少し明るさが復活した高校3年
高校3年生になり、私は退学せずに高校へ通った。
やっぱり保育士を目指そうと思ったから。
でも妊娠・流産した頃に、ピアノのレッスンを辞めていたので、ピアノは弾けないまま。
保育士を諦め、ナニを目指すかと考えたときに、
【私は料理することが好きだから、調理師を目指そう!】
と思った。
カバは、実は中学卒業後に調理師学校へ進学し、調理師免許を持っていた。
高校の進路相談の教師に相談したら、
「調理師よりも栄養士が良いと思うよ」
と言われた。
そこから“栄養士”を調べて、納得してから進路についての三者面談を受けた。
面談前に親に伝えたり、相談することもなく、勝手に“栄養士”を目指すと決めた。
ただ2年生の時に、年間で45日間も欠席し、定期テストの成績はほぼ毎回400人中400番だったので、担任や進路担当の教師が頭を抱え込んでいた。
私は勉強するわけでもなく、時間が合えばカバと遊ぶことばかりだった。
とにかく勉強をしたくなくて、家にいる時はキッチンで家族の食事を作ったり、お菓子作りばかりしていた。
仕事を退職して、のらりくらりと求職活動していたカバとは、週に3回くらいSEXして過ごした。
このくらいから、私は海空先生を思い出すことが多くなった。
海空先生のキスは、優しくてとろけるようなキスだったとか・・・
海空先生に耳もとで囁かれると、腰が砕けてたとか・・・
海空先生は優しく抱きしめてくれていたとか・・・
秋を越え、冬が到来し、いよいよ受験シーズンに突入した。
私は、短大を2つ受験したが、見事に不合格をいただいた。
勉強をしてこなかったんだから、わかりきっていたこと。
高校の進路相談室に駆け込み、まだ受験可能な学校を探してもらい、栄養士専門学校の受験を勧められた。
親は仕方ないわね、と言いながら受験させてくれて、無事に合格することが出来た。
3月の高校の卒業式、私は最前列で居眠りをするほど態度が最悪だった。
卒業式後、クラスで集まって打ち上げをすると誘われたが断わった。
高校の3年間は、私にとって楽しい事なんてほぼほぼ無かったから。
卒業式には親も来てくれたが、一緒に帰ることはなかった。
校門を出ると、カバが車で迎えに来てくれていた。
カバから、最後の制服姿の稀琳とSEXしたいと言われていた。
カバのアパートへ行き、夜まで抱かれた。
これは1995年4月~1996年3月のエピソード。
海空先生に勧められた保育士から、栄養士になることにした当時の私。
とりあえず無事に高校を卒業できて良かったと、思っています。
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