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#21 愛と感謝と内観と声

”愛と感謝がない。”

と、友達に言ったら大反論が来た。


色々聞いてみたが、
私は貴方みたいに、愛とか宇宙とか理解できない。
自分の愛は、誰かが何かをしてくれたことに対してのもので、
だから、無償じゃない。


と。


あのねそれは、愛ではなくただの代償行為だよ。


つまり、それは相手にすべて委ねてしまっているという事。
相手が何もしてくれなくなったら、何も返さない。
つまり、関係は終わるという事。


感謝もしていると。
他の人よりも凛さんにはたくさんありがとうって言ってる。


らしい。


それは、私がおそらくあなたの周りにいる誰よりも、
沢山あなたに、愛と情と行為を、提供しているからに過ぎないよ。


私からしたら、普通の人は此処でありがとうというけれど、
といううタイミングでは、ほとんど帰ってこない。
まるでありがとうと言うと、”負けた”とでも思っているかのようだ。
と常に感じていた。


その”ありがとう”の言葉すら、代償行為なんだね。


それに後で言わないでというので、
思ったことを投げかけてみたらきっと怒ったんだろう。
何かの占いの頁の写真が何の言葉もなくただ送られてきた。



開いた瞬間に、
バンッ!!!!!!


と、すごいきつい荒ぶるエネルギーが体に入ってきた。
前から、誰かの写真などをいきなり送り付けてくるのは、
ダメージ受けるからやめてと話していたのに。



息が詰まる。
胸にしこりのようなものが残る。
乱暴だ。


少しだけ読んだが、どうやら自分の性格を書いたもので、
プライドが高いから傷つきやすい・・・etc.…
なにこれ。
こういう風にあたしに扱ってほしいってこと?
私は下僕?

しばらくして、呆れてきた。
何て傲慢な。
またしばらくしたら、哀れになってきた。
憐れ。


愛の欠乏が、彼女を荒ぶらせる。
それが私が発した言葉が発端だとしても。
距離感が近くなった人には、自論を散々吠え上げた挙句、
刃すら向ける。
私は、胸に受けたショック長引き、既読スルーしていた。
もう、返す言葉を何も思いつかなかった。
何人かに参考に話を聞いた。
そんな人は最後には周りに誰も居なくなって、
一人になるんでしょう、とみんないう。
その人の話聞いてたら、いつも乱暴な人だなと思ってたよ、
という人もいた。
いつも私が話したことは既読無視やねん、というと、
”またなんか言うてるわ、うざぁ~スルーや”
って感じやろ。とすら言われた。k


そうだったらしい。
そういわれた。
あなたの言うような、思いやりとか感謝とか、
愛とか宇宙とか、そんなもの!!
ということらしい。


それはいいが・・・いや、いいのか?
私は、常に愛の人で在りたいと思っている。
そして彼女が欲しているのは、
私からにじみ出る愛や優しさが欲しいからだろうと思っていた。
しかしプライドが高いから、たくさん言葉を選んで話していた。
しかし、それが増長を促したのかな。
どんどん日々のLINEの言葉や態度が荒くなっていっていた。
しかし彼女がそれを否定するなら、
ただ自分の都合の良いときに反応してくれる相手が欲しかっただけだということになる。


そのまま、また何か送ってきたけれど、返す言葉が見つからなかった。
忙しさも合わさって一週間既読スルーしていた。
ただずっと、私はどうしようか考えていた。
何故なら、今の彼女の姿は。およそ25年ほど前の私の姿のようだから。


愛に欠乏して、親からも望む愛を得られず育ち
似たようなトラウマ、似たような感情、距離感の取れない自分、
宗教も神も仏も信じず、ただ自分で何とかしないとと
力を入れて生きていた、ころの、それでも内側では、
私はのたうち回って苦しんでいた。
それでもいろいろして変化してこれたのは、
ひとえに子供への愛、故だった。
しかし彼女には、子供はいない。
居なくてもいいけれど、
子供がいるのは、わが身の内側から自ずと溢れてくる愛を、
知る一つの機会に過ぎないから。
だがしかし、ではどこで、今そんな彼女が、
自分の内側から溢れてくる愛を体感する機会が?
パートナーを求めている彼女が求めているのは、
自分への絶対愛で、そこにお金もついてきて、
自分はその代償を与えるのが愛という人の、
どこに切り口があるのか。
ここのところずっと考えていた。
私は、どうしたいか。


しかし、既読スルーの挙句に、
彼女から普通にラインが来るが、
私は、その写真を送られてきた時のような、
ドキッ!!とした強いショックがトラウマとなり、
LINEを開けるのが怖い。
またなんかキツイことが書いているんではないかと。


そういうところも似ているのだ。
彼女のセンシティブな面も知っている。
そして、自己の意志がなく、
上下左右にぶれまくっているのに、
やたらと自己肯定感が高い。
しかしその自己肯定感は、地位や名誉、仕事の能力、
美しい姿や他人からの賞賛や承認、つまり、外側。
外側は、変化する。
彼女の自己肯定感は、変化したら崩れてしまう、
水際の砂の城のようなものだ。
更に求めている相手にも、外側を求めている。
相手の外側だって、変化してしまうのに。


しかし私にとっての問題は、
”私はどうしたいか。どうありたいか”
それに尽きる。
人は変えられない。
だけどもう、前と同じ距離感は無理だと感じてしまった。
私も生身の人間だから、
壁を突き破ってくる彼女の危うさが怖いのだ。
しかし、切るとか見捨てるなどはできない。
何故なら、それは25年前の自分を見捨てることと同じだから。


内観が続く。
内側に問う。
私はどうしたい?
ハイヤーセルフよ、今私に必要なメッセージは何?


”静かに”
そう降りてきた。


そして今の答えは。ただ私は私のまま、
ここに在ろうと思う。
そうしようと思う。
無理が来るまでは。


そして必要なことは、
彼女があのまま孤独になっても、
それは彼女の選択した人生だと、
受け容れること。
大いなる視点で見れば、愛や感謝がわかろうが、
どっちでも良いのだから。
一つの人生の過ごし方に過ぎないんだ。


そして出来れば、そのままの彼女を包括できるような、
愛の人で在りたい。
それは、過去の私への癒しでもある。
あのころ私は、もう一人私が欲しかった。
そしたら、ここで、苦しんでいる私に、
肩を抱いて大丈夫だよといってくれるのに、と思っていた。
このうまく生きれない私を生きてていいと言ってくれる、
誰かが欲しかった。


そんなことを想い出した、今。


こんな長い文章を最後まで読んでくださって、
感謝しています。
ありがとうございます。


キリストの言葉を借りると、
汝の敵を愛せ。
ですな。

がんばります。(笑)



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凛
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