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孤月を見た朝


秋の夜長の静寂に抱かれ

明けた有明朧気に

浮かぶ孤月が心に染みる

仄かに感じる寂寞に

想い描いた子狐の

涙に濡れた物語…。



紅葉色付く秋山の、風に揺らめく薄の穂。

夕暮れ時に母を追いかけ薄野原で、母とはぐれた子供の狐。

不意に聞こえた子狐を呼ぶ 母の切ない叫び声。


『こっちに来たらいけません!少し遠くにお逃げなさい!』


母の声の後に聞こえた、人間の子供が言い争い叫ぶ声。


『追いかけたらかわいそうだよ!』

『俺の妹は狐に噛まれて大怪我したんだ』

『でも、噛んだのはこの狐なの?』

『うるさい!黙れ!』


追いかけ回された母狐は、追いかけてくる人間の子どもに気を取られ振り返った時に、思いがけず足を踏み外し崖から落ちた。


『ざまあみろ!妹の仇だ』

『ひどい…しんじゃったらどうするんだよ!』


ざまあみろと言った子供だが、さすがに良心から落ちた狐が気になった。


『だったらお前が助けてやれよ!』


そう言い捨てて、友達は母狐を落としてしまった後悔から逃れるように走ってその場を後にした。

残った子供は遠回りをして崖下に降り、落ちて怪我した狐を抱いて、狐の怪我を治してほしいと父にすがって懇願し、父は狐を病院へ。

しかしひどく怪我をした母狐は、やがて眠るように静かに目を閉じた。

獣医はこの狐は子供を生んで間もない母狐で、近くに狐の子は居なかったかと子供に尋ねた。

近くに子供がいるはずだと言う獣医に、病院に狐を運んだ子供の父親は、明日明るくなったら探してみます、と告げて父と息子は狐を抱いて家に戻った。

翌日、ほんのりと明るくなった、秋らしくひんやりする朝。

父と息子の親子が母狐を手厚く葬るため山に訪れた。すると前方に、昨日子供と言い争った子供の友達がいた。


『あれ?高田くん、何してるの?こんな時間に』

『西畑くん…う、うん…崖から落ちた狐が気になって来てみたら、崖下に狐がいなくて、上から狐の声がしたから崖の上にいったら…』


そこまで言って高田くんは話をやめて、友達のお父さんが両手で抱えている段ボール箱を指差した。


『もしかしたら狐?』

『うん』

『しんじゃったの?』

『うん、残念だけど…病院に連れていったんだけど助からなかったんだ…。だからこの地に帰してあげようと思ってね…』


子供の代わりに父が高田くんに言葉をかけた。

途端に高田くんは泣き出した。


『おじさん、僕も一緒にいていいですか?』

『もちろんだよ。さぁ、崖の上に行こう』


日の出が近付いた空に、有明のか細い月が浮かんでいる。

20メートル程の高さの崖の上の方から甲高い狐の鳴き声が聞こえた。

月は夜明けの空にうっすらと浮かんでいた。

その月は、まるで子狐の気持ちを表すかのように寂しげに、か細く消え入りそうな光を帯びていた。

寂しく感じて見える月を孤月という。

子供の父である西畑俊之は子狐のものであろう声を聞き、狐という字を思い出しながら、よく似ている孤月の孤の意味が「みなしご」ということに、この時ばかりは皮肉に思えてならなかった。

息子の友達である高田くんを見る限り、反省して後悔をしていることに、もう何も言う必要は無いだろうと俊之は思った。

成長期である小学校高学年の息子と高田くんは、こうして消えてしまった命に対して、命の尊さと大切さとその意味と儚さを子供の目線で話ししている。

ちょうど二人の会話が途切れたとき、狐の母親のお供えとして持ってきた食べ物を、俊之は二人に渡して二人それぞれの想いでお供えするように言った。

子狐は母親の匂いを嗅ぎ付けて来るはずだから…と言ったと同時に、既に母親の匂いを嗅ぎ付けたのか、草むらから姿を現した子狐。

甲高く寂しそうに「こん」と鳴いた。

子どもたち二人は、おそらく子狐の気持ちになったのだろう。

ポロポロと涙を溢していた。

俊之も子供たちの涙に釣られて、親の気持ちで二人を見て目頭が熱くなった。



おしまい



狐と瓜と孤独と爪



ということで…

立場の違う相手の気持ちを考え、想いやりを忘れないようにしたいものです。
 一時的な感情や集団心理に左右されやすい人の心には後悔の念も存在します。
しかし後悔というものは後から気付くもの。
 分かっていながらもそうしてしまう人の心。
 そんな状態を、孤月と狐の親子と人間の親子で書いていた時、漢字の「瓜」の存在意味に疑問を抱いてしまいました(*^^*)♪

何故『瓜』という字が使われるのか…。

犭に瓜と書いて何故『キツネ』なのか。

子に瓜で『みなしご』を意味するのは何故か…。



調べました。
でもよく分かりませんでした💦


ただ、瓜という字は訓読みで『か』と読みます。

西瓜と書いて『すいか』と読みますよね(*^^*)b

因みに南瓜と書いて『かぼちゃ』。カンボジア発祥のカボチャということで、カンボジアがなまってカボチャになりました(*^^*)b

話がそれました(^^ゞ

狐という漢字は、瓜を『か』と読むことで、けものへん 犭にキツネの鳴き声である『コン』という鳴き声を合わせたものかもしれません。

というのも、狐の鳴き声の聞こえかたが、最初は『カン、カン』だったと言われていました。
 やがて、時が経つにつれ『コンコン』に変わったのでは?という私の憶測(笑)

『カンカン』と鳴く犭(けもの)だから、犭(けもの)がカンカンと鳴くから瓜(か)という字を合わせて『狐』という漢字になったのだと思います。…多分(笑)

ですが…、では何故 犭(けもの)へんに瓜(か)でキツネという言葉になったのでしょうか…。

私の疑問は膨らむばかり(@_@;)

調べました(*^^*)b

「キツネ」の語源、由来はやはり鳴き声から生まれた言葉で「キツキツ」「ケツケツ」という鳴き声からついた名前。

狐は、古来キツと呼ばれていた動物で、やがて意味なく「ネ」が自然についてきたもの。
 そして「キツネ」という名前が定番になったそうです。(wiki参照)

キツキツ、ケツケツ、カンカン、コンコンと人間の発する言葉は一人歩きしながら進化します。

親キツネが子供を呼ぶ時の声が「コンッ コンッ」と呼ぶので、それが現在に根付いているようです。

なので「か行」の鳴き方のキツネは「犭」に「瓜」という字も違和感ないよね……ないよね!?ね!ね?💦

無理矢理屁理屈を押し付けたところで、次に寂しく感じる月の事を『孤月(こげつ)』と言いますが、「孤」という意味は「みなしご」や「孤独」を意味していて「寂しさ」を表す言葉になっています。

丸い瓜が畑でポツンと転がっている様子が一人ぼっちの子を表しているそうです(¯―¯٥)ココロイタイ‥
孤についてはこれでやめます。

余談ですが、瓜という字はツルの間に実があることを表していますが、「瓜(ウリ)」に似た「爪(ツメ)」について(*^^*)♪

『瓜には爪(ツメ)があり爪にはつめ』がないという言葉を見つけたワタシ………………爪という字はあるじゃ  ん!え〜、わけわかめ〜とか思いながらよくよく解説を読んでみれば…似た漢字を見分けることわざのようなものだった。

その解説を読んだにもかかわらず、爪という字があるのに何故無いという…………私の疑問は尽きません(*^^*)

では、長くなるのでこの辺で(*^^*)
最後までお付き合いありがとうございました♪


                小麦


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