♪コンテスト参加記事 【心思(しんし)・未来に託すバトン】
未来を守り持続するための取り組み。
アルファベット数文字に略されたこれらの名称、どれがどれやら正しい判断に窮する、なんとも頼りない還暦越え世代の私です。
ちなみに自身が『未来』なるものを漠然と意識したのは、半世紀以上前の幼い日。
絵本やテレビの中で紹介されていた、21世紀なる遥か彼方の世界。
2020年代の今、当時の記憶を引っ張り出して検証してみれば……ここまで。
私たちの子孫が安心して健やかに暮らせる未来のためのプロジェクト。
地球規模・世界規模・私たちの生活エリア規模……声高に推奨されているこれらの多くは、いわゆるマクロ的な取り組みのようですね。
・人々が暮らす環境の維持・復元・改善
もちろんこれらはいずれも、
#未来のためにできること
しかしながら、これから未来をキラキラと生きる、個々の幼い命たちには、
「ダイレクトに伝わりにくい=感じ取りづらいかな?」
こんなふうに感じているのは、私だけでしょうか?
毎日が初体験すなわち新たな発見の連続の子どもたちと、それなりの年月を生きてきた大人たち。
・どんなバトンをどのように手渡すのか?
・純粋無垢な小さな掌が、しっかりと掴み取ってくれるバトン、って?
自身の言動が老害と囁かれ始めていることを、冷静に受け止めています。
若いパパやママ世代から、
「年寄りの話は長くて・難しくて・面倒で……ホント、勘弁してよ」
遠い日に自ら深い考えもなく抱いた感情が、自身に示唆される場面が増える一方で、申し訳ないばかりです。
ようやく本題です。
未来のために、これなら一個人として、実践できそうだぞ!?
あくまで自己責任ですから、お叱りを受ければその場で謝罪から、釈明を試みることができます。
それでも理解許容いただけなければ、そこからは臨機応変に誠意を見せるしかありません。
以下はいずれも、常日頃から実践を心がけている、私の日常所作です。
時代遅れすなわち時代錯誤が隠せぬ、古びたバトン。
差し出す相手は、三次元で出会うことができた、未来ある若い命たち。
KW=心思(しんし)……これは造語です。
説教じみた雑音と響くことを回避すべく、あれこれ語ることなく、あくまで一挙一動で。
至れり尽くせりが過ぎてしまった結果、素晴らしい能力・感性・可能性その他を見失ってしまえば、それは残念以上の悲劇です。
この世の中ではナノレベルにすら遠く及ばぬ、私の声と立ち振る舞い。
ご迷惑と届かぬことを願いつつ、この機会に語らせてやってください。
1・舞台は公共交通機関
弱視で左足に古傷を持つ私は、単独行動時には基本、杖(時に白杖)を手にします。
自爆によるご迷惑回避以上に、悪意無き加害者を生み出さぬための、自衛小道具の意味合いが小さくありません。
掌の中の小さな画面を凝視した見知らぬ人たちが、次々にニアミスを重ねてくれる環境です。
相手が若い女性となれば、仮に華奢な白杖を折られてしまったとしても、問答無用で私が加害者……これが令和の現実です。
この理不尽もまた、近未来に抜本的改善を期待したい、重要な問題です。
濃いサングラスに年齢不相応の長髪を束ね、服装も派手と映るらしく、
「お近づきにならないのが賢明な第三者」
この判断が正しいとされる、ある意味ご迷惑に違いない風体です。
余談ですが、職務質問への応対も淀みないのも、経験値ってヤツでしょう。
それなりの乗車率の電車に乗ると、毎回小さな物語が幕を上げます。
ここでは直近のとある出来事を、一例としてご紹介しましょう。
☆ 一部始終を見ていた純粋無垢な眼(まなこ)。
車内のロングシートは満席から、吊革もほぼ埋まる程度の乗車率。
合計4名が座れる優先座席近くの通路中央付近に、先述の出で立ちの私。
会社員風の男性は手元の画面の凝視を続け、その隣人で大股開きの中年男性は、不自然な寝たふりを続けていました。
ほどなく私から一番遠い位置の若い女性が黙って席を立ち、私の背後を通過から、少し離れた立ち位置へ。
「次の駅で下車されるのだろう」
その時でした。
無反応だった私のシャツの端を、手の届く一番近い位置に座っていた別の女性が、黙ってそっと引っ張ってくださいました。
「ありがとうございます。実は立ったり座ったり、膝を曲げるのが厳しいので……お心遣いいただいたのに、申し訳ありません」
車内での会話も憚られなくなっていたのも幸いと、ゆっくりかつ明瞭な口調を心がけて伝えました。
もちろん席を立ってくださった、少し離れた場所の女性にも届く声量で。
このやりとりの直後、私を押しのけるかのように、別の男性がドスン!
優先座席の空きスペースに着席というより尻から落下から、手元のゲーム機らしき物体と格闘開始……これまたよくある展開です。
善意を届けてくださった各位には申し訳なくも、この数分間、私が最優先したかったミッションは、ほぼ恙なく完了できていました。
直ぐそばで長身のパパに片手抱っこされていた、3歳くらいの女の子が、この一部始終を凝視し続けていました。
残念ながら大好きなパパもママも、ここぞとばかり各々のスマホを凝視中。
代わるがわる両親の顔を覗き込むも、この場面では相手してもらえないことを、彼女は経験として知っていたのでしょう。
カップ麺にお湯を注いでから出来上がるまでよりも、ずっと短い時間の出来事。
よくわからないけれど、知らない大人たちが繰り広げた、それは成人向けドラマのワンシーン?
私が不自然にゆっくりとお礼を述べたのは、他ならぬこの親子連れにも聞いてほしかったから。
そこから終着駅までの数分間、幼い彼女と私は、表情だけのコミュニケーション。
不思議そうに首を傾げ、緊張しながらも笑顔を見せてくれました。
にらめっこのような、福笑いのような……想像いただけますよね?
目の前の厄介な老害が、よもや我が子と接点を持っているとは露知らず、ご両親は変わらず、各々の小さな画面とにらめっこ。
愛娘よりも夢中になれるなんて、一体何が反映されているのかな?
これは過ぎたる願いですが、やがて彼女が大人になったとき、
「私にとって一番幼い頃の記憶に、こんな光景があるんだけど、これって何だったのかな?」
嫌な記憶ではなく、こんなふうに微かに残ってくれたなら、あくまで私個人としてベストです。
未来に残したい、初めて遭遇した摩訶不思議なこの顛末から、彼女なら間違いなく、なにかに気づいてくれることでしょう。
見知らぬ人への小さな心づかいは、時代を問わぬ礼儀作法と、ほんの少しの勇気から。
もちろん複数の相手(さま)あってのこと、毎回青写真通りの展開は望めませんが、未来へのバトンの体現のつもりです。
私からのバトンが本当にご迷惑であれば、手元を凝視いただくか、もしくは直接その旨をお伝えいただければと思います。
仮に無限の愛情を注ぎ育んでおられる、大切な幼い『こころ』が汚れるような出来事だと判断されたのであれば、
「あれは難しい言葉で、老害っていうんだよ」
素早く拭い取っていただきますよう、お詫びお願い申し上げます。
2・未来への加速が生み出す困りごと
駅の自動券売機を目にするたび、とある若気の至りが思い出されます。
当時二十歳前だったでしょうか、券売機に小銭を投入するのに手間取る私の背後から、
「早くしろや!ボケ!カス!この◆◆◆(※中性的人物を揶揄する三文字)!」
怒声と同時に太腿に蹴りが入り振り返れば、そこには昭和の尖った大阪のお兄さん。
長髪で当時は華奢だった私の後ろ姿に、気が大きくなられたのでしょう。
ところが直後の条件反射的な一撃が急所を捉えてしまったらしく、御仁はその場に昏倒。
その後はご想像通り、某所へ連れていかれ、随分絞られました。
「先に暴力を受けたのは僕の方ですよ」
聞く耳は持っていただけず、実社会の矛盾を痛感させられました。
しばらくは券売機が嫌いになりましたね(苦笑)。
☆ 育まれ → 育み → そして助けていただく晩年の前に
先述の腑に落ちない一件から40年以上(?)の月日が流れるなか、機種更新ごとに操作が複雑になる、自動券売機や精算機。
加えて人件費削減なのか、駅員さんの姿が見当たらぬ場面も少なくありません。
『只今他の業務のため、席を外しています』
無機質な告知が掲げられ、中途半端に消灯された駅員詰め所を目の前に、その場で立ち往生の利用客は、年齢性別を問いません。
関わりたくない人たちは、これ幸いと得意のスマホ歩きから、チャージ式の乗車カードを自動改札に翳し、次々とその場をすり抜けていきます。
実際に何割の人たちが、本当に急いでいるのでしょうね?
基本一刻を争う場面は見られない私ですから、可能な限りお声がけを心がけていますが、ここで大きな問題がひとつ。
*弱視のため料金一覧表など、掲示されている文字や数字が見えません。
これでは手助けのつもりが、さらなるご迷惑となる展開が否めません。
現金決済が絡む作業のお手伝いですから、手を出せる範囲の見極めも、慎重を期さねばなりません。
失礼ながら相手の誤解や先様の精神状態から、無用なトラブルに発展するリスクも否めません。
実はこれまで複数回、電鉄会社の公式サイトを通じ、
「日中バイトの駅員が1名だけの駅舎管理体制、何とかならないのか?」
遭遇した事例を含め、利用者の声として進言を重ねていますが、対応はご想像通り。
AIが自動応答しているかのような文面の返信が届き、それっきりの繰り返しです。
「電車の運行が止まり、甚大なトラブルが駅で発生したらどうするの?」
「その場合は数駅先から職員を派遣します」
「電車が止まっているのに?道路が渋滞しているのに?」
「最新式の管理システムを導入しています」
「先日某駅で人身事故発生時に居合わせたけど、単独勤務の駅員さん、半ベソ顔面蒼白で錯乱手前状態だったぞ!?」
「……」
こんな問答に及んだこともありましたが、利用者のこの声、業務妨害に抵触する迷惑行為なのでしょうね。
「嫌なら乗るな!1人や2人口うるさい利用客が減ったところで、知ったことではない」
安全第一を謳いつつも、営利目的の民間企業、シビアですがこれもホンネでしょう。
利用者はこの切り札を踏まえておかねばなりませんが、これではあまりに寂しすぎるばかりか、明るい未来が見えません。
なにより子どもたちは誰もが、鉄道大好きですから……ですよね?
遠い日にさまざまな場面で見知らぬ大人が届けてくれた、慈しむような優しい眼差しを、私は覚えています。
ならば今度は齢を重ねた私から、さり気なく手を差し伸べるべき。
「なにかお困りですか?」
責任対応に窮したなら、そこから駅員さんを探すことで、その場を離れるのも、これまた臨機応変な処世術でしょう。
お筆先で熱弁を綴るなか、鉄道が舞台の話題が続いてしまいました。
免許自主返納から久しい私、移動手段が公共交通機関に特化しているため、ご容赦いただければ幸いです。
これからも自己責任が負えると判断できる範囲で、臆せず手を差し伸べていく所存です。
ちなみにこれまでこの初動に対し、感謝こそ伝えていただくも、お叱りを頂戴した場面は、記憶に見当たりません。
偶然こうした光景が、未来を生きる幼い瞳にとらえられていたなら?
未来を生きる生命を育む親世代が、何かを感じ・考えてくださるとしたら?
善行は第三者の視線を気にするものではありませんが、私的にはこの意識、ゼロではありません。
『鼻につくパフォーマンス』と映ってしまったとしても、それは結果論です。
世の中の進化が結果として、高齢者や弱者を置き去りにしている身近な場面が、私には数え切れません。
そして同じく弱者に属する一面を持つ私にもできることが、どうやら少しはあるみたいです。
ならば未来につながるであろう次なる一手、選択肢はひとつでしょう。
そこから実際にバトンを差し出せるか否か、ここでも鍵は『小さな勇気』に他なりません。
「レジ混雑緩和のために、スマホ決済にご協力ください」
長年お世話になっているスーパーの店内に、今日もこんなアナウンスがリフレイン。
現金決済も今は自動精算機を用いたセルフ対応ですが、スマホとは無縁の高齢者にとっては、これが大きなハードルです。
さらにはすべての計算を機械任せです。
レジ担当者は自ら暗算や目視確認で、受け取った現金と請求額の照合作業を行う必要がありません。
「全部で955円ですか!?それなら1,005円出しますね」
「ありがとうございます!50円のお返しです」
私の物差しでは双方が咄嗟にできるはずの暗算ですが、実際に若い世代を見ていると、
*偏差値云々以前に、経験不足から、身体がこれを知らない=できない。
水面下のみならず、確実に急増していると確信しています。
便利とされる機器の過剰ともいえる導入が、子どもたちのみならず、私たち人類の能力を侵害し始めている現実。
どれだけの人たちが、真剣に危機感を覚えているのか、真面目に興味があります。
昭和の名曲のワンフレーズの『ノートとインクのにおい』もまた、教育現場における絶滅危惧種?
教科書のタブレット化もまた、加速度を増しているようですね。
現在から未来を生きる若い世代が、それを『問題無し&それより便利進化優先』とするのであれば、異議は老害でしょう。
「ねえねえ、知ってるか?あいつは凄いヤツなんだって」
「何が凄いの?」
「筆で字を書くことができて、止めや払いもワープロみたいなんだぜ」
「ホント!?それって超人じゃんっ!」
「それに三ケタの暗算もできるんだってさ」
「それって神!神の域だね!」
「なにより信じられないのが、電話で相手と話すのが得意だって」
「信じられない!会話ってヤツまでできるんだ!?」
「尊敬語とか謙譲語とかいう言い回しを、昔の人みたいに操るんだぜ」
「うーん……畏れ多くてつき合いたくないなァ……宇宙人?」
実はこれ、私個人にとっては、すでに苦笑い話を越えた示唆話です。
仕事やプライベートを通じ、これがそのまま重なる若者と遭遇する場面が、人間関係が広いとはいえない私ですら、散見されています。
しかしながらこれらはいずれも、第三者の私が当事者に対し、あれこれ物申せる杞憂とはいえません。
『昔は斬り捨て御免だったんだ!』
『男女七歳にして席を同じくせず』
これらに匹敵する、過去からポンコツのタイムカプセルで迷い込んだ人物の戯言と聞こえれば、それこそ老害以上騒音以下。
沈黙から絶妙とされる距離感で見守る姿勢も、己が未来のためにできること、でしょう。
未来に対し、なにも心配はしていないつもりです。
色々と思うところはありますが、それらはあくまで『私見』です。
それでも同記事の文末に、やっぱりこれだけは綴らせてやってください。
私たちが生きる世界は、今この瞬間も、この先の未来のどの一瞬も、三次元です。
手元の小さな画面の中に反映される情報が疑いなく最優先され、右へ倣えを良しとする風潮には、お爺ちゃんは賛同できません。
だからこれからもこのスタンスで、この命が潰えるまで、分相応に生きさせていただいて構いませんか?
すべて自己責任で喜怒哀楽を言葉に発し、不器用な所作で表現し続けます。
そんな私の姿が歴史に刻まれる未満から、未来のゴミになったとしたら……
ゴメンナサイ。
そして究極至高その他、思いつく限りの日本語を視野に、
#極私的・未来のためにできること
それはね・・・
(本文総文字実数=6179)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?