「孤島を32年守り続けた男」その後
『我比任何時候更懂你』という建党100年を記念したショートムービーシリーズが、中央網信辦、江蘇省網信辦と、南京市に本社を置く現代快報の制作で公開されている。
いずれも省内の大学生がインタビュアーとなり、省内で起きた党的に感動するお話を毎日紹介している。毎回キマっている大学生の顔が見られるのもこの動画ならではだ。
第7話では2018年に取り上げた、連雲港市の沖合12海里に浮かぶ開山島のその後も紹介されていた。動画の最初に「連雲港 開山島」とクレジットがあり、島に設置された哨所も連雲港市所属と紹介されているので、帰属問題は決着したのだろう。
動画では、残された王継才の妻・王仕花が名誉所長となり、あいも変わらず歩哨を続けていることが紹介されていた。以前は夫婦2人だったのが、兵士が3人補充されており、予算が投入されているのが見て取れる。
2018年7月に王継才が突然倒れ、そのままこの世を去ってからの持ち上げっぷりは素晴らしかった。烈士認定は言うまでもない。
習近平が「国を愛し、自らを差し出す新時代の奮闘者たちの目標として伝えていくべき」と称賛したのを皮切りに、江蘇省が「改革開放40年 先進的個人」に選出、「感動中国 2018年度人物」に選出、人民模範の国家的栄誉称号授与と続いた。
感動中国では、雲南省のベトナムとの国境地帯で、地雷処理中の事故で両手と両目を失った杜富国を抑え、残された王仕花がセンターで記念撮影している。流石に烈士は強い。
しかし、王継才の死から3年余りが過ぎたにもかかわらず、疑問には答えは出されていない。そもそも、この島は人が常時住んでまで守らなければいけない、戦略的要所なのかということだ。
開山島が紹介される際には、決まって「1939年に日本軍がこの島を踏み台に連雲港を占領した」と紹介される。生前の王継才も、守備を依頼してきた政治委員からそう言い聞かされている。
その戦略的要所は1985年に解放軍が撤退したことを受けて、民兵が歩哨所を運営するようになった。しかし、過酷な環境で前任者が次々と辞めたおかげで、王継才にお鉢が回ってきた経緯がある。
国旗掲揚に使うポールが木から金属製になったくらいで、島への予算や力の入れ方を見る限り、尖閣諸島や南沙諸島とは雲泥の差であり、戦略的要所とは思えない扱いだ。王継才は死を間近に迎えた政治委員に「一生をかけて守ります」と約束しているようなので、難関辛苦や安い給料など問題ないのかもしれないとしても。
王継才が「国旗が刺さっていればそこは中国」とかいいことを言っている手前もあり、また習近平が持ち上げて象徴化してしまったので、こういう疑問には答えは出ないのだろうなあ。
==参考消息==
http://aqurelliste.seesaa.net/article/461658056.html
http://www.xdkb.net/p1/wbrhshgdndsxxjyxldsp.html
https://www.youtube.com/watch?v=P5RCQvl7qow
http://www.xinhuanet.com/politics/2021-07/31/c_1127716439.htm
https://www.youtube.com/watch?v=P5RCQvl7qow
https://www.youtube.com/watch?v=I8jdsVeQazg
http://m.news.cctv.com/2019/09/01/ARTIjAO98LWKipPYmFPU2ekI190901.shtml
https://www.youtube.com/watch?v=BgFeoPnuw9M
https://www.youtube.com/watch?v=vhzxSQi5zaE
http://news.cnwest.com/szyw/a/2021/07/31/19846376.html