彼女と一緒に観た初めての映画。一生忘れないだろう。
どんな子に育つのかな。一緒にジブリを観てくれる子になっても、ならなくてもいいので、とにかく無事に出てきて欲しい。出産、頑張ろう。
写真はこの文章を書きながら焼いて、熱々のうちに食べた
林檎とチョコレートのパイ。
ヒミが塗った大量のバターとジャムの豪快さ。良かったな。
なぜかそのシーンでも泣いた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?