[備忘録]交通事故12日目(2009.3.20当時の記録)記憶欠損による作話
記憶欠損によって作話が起こる
「作話」と聞いてもピンとこない人が多いだろう。いわゆる健常の人々が言い逃れなどで使う作り話や嘘とは全く異なるものなのだ。
高次脳機能障害の症状の1つである作話は記憶欠損のために起こる。壊れた脳が記憶欠損の部分を埋めようとするのである。
そのため実際には体験していないことでも、本人は体験したこと、それが実体験で、真実であると話しだすので、非情に困る症状のひとつである。
17年前の3月19日の記録をみると作話が起きている。
リハビリ段階で、室内歩行が精一杯の父が、院外に出られるはずもないのだが、この日の見舞客には、「ゴルフの打ちっぱなしに行ってきた」と話すのである。壊れた脳は記憶欠損の部分を”数日前にはゴルフの打ちっぱなしに行った”という記憶で欠損部分を埋めたのだろう。しかしそれは本人の意思で埋めたのではない。脳の後遺障害なのである。誤作動なのである。本人には知るよしもないことが脳で起こっているのである。
そのため、話す本人はこれが真実だと思って話しているため、見舞客も驚きつつもそんなに回復しているのかと信じてしまう。私は父に付添、父の背後から、身振り手振りで嘘です嘘ですと必死で見舞客に伝えていた。
父の場合の作話は当惑作話が大半であった。当惑作話とは質問された内容に関する記憶がない場合に起こる。脳がこの記憶欠損を埋めるために過去の経験の一部を取り込み創り出された記憶が出現するのである。もちろん本人には嘘をついている自覚も意識もない。
本人も聞いた側もそれが真実だと認識してしまうのである。これは、今現在でも苦労している症状のひとつである。
例えば親族に、娘に財産をみな取られてしまうと発言していることがあった。親族一同なんで強欲な娘なんだと思ったことだろう。私の知らないところで、父の脳は私をどんどん悪者に仕立て上げている。それを記憶欠損による作話だと説明したところで、どれだけの人が私の言うことをしんじてくれたかは分からない。人によっては私が言い逃れをしているようにしかみえないだろう。
見えない障害で苦しむのは周囲の家族である。本人は作話という自覚はないのだから苦しみようがない。それなのに「本当につらいのはお父さんだからね」などと美辞麗句を並べ立てる親族。常に上からものを言う人間ほどこういう発言をする。交通事故の後遺障害によって、いかに人々の無知が罪深い者か痛感している。