シャッターを閉じる日 ―ある撮影者の最後の仕事―
「今日が最後か…」
ふと、一抹の寂しさがよぎったが、分刻みで動かなければならない舞台裏では、個人的な感傷など不要だ。気持ちを入れ直して車を降りた。
今日が最後の撮影だということを、誰にも告げていない。同僚たちは、いつも通りに挨拶を交わし、現場に向かう準備をしている。私は静かに彼らの姿を眺めながら、これまでの撮影の日々を思い返していた。
ある日、求人誌で見つけた映像撮影者に応募した。全くの未経験、しかも、募集年齢制限を超えていた。電話で確認すると、「とりあえず面接に来てください」と言われ研修者として採用された。
同じ面接日に十数人はいたが、次々と辞めていき最終的に独り立ちしたのは、私ともう一人の男性だけだった。「面接時の時、最初に辞めると思ってた」と言う上司の言葉は褒め言葉だったのだろうか。いや、本音だったのだろうなと今でも思う。
ここは、結婚式会場、晴れの舞台。特に大安の日は大概会場のスケジュールはいっぱいで、裏方はキリキリしている。表の華やかさとは違い、裏では時折大声で指示が飛び交う戦場と化す。一度きりの「初舞台」にやり直しは命取りだからだ。
会場に到着すると、すぐに準備に取り掛かった。カメラの設定、音声の確認。全てが機械的に、しかし確実に進んでいく。
新郎新婦が到着し、挨拶を交わす。彼らの緊張した表情を見ながら、私は自分が初めて結婚式の撮影を担当した日のことを思い出していた。
私の撮影の仕方は、いわゆる全体の記録を撮るものと違い、いいとこ取りの素材をできるだけ効率的に撮り集めること。そのためには、新郎新婦とうまくコミュニケーションを図り、リラックスさせ、主人公たちにお願いをして「演出」もしながら撮影していく。
本人たちはもちろん、両家族の出席者をまんべんなく映像に取り入れ、式や披露宴のイベントは必ず撮らなければならない。一発勝負のやり直しなしだけに、毎回位置取りや会場係との打ち合わせや確認が欠かせない。他の会場のスケジュールと被らないように時間配分にも気を遣わなければならない。
いわゆる黒子の役割なので、ひっそりと目立たぬように動かなければ次の仕事がなくなるかもしれないのだ。黒いスーツは伊達ではないのだ。
式が始まり、カメラを通して新郎新婦の姿を追う。誓いの言葉、指輪の交換、キスシーン。何回と見てきた光景だが、今日はどこか特別に感じる。一瞬一瞬を逃さないよう、集中力を高めながら撮影を続けた。
ファインダーを覗きながら、これまで撮影してきた数多くのカップルの姿が重なって見える。それぞれの物語、それぞれの感動。時には親御さんの心の有り様が映し出されると気持ちを動かされることもある。
もちろん、一撮影者にとって他人事ではあるが、この数時間の中のほんの数分は深く感情移入をしていくことも必要になる。主人公たちをどれだけ美しくかっこよく「絵」に収めるか、分刻みのスケジュールの数秒を撮るためチャンスを待つのだった。その時を逃さぬようにしてもうまくいかない時もある。それをどこでカバーするか予測して「次は必ず」を実行する。
披露宴が始まり、会場の雰囲気が和やかになってきた。ゲストの笑顔、涙ぐむ両親の姿、友人たちの祝福のスピーチ。全てをカメラに収めながら、私は自分の最後の仕事にふさわしい映像を残せているだろうかと、わずかな不安を感じていた。
しかし、その不安は次第に消えていく。今この瞬間が最高であることを信じて疑わないこと、最終的には編集者に任せるだけである。
私の素材は、後日プロモーションビデオのように編集されるのがメインだが、この会場では、式の最後に「エンドロール」がある。新郎新婦の式の準備から披露宴のできるだけ終わりの方までの映像を現場で編集して上映するのだ。ある程度の型はあるが、それは素材ありきと自負してきた。現場を任せられる編集者はそれなりに高い技術を持っているからだ。
披露宴も終盤に差し掛かり、エンドロールの上映の時間が近づいてきた。これまで撮影した映像が編集され、上映準備は整ったようだ。会場が暗くなり、スクリーンに映像が映し出される。
この「エンドロール」がなかった頃は、撮影者が出来上がった映像を見ることはなかった。もちろん、後日渡されるものとは内容も長さも違うのだが、こうして自分が撮った映像が形になって見ることができるのはうれしい。
私が撮影した今日の式の映像がつくりたての物語となって流れていく。それを会場の人たちが楽しそうに、時に涙ぐみながら見ているのを一番後ろから見ていた。これが最後だと思うと少々感慨深い。
経験を重ねるごとに、人々の感情を捉えることの大切さを学んだ。単に美しい映像を撮るだけでなく、そこに込められた思いや物語を伝えることが、私の仕事だったのだと改めて感じた。
エンドロールが終わり、会場に大きな拍手が響いた。「無事に終わった」が正直な気持ちだ。それも今日で最後だ。
撮影が全て終わり、機材を片付けていると、編集者が近づいてきた。この人とも今回が初回でそして最後だ。「今日はいい映像ばかりで選びきれませんでした。生かしきれずにすみません」と彼は言った。
私は驚いた。そのようなことは一度も言われたことがなかったからだ。「また、次回もぜひお願いします」彼は笑顔でそう言った。これは褒め言葉でいいのかもしれない。
会場を後にする時、最後にもう一度振り返った。私は結婚式自体に思い入れはなかった。無関心に近い、いやむしろ好きじゃない場所の一つだった。
でも今となっては単なる仕事場というだけでなく、それぞれの人生の晴れの場を作る一担い手にさせてもらいよい経験をしたと思っている。
華やかな装飾、笑顔で話し合う人々、そして新郎新婦の幸せそうな表情。これらの光景を心に焼き付けながら、私は静かにドアを閉めた。何度も見てきた光景なのに、ちょっと寂しくなるものだ。
車に乗り込み、エンジンをかける。カメラを通して見てきた数え切れない人々の人生の一コマ一コマが、私の中で輝いている。またいつかこんな撮影の醍醐味を味わいたくなるのかもしれない。
夕陽が眩しい。きっと明日も晴れだろう。
仕事帰り車を走らせていると、夕暮れの空が目に入る。
ふと右を見れば、昔よく通った結婚式場が見えた。
かつて仕事場だった。
最後の撮影から10いや、15年くらいたっているだろうか。
信号が青に変わり、私は静かにアクセルを踏んだ。
家に着き中に入ると、なんとなくいつもの衝動がやってきた。部屋の模様替えをしたくなる悪い癖は、何かの前触れのようにいつも唐突だ。
いつか捨てようと思って押し入れの奥に押し込んだ箱を取り出すと、埃をかぶったビデオカメラバッグを見つけた。捨てる前に少し充電をしてみた。
窓の外に向けてファインダーを覗く。
庭に咲いた花々が、ゆっくりと揺れていた。
ピッ。
赤いランプが点灯し、懐かしくも新鮮な感覚が蘇る。
わずか数秒の映像を撮り、再生ボタンを押した。
小さな液晶画面に映る庭の風景。
静止画ではなく、微かに動く映像。それは、まるで時間そのものを切り取ったかのようだった。
「まだ、私にも捉えられるものがあるかもしれない」
そっと呟き、カメラをテーブルに置く。
窓の外では、新しい季節の風が吹き始めていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?