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関内物語 1 BAR BAR BARが❗️
どうなりますか?
関内のBAR BAR BARと言えば老舗と言っていいですよね、40年も営業していますから。そのBAR BAR BARがエッ❗️閉店❗️………❗️❗️❗️ ではなく移転❗️でした。いつ❔実は昨年の夏から❕どこに❔旧市役所前のベイスターズ通り入口の関内新井ビルの地下❕毎日やってんの❔ ようです❕ 詳しくはHPかLINEを見てください。で、今日の話はBAR BAR BARの話なんだけど移転の話じゃなくて旧店舗の話。旧店舗が入っていた若葉ビルが5月中に解体される事になり、それを聞いた学生さんがその前にこの建物の特異性を知ってもらいたいとトークシヨウとライブを企画しました。で、私に出演し昔話をせよとジャズ協会から依頼があり、引き受けたと言う事です。
実はこの建物に価値があるとは想像した事がありませんでした。何の変哲も無いビルに見えていましたが防火帯建築と呼ばれある特殊な時期に作られたそうです。ご存知とは思いますが横浜は戦火に遭い、関内などを含め一帯は焼け野原になりました。戦前の建築物には木造のものが多く焼夷弾の前ではひとたまりも無く無残な光景を晒す事になりました。約80年前、多くの方が亡くなった日、5月29日。その悲惨な様子は戦争を知らない我々世代には想像もつきませんが、火災に強い建物を作ろうと言う意思が防火帯建築を生み戦後の復興に貢献しただろう事は想像に難くありません。若葉ビルは当初若葉運輸の本社ビルとしてトラックの車庫の機能も持っていたようですが、我々がBAR BAR BARとして認知し始めた80年代の半ばにはもう車庫の面影はなく、既に有名レストランだったカサデフジモリの隣りに洒落たパブが開店したとの記憶が始まりでした。
1984年の事でした。
この年は月(moon)が二つになっただけでなく、横浜にとっては「今」に続く節目の年となりました。そんな話や鶴さんのことは次の機会に譲ります。