[備忘録]交通事故9日目(2009.3.17当時の記録)
ベッドから車椅子へ
今では、あまり驚かないことかもしれないが、腕も背中も、ふくらはぎも身体中、内出血でどす黒い赤紫の状態で、目の焦点は定まらず、呂律もまわらない父を車椅子にと言われた日には本当に驚いた。
何を言っているのかわからない。意識混濁状態。それでも車椅子で個室から出たのは、脳に良い刺激になったのかもしれない。
右腕を弱々しくだが肘から高く上げていた。手首はうなだれた状態だったため、健常者ではないのは一目瞭然。
気味悪そうに父を見る人々もいた。
まるで何あれと言わんばかりの二度見、三度見される哀しさ辛さと憤り。
父をこんな状態にした加害者。それでも物損ですか。
日にちが経てば経つほど加害者の夫に言われた言葉。
「こういうことは、どちらが一方だけが悪いというわけではないですから」
忘れられない。追い越し車線をはみ出し追い越し暴走走行し父を跳ねとばした加害者は、夫の影にかくれるばかりだ。
このころはまだ知らなかった。加害者が公務員であることを。
事故から、10ヶ月後、初動捜査の警察官は担当から外され、課長が再度私の調書を取ることになった。秋Tはもういないからね。開口一番そう言われた。ああ初動捜査の隠蔽か。
そして、そのとき言われたひとこと。
「相手が何者か知っている?」
知るわけがない。相手は身分を明かさなかった。
そして加害者が区役所の職員であることを教えてくれた。個人情報のため捜査中に加害者の身分を被害者明かしてはならないだろうに。この課長にも贖罪の気持ちがあったのだろう。
高次脳に精通している弁護士が皆無だった時代。私は個人で刑事告訴を何度も試み、何度も門前払い。ひどい時は机を叩き怒声を浴びせる警察官に泣かされてきた。だからか、このときは温情をかけたのだろう。
「相手が何者か知らなければ闘えない」この一言の重みがわかるのは、事故から2年後の刑事裁判の初公判である。
裁判官の被告人質問。
「行政処分は受けましたか」
「いいえ受けていません」
勝ち誇ったように胸をはった加害者。こんな重大な交通事故を引き起こした加害者が、原点どころか免停にもなっていない。事故の翌日から何事もなかったように事故と同じルートで出勤していたなんて。言葉を失った。
これが官民格差なのか…