赤ちゃんを取り上げる!
赤ちゃんを取り上げるよく、お産のことで、「だれだれにこの子は取り上げてもらった。」という言葉を耳にします。そして、当たり前のように使っているのを耳にします。
私が最初に子どもを産んだ時、インタビューで「赤ちゃんは自ら出てきて、自分で産んだ気がします。」というようなことを言った気がする。
(実際、赤ん坊は自分で飛び出したような感じだし、それを水の中からすくいあげたのは母親となった私だったので)
その時、誰も面と向かって私には言わなかったけれど
「赤ん坊は産み落とすのではなく、取り上げるものだ」と、何人かの助産師の方たちは言ったそうだ。
そして、アクティブバースの映像をやはり上映した時も、母親は自分で子どもを抱きかかえた。この時も、会陰保護をして丁寧に赤ちゃんをお迎えしてくれる素晴らしい技術のベテラン助産師さんは同じことを言った。(言葉の使い方なんだけど、私はお迎えしてくださる助産師さんも素晴らしいとおもう。ただ取り上げる人ではないと思っているけどね。意識が私が産ませてあげるという人は別ですが。)
実際アクティブバースのときに母親自ら赤ちゃんを最初に触り抱きかかえる。
(あくまでお産が子宮口が全開になってどんどん産道を進んでいったお産の時のことである。積極的な誰かの手による会陰保護や、赤ちゃんの身体が出た瞬間にサーっと受け取って『はい、抱きなさい』というような現象とは、ちょっと違う。)
ある、自宅出産の体験者の夫が(子どもの父親が)、得意そうに
『僕が取り上げたんですよ!いや~素晴らしい!』と言っていたので、思わずその方に言ってしまった。
「素晴らしい体験をさせてもらってよかったですよね。自分で産むことができた奥様は素晴らしいですよね。」と、そして「私は取り上げるという言葉はあまり好きではないです。もし、あなたが最初に赤ちゃんをお母さんである彼女より触って渡したとしたら、それこそ文字通り一度彼女から赤ちゃんを取り上げてしまったということです。それは、母子の最初の接触に介入したということです」と、思わず言ってしまったことがある。それも何人もの妻の出産のときに積極的にかかわった夫(子どもの父親)たちに、ちょっときつい一言を、ごめんね(苦笑)。
でも、全般的には実際の現象としては赤ちゃんを取り上げて渡してもらっているお産なのだけど、
でも、ちょっと意識を変えてみたら、『お母さんと赤ちゃんと共同作業で産んだ生まれてきたんだ』と。
それはどんなお産でも、分娩台の上でも、期せずして帝王切開になったとしても、自信をもってそう言ってほしい。
それが、その後の長い(実は人生の中ではほんの僅かな時間だけども真っただ中にいるときは長く感じるであろう時期)子育ての力になるから。
子育てに前向きで行ける力になります。
ちょっと話はずれたが、お産に立ち会うお父さんになる方、立ち合いそのものは別としてちょっと社会脳を産前産後に使って発言してほしいかな~。
それは、その後の夫婦関係に影響します。
そして、お父さんになる人・父性の出番はお産の時に一緒に陣痛を感じたり産む体感を味わったり(実際味わえない)気になるのではなく、別の役割があるんですよ。子どもにとってそれもとても大事な役割です。
~~~今日は1つのテーマから派生してちょっと話が飛び飛びになってしまったな~
読んでくださりありがとうございます。~~~~~~~~~~~~~~~~