きみは、「ミュンヘンへの道」を知っているか
ずっとずっと昔、中学校時代のバレーボール部でのこと。体育館でマットを並べ、そこでネットに入ったバレーボールに長い紐をつけ、それをぶん回す。マットの上でうつ伏せの状態からそのボールを避けながら体勢を前後に入れ替えたり、ボールの上を飛び越えたりする。そんなサーカスもどきのトレーニングだが、中学生のお遊びではなく、れっきとした日本代表チームの練習を真似したものだった。
時は流れ、オリンピックイヤーである2024年、「男子バレーボール 52年ぶりの金メダルを目指す」というスポーツ記事が踊る。長きにわたり、残念ながら人気先行で実力や実績が追いついていない不毛の時代から、ようやくスポーツ業界だけでなく、人気選手がファッション誌にも取り上げられるほどになった。それは結果を出し、その競技スタイルに共感を持ってもらえるようになってきたからといえるだろう。それはまさしく52年前の「ミュンヘンへの道」から始まった長い物語でもある。
52年前つまりおよそ半世紀前、男子バレーボール界では1964年の東京大会では183.5cm、そして8年後のミュンヘンには191cm。平均身長で8cmもの大型化を図っていた。ただ身長が大きいだけでなく、その大型選手たちが160cmの体操選手並に動けるように育てることで、世界の頂点を狙おうとしていた。
その一環のトレーニングに、先のマットの上で回ってくるボールを交わしながらアクロバットのように身をかわす練習もあった。さらに、選手全員に後方空中回転と9mの逆立ち歩行を命じた。わずか半年後、選手全員が逆立ちで9mどころか50mもの距離を疾走できるようになったという。
1964年の東京オリンピック、日本のバレーボールは、女子チームが金メダルを獲得し、「東洋の魔女」と言われ、その輝かしい成果にスポットライトが当たった一方で、男子チームは銅メダルという立派な成績を収めながらも、その影に隠れてしまっていた。しかし、この銅メダルが日本男子バレーボールチームの挑戦の始まりであったことは、多くの人々が見落としていた。
4年後のメキシコシティオリンピックで、チームは銀メダルを手にした。着実に実力をつけ、世界の強豪国と互角に渡り合えるまでに成長していた。次なるミュンヘンオリンピックに向けて、日本チームは革新的な戦略を打ち出した。
平均身長を190㎝台にしただけでは足りない。それまでの高さと力に勝る強豪国が、高いトスを力技で打ち込んで決めるようなスタイルを真似ただけでは勝てない。日本は、独自に速攻、時間差攻撃、フライングレシーブなどの技術を次々と編み出していった。現代のバレーボールでは当たり前となっているこれらの技術は、この時代の日本チームが編み出したものだ。
それだけではない。多くの一般の人たちに周知させ、応援してもらうためのプロモーションとして、アニメと実写を交えた番組「ミュンヘンへの道」がテレビ放送された。一話ごとに実際の選手の逸話を題材に内容が組まれていて、それもオリンピックの半年前に放映が開始されたのだ。
インターネットのない時代である。現代のようにSNSで本人が情報発信するなどあり得なかった時代に、唯一、一般の人たちが選手や競技を知る術だったとも言える。仕掛け人である当時の日本代表(当時は全日本と言っていた)の松平監督は「金メダルが取れなかったら、日本には帰れない」と語ったという。
当時そのプロモーションは功を奏し、公開練習に長蛇の列が並ぶようにまでなり、男子バレーボールの存在や魅力を認知してもらえるようになっていった。そして迎えたミュンヘンオリンピック。日本チームは、それまでの努力と革新的な戦術を武器に、金メダル獲得を公言した。その自信は、単なる強がりではなく、実力に裏打ちされたものだった。バレーボール史上伝説的な逆転劇を演じた準決勝を含め激戦を勝ち抜き、ついに日本男子バレーボールチームは金メダルを獲得。世界の頂点に立ったのである。
あれから52年。2024年、パリオリンピックを目前に控え、日本男子バレーボールチームは再び金メダルへの挑戦を開始している。現在のチームは、平均身長192cmだが2メートル越えの選手も3名おり、当時と比べても高身長化している。しかし、他国の競合チームは2メートルを超える選手が当たり前であり、身長差では依然として不利な状況にある。
それでも、日本チームは着実に実力をつけてきた。昨年のネーションズリーグでは銅メダル、今年は銀メダルを獲得し、世界ランキングも2位にまで上昇。まるでミュンヘン当時の道のりを辿るかのように、着実に世界の強豪国と肩を並べるまでになった。
現代の日本チームが世界的に注目を集めている理由は、その独特のプレースタイルにある。粘り強い守備と多彩な攻撃を武器にする。サーブで相手の態勢を崩し、ブロックで的を絞り、それ以外を守備でカバーする。それを巧みなトス技術で相手のブロックをかわす戦法は、空中でボールを繋ぐ本来のバレーボールの魅力として、見ている人にも十分に味わえる。今では王道のスタイルの一つと言えるだろうが、実践するのは口で言うほど容易くはない。
もちろん、52年の時を経て、バレーボールを取り巻く環境は大きく変化した。身体能力、技術、そしてデータ分析に基づく戦術は、ミュンヘン時代と比べものにならないほど進化している。しかし、チーム力を最大限に発揮し、世界の強豪国と互角に戦う姿勢は、当時と変わらない。そして今年のネーションズリーグまでで経験と実力をつけながら、次第にそのプレースタイルが見る人たちに周知され、特にアジアの会場国では、自国開催のような声援を受けていた。
今、日本男子バレーボールチームは再び金メダルへの挑戦を開始している。世界ランキング2位という好位置につけてはいるが、各国それぞれ独自のオリンピックに向けた戦略があり、出場国の力の差はランキングだけでは計り知れない。したがって、パリオリンピックでの金メダル獲得は決して容易ではない。まさにやってみないとわからない一発勝負の世界だ。
ミュンヘンオリンピック当時、日本チームは革新的な戦術と強固なチーム力で世界を驚かせた。そして金メダル獲得を公言し、それを成し遂げた。その姿勢は、まさに今年のパリオリンピックに向かう日本チームと重なる。世界最高峰の舞台で、身長差というハンディを跳ね返し、独自の戦術とチーム力で勝利を掴み取る。それは52年前も、そして現在も変わらない日本バレーボールの真髄だ。
技術は進化し、時代は変わっても、チームの結束力と勝利への執念は変わらない。パリの空に、再び日の丸が輝く日は近いかもしれない。52年の時を超え、日本バレーボールの新たな黄金時代の幕開けが、今まさに始まろうとしている。
楽しみしかない。
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