頭部の外傷による外傷性くも膜下出血と障害
[備忘録]
33日目【高次脳:今がいつのなのか、ここがどこなのか、わからない】
2009-04-10 18:59:06
テーマ:高次脳機能障害
脳が損傷するということ
交通事故事故によって頭部に強い衝撃が加わると、脳が損傷する。父は外傷性くも膜下出血を起こし、前頭葉および後頭葉の出血が酷かった、後のRIの検査でも血流がとても悪い部位だ。そのため様々な障害が現れ、快復してものもあれば残存しているものもある。
まだ事故から1ヶ月程度で、障害者になったことなど到底受け入れられるものではなかった。骨折だって全治3ヶ月とかあるではないか。1ヶ月で希望を絶たれてしまう。残酷な宣告だった。
言語聴覚士のアドバイス
このころになると、週に一度いらっしゃる大学病院の言語聴覚士が部屋をたずねてくれるようになった。
部屋のあちこちに貼り付けたカレンダーなどみてアドバイスをしてくださった。
「カレンダーや時計など見ていないようで見ているんだよ」
この一言が私に力をくれた。父の様子を観察し目線がいく先、いく先にカレンダーを貼った。家族の写真をいれこんだ手作りの日めくりも貼り付けた。ドラファンだった父。中日のカレンダーは冷蔵庫に貼り付けた。
そして音楽を流すようにした。若い頃、父は社交ダンスのプロを目指していた。亡き祖父の猛反対にあい諦めてサラリーマンになったが、アマチュアB級までいったらしい、いくつかトロフィーや盾があったくらいだ。
そのため、ダンス音楽のCDを購入し病室で流した。反応がある。
「これはフォックストロットだ」その一言が嬉しかった。
谷村新司の昴は一緒に口ずさんでいた。そこですかさず翌日には歌詞を印刷したものを父のベッドサイドに貼り付けた。父はその歌詞もじーっと見ていた。
とにかく何でもいい、なんとか脳に刺激を与えたかった。何もしないまま時が流れていくのは怖かったのだ。軸索がもどる力があるうちにできる限りの刺激を与える努力をした。タイムリミットは3ヶ月だったからだ。
こうした部屋づくりができたのも、言語の先生のおかげである。
人として本当に素晴らしい先生だった。院内のスタッフ以上に転院についてお影ながら動いてくれた先生だったと知ったのは転院してからだ。どれだけ感謝してもしきれない。
最も辛かった高次脳機能障害の症状
一番辛かったのは人格変貌だ。優しさというものが欠如した。人に道は譲らない。エレベーターでも憮然として乗り込む人への配慮はしない。一番ひどいのは私に対する暴言暴力行為である。本当に心が折れる。こんな人ではなかったはずなのに。
加害者の逆走否定
加害者の逆走はゼブラゾーンの100m前から始まっていた。渋滞中の車両は全て路側帯のラインよりも内側に停車していたから自分は逆走ではないと主張しているのを覆すため私は目撃者捜しと現場の記録に、こうした父の看病と同時並行で勧めていた。私はまだ若く未熟で、ただ素直でまっすぐだった。記憶のない父のために全てにおいて全精力を注いでいた。