#01 Road Trip America
インディアンジュエリーは、身につけることで自分をきちんと装っている幸福感を感じられ、コーディネートが引き締まる感じが心地良い。また、ここぞという時に身に着けて自分自身を鼓舞するツールにもできたりと、非常に万能なアイテムだと思います。
私とインディアンジュエリーとの出会いは20代の頃。デザインはもちろん、歴史的背景、独特な世界観や思想を知り、その魅力に取り憑かれました。それから毎年、自分の誕生日に1つずつ買い足し集めています。また、コレクションしているものはすべてヴィンテージのもの。経年変化したボディに魅力感じ、誰かが大切に身に着けていたものを譲り受け生きる、そのサイクルに入ることができた嬉しさを感じられる為ついつい選んでしまいます。
昨年、長年の夢であった世界旅行に行きました。以前から常々本場のインディアンジュエリーとその歴史に触れたい!と思っていたため、アメリカ南西部に立ち寄るとこにしました。
こちらはアメリカ南西部を旅した記録になります。ご興味のある方はぜひ御覧くださいませ。
【旅程】
ラスベガス→セリグマン→グランドキャニオン→アンテロープキャニオン
→ホースシューベント→モニュメントバレー→セドナ→フラッグスタッフ
→フェニックス→エルパソ→ホワイトサンズ→サンタフェ→チマヨ
→タオス・プエブロ→アルバカーキ
旅行立ち寄った場所を示した地図です。
2019年10月末、私はアメリカのネバダ州、ラスベガスのマッカラン国際空港に降り立ちました。アメリカきっての“不夜城”といわれるラスベガスではカジノやショー、買い物に夜景など存分に楽しみました。カジノでは負け、ショーでは居眠りしてしまいましたが、ここからが本番。今回の旅の目的はネイティブ・アメリカンの足跡を辿ることです。
ラスベガス、ベラージオホテルでの有名な噴水ショー。
ラスベガスをあとにして、まずはナバホ族の居住区、アリゾナ州のグランドキャニオンを目指しました。その道中でアリゾナ州のセリグマン(Seligman)という街に立ち寄りました。セリグマンとはアメリカロードトリップの王道“ルート66(Route 66)”にある街で、ディズニー映画“カーズ”のモデルの街となった人気の観光地です。
セリグマンにあるエンジェルさんのBARBER。
セリグマンには有名なスポットがたくさんありますが、中でもルート66の復興の立役者、エンジェルさんのお店は有名です。大陸を横断するルート66はアメリカ西部の発展を促進した重要な国道であり、1926年〜1985年までの間、イリノイ州シカゴからカリフォルニア州サンタモニカまでを結ぶアメリカの8つの州を通過する全長3755kmに及ぶマザーロードと呼ばれていました。一度は衰退してしまいましたが、エンジェルさんら市民が立ち上がり復興。アメリカの指定する歴史登録財として再び地図上に名前が刻まれ、今なおアメリカのポップカルチャーの題材にされています。
セリグマンを観光後、グランドキャニオン(Grand Canyon)に到着しました。アメリカのアリゾナ州を流れるコロラド川。グランドキャニオンは17億年前から堆積した地層をそのコロラド川が削ったことによって造られた全長450kmの大渓谷です。
日没前のグランドキャニオン。
人類の誕生よりもはるか昔から培われてきた雄大で壮大な景色にただ感嘆しました。近くのホテルで一泊し、翌朝再度グランドキャニオンへ。その後ナバホ居住区内にある土産屋に立ち寄りながら、アリゾナ州のアンテロープキャニオン (Antelope Canyon)へ向かいました。
朝のグランドキャニオン。
ネイティブ・アメリカンの人々が営む土産屋。
アンテロープキャニオンにはロウワーアンテロープキャニオンとアッパーアンテロープキャニオンがあります。以前ロウワーアンテロープキャニオンを訪れたので、今回はアッパーアンテロープキャニオンのツアーを予約しました。アンテロープキャニオンはナバホ居住区のため一般の立ち入りは禁止されており、現地ツアーを予約しなければ入ることはできません。水の侵食で削られた砂岩の峡谷に、太陽光が差し込むことで明らかになる幾重の美しい地層で、神聖な領域を感じる場所でした。
アッパーアンテロープキャニオン。ハートに見えるところだそうです。
翌朝は、コロラド川が侵食し創り出されたアメリカの7大パワースポットのひとつと言われるアリゾナ州のホースシューベント(Horseshoe Bend)へ。その形が馬の蹄を保護する蹄鉄(horseshoe)の形に似ていることからホースシューベントと付けられたそうです。アメリカらしい素敵なネーミングですね。
ホースシューベント。崖の上からの眺め。
ホースシューベントの次は、モニュメントバレー(Monument Valley Navajo Tribal Park)を目指します。
モニュメントバレーはアメリカ合衆国西南部のユタ州南部からアリゾナ州北部にかけて広がる地域一帯の名称で、メサといわれるテーブル形の台地や、さらに浸食が進んだ岩山ビュートが点在し、あたかも記念碑(モニュメント)が並んでいるような景観を示していることからこの名がつきました。ここは古くからのナバホ族居住地域で、居留地となった現在では、その一部はナバホ族管轄のもと一般に開放する形で公開されており、ナバホ族の聖地とも呼ばれ有名な観光地となっています。映画フォレスト・ガンプやバック・トゥ・ザ・フューチャー3などの撮影地ともなっており、誰もが1度は目にしたことがある有名な絶景です。
ナバホ族の人達はこの居留区をナバホネーション(Navajo Nation)と呼び、そこは合衆国認定のひとつの“国”で国立公園ではありません。ナバホ独自の大統領を持ち、独自の法律があり、学校から警察までを有する“半独立国”です。モニュメントバレーはナバホ族にとって神聖な地。今もそこで伝統的な生活を続けるナバホ族の人達が多くいます。
モニュメントバレーの夕暮れ。
翌日はアリゾナ州セドナに移動しました。セドナは古来よりネイティブ・アメリカンが聖なる場所として崇めてきた場所であり、儀式を執り行うために訪れていた神聖な場所です。昨今では世界中からセドナの不思議なパワーを感じようと多くの人が足を運ぶ観光地になっています。
セドナエアポート・メサ(Airport Mesa)から見えるサンダー・マウンテン(Thunder Mountain) 。
ディズニーランドのビッグ・サンダー・マウンテンのモデルになっているそうです。 セドナにパワーが集まる理由は、地球の磁力が集まって強いエネルギーを発するボルテックス(Vortex)が集中しているためだとされています。
その後アリゾナ州フラッグスタッフを観光し一泊。翌朝アリゾナ州フェニックスへ移動し、飛行機でテキサス州エルパソへ向かいました。エルパソは植民地時代にスペイン人が作った街で、元々メキシコの領土でしたが、米墨戦争後の協定によりアメリカの領土になったという歴史があります。このような背景から、メキシコの文化が色濃く残った独特な雰囲気を持つ街です。エルパソからレンタカーで北上しホワイトサンズ(White Sands National Monument)に立ち寄りました。
ホワイトサンズはニューメキシコ州にある石膏の結晶からできた広大な白い砂丘で、砂はひんやりとしておりキラキラと光っていて雪国にきたような錯覚に陥ります。見たことのない植物や動物も見られ、不思議な感覚でした。
ホワイトサンズホワイトサンズにて走る私。
ホワイトサンズの近くの街で一泊後、ニューメキシコ州サンタフェに向かいました。
サンタフェは宮沢りえさんの写真集で日本でも有名になった場所です。アメリカで2番目に古い街で、日干しのレンガを使ったアドビ(Adobe)建築の建物が軒を連ねる独特な魅力を持つ都市です。
アメリカ最古の協会といわれるサンミゲル協会(San Miguel Mission)や、アメリカ最古の家(The Oldest House in America)、“奇跡の螺旋階段”があるロレットチャペル(Loretto Chapel)などの素朴ながら美しい観光スポットが沢山あります。サンタフェには多くの芸術家が居住しており、美術館や博物館など多くの芸術に触れることもできます。またネイティブ・アメリカンの方々が出店している露店やインディアンジュエリーショップ、ヴィンテージショップやアンティークモールも多くあり買い物も楽しめる街です。
サンタフェサンタフェ鉄道の車掌専用車両【caboose】。
翌日はオルテガやセンチネラなどチマヨ織で有名なニューメキシコ州チマヨに向かいました。チマヨはスペイン系移民やネイティブアメリカンの文化が融合した穏やかで小さな村でした。
チマヨにはORTEGA’S(オルテガ)やCENTINELA(センチネラ)、TRUJILLO'S(トゥルフィリオス)のお店があります。
“奇跡の砂”が湧くサントワリオ・デ・チマヨ教会(el santuario de chimayo )は、その砂をかけることで病気や怪我が治癒すると云われております。奇跡の砂をこれでもかと肩にかけてきましたが、私の強固な肩こりは残念ながら改善しませんでした。
また、チマヨは最高級品と評価されているチリが有名で、そのチリは魔除けにも使われており街のいたるところで目にすることができます。
サントワリオ・デ・チマヨ教会(el santuario de chimayo )。
チマヨを後にし、ニューメキシコ州にあるタオス・プエブロに向かいました。タオス・プエブロ(Taos Pueblo)とは、ネイティブアメリカン、プエブロ部族の古代の集落で、世界遺産に登録されています。西暦1000年〜1450年の間に建築され、現在もそこには150人程度のネイティブアメリカンの人々が居住している伝統的な場所です。ここではネイティブ・アメリカンの人々の手によって作られた工芸品やジュエリーのお店が多くあり、とうもろこしの粉で作られた伝統的な揚げパンも食べることができます。
世界遺産のタオス・プエブロ。ショップや住居が沢山あります。
翌日は国際バルーンフェスティバルで有名なアルバカーキへ向かいました。アルバカーキは海外ドラマ“ブレイキング・バッド”のロケ地としても知られています。ここはスペイン文化の面影を残し、ネイティブ・アメリカンの史跡も豊富にあります。
その代表として、ダウンタウンにあるキモシアター(KiMo Theatrer)は、プエブロ・デコと呼ばれる様式の劇場で、プエブロ的な土壁的建築様式と、アールデコ様式を折衷した建物になっています。
キモシアター。アメリカの重要文化財のような保護指定を受けています。
アルバカーキがあるニューメキシコ州には23ものネイティブ・アメリカンの部族がいます。そのためインディアン・プエブロ文化センターがあり部族の歴史などを詳しく知る事ができます。また、インディアンジュエリーを扱うヴィンテージショップやアンティークモールも多数あり買い物も楽しめる街でした。
南西アメリカ旅行の記録はここまでとなります。
日々朝から晩まで移動を続けていたので体力的にはとても大変でしたが、乾燥した空気、広くて青い空、荒野の中のドライブはアメリカの大自然を肌で感じることができて最高でした。また、沢山のインディアンジュエリーを見たこと、インディアンジュエリーについての話を聞くことができたことは非常に良い経験となりました。
翌日アルバカーキから飛行機でニューオーリンズへ向かいます。この旅の続きはまた後日書いていきたいと思っています。
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