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♪コンテスト参加コラム 【清潔なら態度で示そうよ♪】

♪こちら note のコンテスト、2度目のチャレンジです。
 
#清潔のマイルール
 
昨年初孫を授かる幸せに恵まれた、還暦越えオヤジ以上爺さん手前(苦笑)です。
多くの方々と同じく、このテーマが頭から離れない毎日を、現在進行形で数え続けています。
『文責はすべて自身のお筆先』
最後までご一読から、何かを考えていただければ幸いです。

(本文総文字実数=6624)
 
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清潔なら態度で示そうよ♪



【はじめに】
 
停泊中の豪華客船関連のニュースからほどなく、所用で京都を訪れました。
「近隣某国からの観光客一行が、鉄仮面みたいなマスク姿で驚いたよ」
帰宅後こんな雑談を交わしたかと思えば、
「最近街中で見かけるアマビエってのは、新しいゲームソフトのキャラ?」
このときすでに私たちは、好まざる『禍』の中へと誘われていました。
 
時は2020年、冬から春。
そこから日々目の当たりにし続けた光景の数々は、ここで綴るまでもないでしょう。
 
当時私は更新期間限定の保存版と銘打ち、個人の特設ブログサイトを開設。
「この闘いの勝利者は人類であるべきだ!禍との共存などあってはならない!」
専門的な知識など皆無ながらも、思いの丈を文字に認め、発信していました。
 
https://ameblo.jp/arpeggio-voices/
(2020年4~5月・更新)
 
表題に『闘う心ある同志へ』と謳った理由は、誓って救世者気取りではありません。
戸惑うばかりの自身を鼓舞すべく、なにより自らに語りかけたかったのが、正直なところでした。
 
あれから3年、今回同拙文を綴るに際し、全記事を読み返してみました。
「一貫して考えは変わっていないぞ」
「現状を鑑み、この部分は考えを変えるべきだろうな」
稚拙な文章の中に、さまざまな反省を含めた『気づき』を確かめることができました。
 
いきなり前置きが長くなるのも、私の欠点だと承知しています。
それでも今回のテーマである、
 
#清潔のマイルール
 
2023年現在から中長期的な今後を見据え、不特定多数の方々に向けて声にするうえで、この作業は欠かせませんでした。
 
ここからがようやく本文ですが、自他共に認める天邪鬼の私です。
長乱文中尖った表現が散見されるかと思いますが、最後までご一読いただければ幸いです。
 
 
【清潔のマイルール・MY五カ条】
 
いきなりですが、私の清潔のマイルールを、箇条書きにしてみました。
 
1.     清潔は 清く やさしく 潔く
2.     清潔は 『医療≦こころ』の バランスで
3.     身だしなみ 心配りを ひと手間で
4.     エビデンス 見えぬ噂に 躍るべからず
5.     未来へと 駆ける生命(いのち)に 背中で語れ
 
字余りが見られ、標語とも違う感じですが、私の文章力ではこれが精一杯。
堅苦しさは還暦越えの文章を理由に、お許しいただけますでしょうか?
 
いわゆる『結論ファースト』の文脈ですが、これだけではあまりに説明不足です。
ここから上記五カ条をひとつずつ掘り下げてお伝えすべく、補足説明をお届けしたいと思います。
 
 
★ 清潔は 清く やさしく 潔く
 
お気づきの通り、この一文のポイントは『やさしく』に他なりません。
 
・『人を憂うる』と書く『優しく』。
・『簡単すなわち無理なく習慣として』を意味する『易しく』。
・世代を問わぬ人たちに気づいてほしいからこそ、ひらがなに開いて『やさしく』。
 
私自身、幼い子どもではありません。
「手を洗いなさい!」
「そんなことしたら汚いでしょ!?」
これらの注意叱責を発すべき場面こそあれど、届くことは基本ありません。
 
無垢な幼子の安全を守るべく、清潔に保つべきことを教える義務を負うのが、大人世代です。
しかしながら言葉選びをひとつ間違えば、大問題が避けられない時代です。
自らの不注意もしくは誤解などから、不潔な人物との疑念を抱かれる場面も、完全回避は困難でしょう。
 
常に第三者の視線やヒソヒソ話などを、過剰に意識する必要はないと考えます。
それでも衛生面に関する世の中の感度が、最高レベルを突き抜けて久しい昨今です。
おそらく今後、これが価値基準として定着すると思われます。
 
反面教師と映らぬ自然な立ち振る舞い……これが求められます。
 
適材適所、それぞれの場面で求められる立ち振る舞い(言動)は、自ずと違います。
プレッシャーを覚えることなく、清潔感を侵さず損なわない自身でありたいものですね。
 
清潔は 清く やさしく 潔く
 
かなりの難題ですが、未来を生きるうえで必要不可欠な姿勢だと捉えています。
 
 
★ 清潔は 『医療≦こころ』の バランスで
 
『清潔/そうではない』の判断基準すなわち区切りは、自ずと十人十色です。
『三つ子の魂百まで』なる諺の通り、生まれ育った環境や大人たちから教えられた諸々なども、大きく影響します。
 
ちなみに私が人間として生命を授かったのは、1961(昭和36)年。
東海道新幹線開業と東京オリンピック開催に向け、国全体が活気にあふれていたとされる時代です。
白黒テレビのブラウン管の中では、悪役外国人レスラーに、正義の空手チョップが炸裂していました。
 
それでもいわゆる荒っぽい住宅地域の暮らしは、当時の幼心にも勘弁願いたい環境が、記憶に苦く鮮明です。
誓って誇張などはなく、思い出しながら綴ってみましょうか。
 
公立小学校の校舎は、戦前築の傾いた木造2階建て。
独立した離れの汲み取り式便所は、息を止めねば近づけない劣悪暗黒空間。
竣工間もない鉄筋校舎の教職員トイレに忍び込んでは叱られる、理不尽な教育環境でした。
土足の教室内でうっかり落としてしまった給食には、いわゆる『3秒セーフ』ルールが命綱。
敷かれた清掃用の油分やゴミが付着した食パンやおかず類も、3秒以内なら掃って食べても大丈夫とされていました。
 
古い長屋街の自宅、入浴は銭湯通いも、プールの授業がある日は当然割愛。
夏季は狭い裏庭にタライを出して、ビニールホースで水を浴びればNO Problem!
少々の発熱や怪我ごときで近所の町医者に連れていかれることなど、基本ありません。
病院は本当に生命の危険に直面した患者さんが優先される、特別な医療機関という位置づけでした。
 
怪しい駄菓子屋で売られていた謎の菓子類は、令和の時代なら軒並み販売禁止必至の合成着色料三昧。
飲料ならぬ工業用水の屋外蛇口から出る、錆色と風味が誤魔化せない水道水に喉を鳴らしては、日々屋外を駆け回る夏休み。
転んで皮膚の内側に砂が入り込んだ膝小僧に、水銀含有を理由に使用禁止となって久しい『赤チン』を塗りたくった大きな瘡蓋(かさぶた)が、腕白少年の勲章でした。

……いえいえ、貧乏自慢誇張物語ではありません。
これが2023年現在の私世代の平均的バックボーンだと思うのですが、いかがでしょうか?
 
しかしながらこの遠い回顧録は、過去の記憶として閉じ込めておくべきでしょう。
世の中は私たち人類が、日々改善を目指して試行錯誤を重ねるなか、着実に変化(進化)を続けています。
 
私たち世代が先人を気取り、自分たちが若かった頃に顔をしかめた、
「これだから最近の若い連中はどうのこうの……」
これでは愚行の歴史の繰り返しです。
 
正直申し上げて、日々喉元でどうにか止めるのに精一杯の言葉は、増え続ける一途です。
「そんな些細な怪我ごときで、やれ病院だの救急車だと!?唾つけときゃ治る!」
「ちょっと子どもが鼻水垂らしたぐらいで病院に駆け込んで、やれ待ち時間が長いだのどうだと、どの口が言っているんだ!?」
「予防接種を率先して何回も打ったから、これで安心して遊び回れる、だって?……君は正気か!?」
人生の先輩各位のあの頃の気持ち、今になって思い知らされています。
 
医療に頼り切りどころか、医療依存を越えた医療崇拝。
同時に医療に全責任を負わせているとしか聞こえない、これらの文言です。
 
それでも世の中が『正しい』とする価値基準は、半世紀前とは当然別次元です。
先述の環境で培われたそれまでの私の清潔基準は、無理矢理たとえるなら、
「斬り捨て御免で、武士は町民を斬り◆しても罪に問われなかった時代があった」
同じだと伝わってしまう可能性が否めません。
 
先天的もしくは後天的アレルギー体質や、処方中の薬品との相性などの理由で、
「ワクチン接種を受けたくとも受けられない」
そんな人たちは、潜在的に少なくありません。
しかしながらこれだけを理由に、職場を追われた、人の輪の中から弾き出された事例が数えきれません。
(※私の極めて近しい人物もまた、この理不尽な憂き目に遭っています)
 
猛心的な医療依存・崇拝が招いた、いうならば『令和の魔女狩り』。
メディアがその安全性と期待される効果をどれだけ謳おうとも、この流れはいただけません。
 
ならばどうするか?……正直申し上げて、明確な答えを、現在もまだ模索中です。
 
清潔は 『医療≦こころ』の バランスで
 
漠然とした、この五七五風の方程式のような一文が、今の私には精一杯です。
瞬時に地球全体を覆い尽くした未知なる(?)脅威に、超難題を突きつけられた感覚です。
 
 
★ 身だしなみ 心配りを ひと手間で
 
中年以上男性の誰もが、自らの天敵と自認すべき、避けられない生理現象といえば……加齢臭。
私自身も法的配偶者(笑)から厳しい指摘を受け続けること、すでに結構な年月です。
無香料の消臭スプレーの常時使用など、自分なりに注意を払ってはいるものの、たとえば満員電車内などで、
「隣の男性の体臭、正直勘弁してほしいんだけど……」
反面教師の可能性が否定できません。
 
かと思えば、ロングシートの私の隣に座った女性が、微妙なタイミングで席を移ったときなど……以下略。
ただただ申し訳ない限りですが、少しだけ傷ついても構いませんか(苦笑)?
 
こんな齢62カウントダウン中の私、若い頃から長い間、いわゆる接客業に携わってきました。
当然舞台裏すなわちバックヤードも熟知していますが、若輩者時代から疑問に思っていたことがあります。
 
Q:休憩時間中にそんなニオイの強い食事から、歯磨きもせずに勤務再開するの?
 
カレー・焼きそば・キムチやニンニク風味などを平然と食したあと、口周りも拭かずに客前に出て行く同僚の姿。
愛煙家のなかには、ギリギリまで喫煙スペースで煙にまみれ、そのまま臭気を引き摺るように仕事再開が常の人も。
各種商業施設だけでなく、テーマパークなど夢の空間のスタッフにも、こうした振る舞いが散見以上でした。 

「休憩時間は労働者にとって当然の権利!どう過ごそうと何を食べようと自由だ!」
規約上はその通りでしょうが、プロ意識云々以前に『清潔』という視点からすると、私的には同意できません。
ここ数年はマスク姿が基本だから大丈夫とか、そういった話ではありません。
 
翌日人と会う予定があれば、前夜に臭いが気になるであろう食事は控えます。
対して終日自宅ベースで過ごすのであれば、元来大好物のこれらで栄養補給です。
勤務中食事を採れば、可能な限り食後に歯を磨き、最低でも口をゆすぐことを徹底。
(※これは現在も基本同じです)
 
身だしなみ 心配りを ひと手間で
 
小さな子どもを自分ひとりで引率中の保護者であれば、現実難しい部分もあるでしょう。
しかしながら私の場合、これらの『ひと手間』は十分可能ですし、苦だとは申せません。
多くの人たちがこの習慣を実践することで、清潔の二文字を、より具現化できるはずです。
 
 
★ エビデンス 見えぬ噂に 躍るべからず
 
手元の小さな画面が世の中のすべて&あらゆる場面で最優先。
 
スマホ歩きや運転を私流に仰々しく綴り替えてみると、こんな一文になります。
確かに至極便利な文明の利器、心酔から中毒レベルの人が後を絶たないのも、ある意味納得せざるを得ないのかと?
一方で天邪鬼(あまのじゃく)な初老手前の私は、こんなふうに感じているのも事実です。
 
「文字(画像)で目にした情報を、すべて疑いもせず鵜呑みにできるなんて、なんて素直な人たちなのだろうか」
 
とりわけこの数年間、配信される多くの情報には、『清潔』『衛生』『健康』『安全』が標準オプション装備。
報じられる数値や文言に一喜一憂どころか、恐怖・狼狽さらには意味不明な攻撃的言動に及ぶ人までも。
国家の対応策その他には日々不平不満疑問を零す一方、この部分だけは絶対忠誠心を誓う従者そのもの。 

誰もが自身の、そして大切な存在の命の尊さを痛感しています。
この数年間の『禍』が、人間の脆い心を因幡の白兎のごとく丸裸にひん剥いた、言い訳無用の証拠です。
視聴率を稼ぐべく、ギリギリのラインで視聴者(聴取者)心理を煽る報道内容だと気づきつつも、命恋しさに踊り狂う(※)大衆の姿。
 
放送局が強騒局と化して発信し続ける狂騒曲。
 
先ずはそれらの内容を一旦飲み込み、冷静かつ十分に頭の中で咀嚼すれば、その先に真実が見えてくるはず。
 
エビデンス 見えぬ噂に 躍るべからず
 
私たちは三次元のこの世界を健康に生きるべく、清潔の二文字を重視しています。
肉眼で・鼓膜で・嗅覚で・触覚で・そして『こころ』で真っ先に捉えることを忘れた人たちが、無意味に狼狽から躍る姿。
『禍』の思うツボとは、この光景に他なりません。
 
物心ついてからようやく、自宅に黒電話がやってきた私世代。
老害もしくは時代錯誤などと囁かれようとも、凛とした日々の姿勢で臨むべきでしょう。
 
 
★ 未来へと 駆ける生命(いのち)に 背中で語れ
 
ここまで支離滅裂な論文にも満たない独り語り、お筆先が止まりませんでした。
人生をトラック1周に置き換えれば、間違いなく最終カーブからバックストレート?
 
ふと思い出した光景。
もしかすれば自身の最も幼い日の記憶?
父方の祖父宅で遊び相手になってもらっていた、単純計算で昭和30年代末の、セピア色のワンシーン。
 
「おじいちゃんはいくつ?」
「62歳だよ」
 
こんな世情の最中、気づけば貴方の年齢です。
見知らぬ子どもに声をかけようものなら、その場で誘拐容疑で通報されかねない、そんな時代です。
 
懇意にしているターミナルの大きな書店では、入口にスタッフが立ち、
「手の消毒にご協力お願いします」
不機嫌そうに横を向いてスルーする来店者が、そろそろ右肩上がりですが、
「ありがとう。お疲れさまです」
足を止めて両手を差し出し、必ずこの一言を伝えるように努めています。
 
時に消毒液の希釈が甘く、皮膚に過度の刺激を感じる場面も。
できるだけ早く手を洗う自己対応も、自己管理のひとつ。
化粧室の洗面台、幼い視線を感じたときには、より丁寧な仕草を意識して。
混雑していたなら独占せぬよう、時間配分も大切です。
 
ここで誤解を恐れず責任もって伺います。
 
Q:『高齢者』と『清潔』を、条件反射的にイコール(=)で結べますか?
 
「年寄りを見下すな!自分に限ってそんなことはない!」
この気概あればこそ自らを律し、日々の言動に反映されるのでしょう。 

冒頭で触れた通り、2022年夏、初孫(お姫さま)に恵まれました。
諸々の規制が最高潮の時期に、結婚式から披露宴を強行した息子夫妻。
幼い生命が物心ついたとき、その時点の世の中が、彼女にとっての日常です。
 
私は博愛主義者ではありませんし、それほど大きな『愛』を持ち合わせてもいません。
人生の分相応・歩幅肩幅相応。
 
自らにとって愛おしい 未来へと駆ける生命たちに さり気なく背中で語れればいいな。
 
声を荒げるでもなく、そろそろ可動域が怪しい四肢を振り回すこともなく。
穏やかに己が背中で『清潔』を語る未満囁きかけられれば、これぞベスト!
 
……言うは易く行うは難し。
 
挑み甲斐は十分以上ですし、ここに書ききってしまった以上、言い訳はできませんね。
 
 
【おわりに】
 
冬季は太陽光がほとんど届かぬ一方、北風が常連状態の我が家のベランダ。
洗濯物を干しても乾いた感は確かめづらく、冷えたそれらを取り込む作業、腰が退けがちです。
 
それでも夕刻の数十分程度、殺菌力なる弱い西日の恩恵に、少しだけ期待して。
「結局エアコンの温風の方が、ずっと確実に乾くよな」
『禍中』とされて3度目の冬本番、街中の桜の木々は、着実に春支度を進めています。 

エレベーターなしの最上階4階から今日も、螺旋ならぬ直角曲がり階段でエントランスへと。
右手にはアルコール入りの除菌シートを1枚。
階下まで手摺りを拭きながら歩を進め、オートロックの取手を拭き上げれば、この日の小さなミッション完了。
 
ちなみにこの除菌拭き掃除は、私の日課ならぬ週課となって、こちらも3年目。
スポーツジムになど通わなくとも、近所の散歩+ラジオ体操+これの三本立てで、運動量はバッチリ己が適量をクリア。
 
清潔と健康は相思相愛。
医療の手を極力借りることなく自浄力を育む努力は、この年齢でも可能なはず。

 
これは私が実感を越えて確信している、さしずめ『マイ方程式』といったところ?
結果として強いられたこの数年間の暮らしのなか、大きなプラスと捉えるべき『気づき』に違いありません。
 
今現在より一瞬先の未来が、より清潔快適であり続けますようにと、マスクの下の唇に歌を。
 
清潔なら態度で示そうよ♪
 
 
1/21/2023 (SAT)
或 頁生(ある ぺじお)
 
 
#039 / 5133.

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