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加害者の見舞いテロの次は

[備忘録]交通事故から36日目【加害者側が弁護士をたててきた日】
2009-04-13 16:43:33


後遺障害の説明を受けたとたん見舞いにもこなかった加害者が

加害者側が先に弁護士をたててきた。作戦変更の切り替えが早い。先週までは食事介護中を狙って見舞いの事実を作ろうとしていた加害者。食事会語注で面会はとてもできないと断れば、追い返されたと当方の加入損保に言い立てていた。家族の事情も心境もまったくお構いなしの見舞いテロに私は辟易していた。それが、どこまで運のいい人間だろう。父への面会のために声がけしたのがスタッフではなく父の主治医だったのだ。病室に付き添っていた私に加害者が面会にきたと呼びにきたのは主治医だった。私は、とても会える状況ではないということと、先生さえよければ後遺障害について加害者等に説明してもらえないかと頼んだ。その後、あれほど誠意を示しているのに追い返されたと難癖をつけてきた人間がパッタリ見舞いにこなくなった。

加害者の見舞いテロがなくなって

静かになってほっとしたのも束の間。弁護士が出てきた。もう加害者側が見舞いから何から全て計算尽だったのがわかる。一体誰の指示か。当時の私に熟考する力はなかった。ICUに顔面整復手術、高次脳機能障害の問題行動と毎日毎日病院に詰めていた為それだけで疲弊していた。しかし今ならわかる。愛知県は交通事故ワースト1の歴史が長い。そんな県の損保代理店は百戦錬磨だろう。しかも市職員互助会の団体扱保険取扱。本社に対しても影響力をもった代理店だと後から知った。公務員の身分を守る為に一般市民を泣き寝入りさせるのなんてお手の物だったに違いない。 

相談窓口を歩く日々が始まる

相手が弁護士を立ててきた。とても私に対応できる余裕などあるはずもない。土日もなく毎日毎日、父に付き添っていた。最初は21時までだったが、看護師等に警戒するようになって以来23時まで付き添うようにしていたからだ。

薬を無理矢理のませ身体拘束をする看護師等。薬を飲ませようとした手を噛まれたからと看護師がHIV検査をしなければならない。その費用を患者側に支払ってもらうと言い立ててくる看護師等に。いまの私なら名誉毀損人権侵害だと言っているだろう。当時は黙って言いなりになっていた。突然の事故で安穏とした日常から引き剥がされるように被害と障害という世界にぶちこまれ不安と混乱の中何ができよう。

この怒濤の入院生活と並行して交通事故の相談窓口を渡り歩くことになる。最初の弁護士で失敗しているため、弁護士探しは本当に慎重になった。まずは市の相談窓口、そして日弁連、紛争処理センターと無料相談に行くことから始めた。当時は、どこに何を相談すべきなのかすらわからなかったのである。助言ができる人物も力になってくれる人物も私の周囲には皆無だった私ができるのは小さな小さな1歩からだった。


当時の記録にはそうした悲痛さまでは書いていない。mixiは学友用のアカウントだったため、悲惨で惨めな自分をさらけ出すことは出来なかったのだ。それでも学友の励ましのコメントは支えになった。言葉の力は凄いと思う。
しかし、それもだんだんとなくなっていくのである。最後はコメントすらなくなった。何日も何日もコメントの無い状態が続いた中。ひと言くださった教授がいた。教授のコメントにどれだけ気持ちが救われたか分からない。おもわず涙がこぼれた。私はこの事を一生忘れないだろう。このひと言が支えになり力になった。ゆえに私はこの10年後再入学を果たすのである。


2007/4/13 mixiより