記銘障害・再生障害・前行性健忘・睡眠障害・意識障害・構音障害・注意障害・失語症…「脳質肥大の心配」
[備忘録]19 日目【遠隔地でも受け入れてくれるところ・・・】
2009-03-27 19:43:28
多岐にわたる脳外傷の後遺症状
父の意識混濁状態は深刻だった。
そして高次脳機能障害の症状がならんだメモ。これらは高次脳機能障害の告知を受けた直後取り寄せて読みあさった書籍から抜粋したものだ。
症状名を知らないものも多かったが、目の前の父に現れている症状があてはまるものはどれもこれもといった感じだった。
記銘障害
再生障害
前行性健忘
睡眠障害
意識障害
構音障害
注意障害
失語症
この中でも受傷直後の症状や介入について最も頼りになった書籍が
阿部順子先生の脳外傷者の社会生活を支援するリハビリテ-ション 単行本 – 1999/11/1である。
阿部先生を知ったのは、脳外傷の会から取り寄せた、画像も粗く色もちらつくテレビ番組の録画ビデオだった。ビデオの中の先生は受傷後2ヶ月は軸索が元に戻ろうとする力が残っているとおっしゃっていた。そのため、私は2ヶ月が勝負だと必死でリハビリ先を探したのである。
当時、強い薬でドロドロになっていた父。転院先を探す日々。回復期の医学的リハビリテーションの適応があると判断された場合に入院で行うことができるのだが、総合リハビリセンターでは、断られた。父の場合は意識混濁がはなはだしく呂律もまわらず目もうつろ。手術したばかりの顔は腫れ上がり、高次脳機能障害のリハビリテーションを行える段階ではないと判断されたのだ。
日赤からは転院を迫られている。父の暴言、徘徊は酷く、暴れるため、毎晩毎晩拘束具を付けられていた。医師から、こちらは労災の申請を検討するくらい酷い状態なのだとまで言われていた。総合リハビリセンターはあきらめ、もう後がなく精神病院へ相談に行くも小泉内閣のベッド数削減のため断られた。どこへ行けばいい。必死で高次脳機能障害のリハビリを受けられる病院を探した。他県でもいい、父を受け入れてくれるならと、当時の私は移住覚悟で関東の病院も検討していた。それくらい地元では受け入れ先がなかったのだ。
[対物 相手側]保険会社が当事者になりかわる
次のメモは加害者側の対応についてだった。物損事故で処理をし、保険会社が加害者になりかわり都合のよいよう処理をしようとしているという話だった。ここが実は重要なポイントである。聞いた話だが、加害者が、保険会社に被害者に手厚く対応して欲しいと要望すれば、損保はそのとおり動くしかないらいしのだ。しかし、相手は公務員、そしてその損保は市職員互助会会員様向けの自動車保険。失職を免れるためには双方は結託し手段は選ばない強硬姿勢。公務員はたとえ執行猶予でも失職する。それだけ公務員の責任は大きい。しかし責任が大きいだけに恩恵も大きいのである。後の法廷で、加害者は失職すると子どもの学資保険等々の問題が生じるため引越をせざる終えないと法廷で懇願している。(ーが、結局引越もせず、今も同じ学区内に2024年現在も住んでいる)そして、警察までもが「起訴できないからな」と私に凄んできている。(この初動捜査の警官はすぐいなくなった。後続の警察課長からもうあいつはいないからと言われている。隠蔽のためだろう。だが当時の会話記録は今も保管している。)
このことからも、たかが区役所の保険窓口の受付のおばちゃんを守るために、いかに多くの人間が動いていたのがわかる。一体何が起きていたのか。背後にいた者が何者なのかもわからない。ただ、言えるのは、あの者達は、一般市民を踏み潰せる蟻のようにしか思っていないということだ。
[孤独]時間感覚の麻痺と緊張の日々
事故から2年目の記録を読んでいると、自分自身の混乱もわかる。ずっと頭も心も身体も臨戦状態だった。そんな中で、祖母、父、母の3人の介護を担い、書籍を読みあさり、ネット情報収集をし、mixiやヤフーブログで加害者の証言を覆すために、目撃者捜を探し呼びかけを続けていた。
私の時間は、加害者が証言を二転三転し、市職員互助会の団体保険取扱代理店が一方的な過失割合を言い立て、その過失割合に応じなかったために、物損扱いにされたあの瞬間から止まっていた。
介護以外の時間は事故の情報収集の時間にあてた。交通事故関連の書籍も読みあさった。判例も調べまくった。どこから被害者7:加害者3という過失割合を言い立てきたのか、これはこの案件にあてはめていいべき過失割合ではなかった。なぜならば、加害者は中央車線をはみ出し(逆走)T字交差点の手前200m地点から一気に一度の信号で左折しようと加速しているのである。時速40km走行で信号機の色が変わる前に左折できるのは不可能な距離であるにもかかわらず、法廷では最後まで時速40kmしか出していないと加害者は言い張っていた。さらに信じられないことに、加害者側の弁護士は父が時速60kmで飛び出してきたというのだ。道を譲ってくれた車両の間を走行するのに時速60kmなど出せるはずがない。常識的に考えてもありえない発言が飛び出す法廷だった。
事故直後加害者は、「あそこの交差点はどん詰まりですよね。それで一気に一度の信号で左折しようと思って…」とICUの扉の前で私に説明をしている。ICレコーダーを持つようになったのは、この一件からだ。この証言が記録できていたらどれだけよかったことか…。
朝の通勤ラッシュ時の事故だった。A地点からB地点(図1)は毎朝、環状線に出るための渋滞車両が200m以上ならぶ、それを一気に追い越そうなどと何と無謀な走行だろうか。このような走行ができたのは、B地点の交差点がT字路だったからである。おわかりだろうか。対向車が発生しない交差点なのだ。ゆえに逆走しても衝突の心配はない。一気に一度の信号でこの距離を走行しようとしたら時速40kmなどといった速度では間に合わない。私自身何度も自らハンドルを握り検証してみた。絶対不可能だ、200m手前から一気にと思ってアクセルを踏み込めば時速40kmでおさまるはずがない。
[交通事故の立証責任]なぜ被害者が立証しなくてはならないのか
交通事故の立証責任は被害者にある。これが日本の法律だ。[民法第709条]弱い者虐めだ。日本の法律は弱者をさらに叩きのめすことができるようになっている。なぜ怪我を負った被害者が立証しなくてはならないのだ。加害者が自らの証言を立証すべきだろう。相手に怪我を負わせたならなおさらだ。
被害者は交通事故の被害だけでも混乱しているのに立証責任まで負わなくてはならない加害者が虚偽の証言をした場合、苦しみは何重にも何重にも重なってゆく。当時、私も無知だったため、警察が現場検証をしてくれていれば大丈夫だと思い込んでいた。オイル跡も飛ばされたバイクの位置も破片も一目瞭然だったからである。事故現場の保全なんか頭に浮かぶはずもない。口から泡を吹いていた父はICUだ。ICUにつきっきりになるに決まっている。なんのための警察なんだと心の底から思う。初動捜査の警察が現場を誠実に確実に写真に収めていればこんなことにならなかった。加害者の供述のまま現場見取り図を作成するものだと言った初動の警察官。警察は加害者の証言通りにしか調書は作れないとも言ってきたが、現場にきたのだからわかるだろう。父が倒れている姿をみていなくとも、バイクは12m飛ばされている。なぜ3mに改ざんできたのか、なぜそれを警察が黙認したのか。警察は嘘のはじまりである。