「南禅」臨松君、咽泉劍の名の由来「過香積寺」(王維)
淨霖の号の「臨松君」、愛刀の「咽泉劍」の名の由来というか、キャラクターのイメージの源になったであろう王維の詩「過香積寺」。
読み進むと、具体的に「断崖絶壁ように」などの表現が出てくるので、きっと唐酒卿先生はこの詩にインスピレーションを得たのではないかなぁ…と想像して。
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「 過香積寺 (香積寺に過ぎる)」
不知香積寺 (香積寺を知らず)
数里入雲峰 (数里 雲峰に入る)
古木無人徑 (古木人徑無く)
深山何処鐘 (深山何れの処の鐘ぞ)
泉声咽危石 (泉声危石に咽び)
日色冷青松 (日色青松に冷ややかなり)
薄暮空潭曲 (薄暮空譚の曲)
安禅制毒龍 (安禅毒龍を制す)
現代語訳:
香積寺がどこにあるかなどは知らないままに
雲の湧く高山に深く分け入って数里
古木が鬱蒼と茂り 人が歩いた道も無い
香積寺の鐘の音は この深山のどこから響いてくるのか
泉が湧き出る音 険しく立つ断崖に咽び泣くような
青い松葉の波に 日の光の冷ややかな色が差す
夕暮れ 誰もいない淵のほとりで
ひとり坐禅を組み 己の内に龍を封じる僧を見た。
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中国語スクリプト 等を参考にしつつ、言い回しを自分流で変えてみた。
「泉声咽危石」のところに「咽泉」、次の6句目に「青松」の文字がある。
最後の文の「毒龍」には解釈が複数あって、己の煩悩を制しているというものと、ファンタジックな意味で人を害する龍を押さえ込んでいるという解釈があるらしい。それと、王維が僧を見つけたとする上の解釈の他、王維自身が坐禅しているという解釈もある。
これらを「南禅」に当てはめるとなんとどの解釈も当てはまるし、外から見た状況と、淨霖側の真の状況などが多角的に重なっていることに気づき、「唐酒卿先生天才…!」とただただ平伏すのみ。 それと「鐘の音はどこから…」、これも物語と重なっててとても良き。物語の中でたしか、臨松君が生まれたときに松林がザワザワ揺れて鳴ったーみたいな表現があったし、もうこの詩の風景そのものが臨松君淨霖の姿のよう。
本当にこの詩が関係しているかは確かめようがないけれど、「泉咽危石、松冷青衫」というフレーズが72章に出てきてたし、こちらのイメージにも広がりと奥行きが生まれて読書の助けになってます😄
※追記: 「咽泉」そのものについては下記もあるようです。
→ “咽泉は、靈海(霊海)と同じく、体内のエネルギーの流れを表す道家の概念です。体内には三つの要素があり、これを「三焦」と呼びます。上焦は咽喉(のど)に関係し、中焦は胃に関係し、下焦は腎に関係します。咽泉は上焦に属し、その泉は喉仏(のどぼとけ)の奥にあります。正確な位置は個人によって異なるため、一般的には奥歯の少し上あたりとされています。この場所をマッサージすることで、エネルギーの流れを調整し、健康を保つと考えられています。”
ちなみに、喉、喉仏、首周りって「南禅」の中でもかなり大事なパーツで、ことあるごとに「喉」「首」なんですよね〜🥰