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天使のささやき…


幻想的な夕暮れの、雲の切れ間から降ろされた天へと続く階段。

その階段は、私だけに見えて私だけが上れる階段…

私と一緒に階段を上がる天使が私にそう言った。


夕暮れの雲は紅みを帯びた橙色の花が咲いたように光っていた。

その光は近付くにつれて濃い紅になり、彼岸花が一面に咲いているように見えた。



私は工藤由美、17才。

極普通の高校生だったけど、ただ一つだけ他の人とは違うところがあったんだ…。

それはね…男の人を恋愛対象として好きになれないこと。

他の人には内緒だったけど、私は同性愛者なのだ。

それは中学生になってから自分で気が付いたんだけど、そんなこと誰にも言えないし、誰にも相談できなくてとても辛かった。

私…他の人とは違うんだ、って知ったときはショックだった。

でも、それは自分では変えることができなかった。

そんな中学校生活を経て、高校に進学した私は部活で体操部に入った。 

そして後輩の私を可愛がってくれた同性の部活の先輩に恋心が芽生えたんだ。
 だけど「好きです」なんて言える筈もなく、同級生が異性に恋心を抱くのと同じで、私の先輩に対する気持ちは日に日に膨らんでいった。

告白する勇気はあった。

だけど…告白して嫌われる事の方が怖いのと、今の先輩後輩の関係を壊してしまう可能性もあり、先輩に何も言えないまま私は高校二年生になった。

私が一年生の時から好きだった優しい先輩。
 翌年には卒業してしまう先輩への気持ちはさらに膨らんでいった。
 それは次第に自分で抑えきれなくなって、先輩に嫌われる怖さよりも自分の気持ちを先輩にわかってほしいという欲が大きくなっていった。

そして私は抑えきれない想いを先輩に告げたんだ。

先輩はビックリしてたけど、その日は何時もと変わらずに部活の指導をしてくれた。

その日の夜、告白してしまった後悔と、もしかしたら私の気持ちを受け止めてくれるかも知れない、という想いが私の頭の中で渦巻いていた…。

でもね…

次の日から先輩は私を避けるようになった。

心の何処かでモヤモヤしていたことが現実になっちゃったんだ…。

しかも、それが先輩だけなら我慢できたんだけど…。

その先輩から部員へ。部員から私の噂があっという間に学校内に広がってしまった。

メールやLINEに誹謗中傷がたくさん来るようになって、仲の良かった友達が慰めてくれたんだけど、今度はその友達のスマホにも私のスマホに送られてくる意地悪な言葉と同じ言葉が送られてくるようになった。

そんな状況が何日も続いて、仲の良かった友達は学校に来なくなった。

友達に「私のせいで嫌な思いさせてごめんね」ってメール送ったら「由美に関わらなきゃ良かった」って返信が来たんだ…。

それが、私には一番ショックだった。

私が全部いけないんだ、同性を好きになった私がいけないんだって思うようになった。

これが女子高なら、同性の先輩に憧れて好きになることもあると思う。

でも、私の学校は男女共学。

女子の恋愛対象は、ほぼ男なんだ。

よく言われたのが、普通は女は男を好きになるし、男は女を好きになるもんだ。じゃなきゃ子供だって出来ないんだぞ、って担任にも他の人にも言われた。

ただ、保健室の先生だけは私の気持ちを分かってくれてたの。

辛いときは、いつでも私のところに来るんだよって言ってくれてた。

でも、私…その時は…もう限界だった。

数こそ減ったけど、誹謗中傷は途絶えることは無かったんだ。

友達の親から私の親のところに電話が来て、私のせいで娘が学校で虐めの対象になった、って言われたみたい。

ただ好きになった人が同性の人っていうだけなのに…。

それがそんなにイケないことなの?

普通って何?

私が全部いけないの?

私、何にも悪いことなんてしてないじゃん!

そんなことが家を飛び出した私の頭の中をグルグル渦巻いてた。




本当は…私自分のしたことを凄い後悔した。

夕暮れの雲の切れ間から降ろされた階段を上りながら…。

あんなとこから飛び降りる気持ちなんか無かったのに…。

保健室の先生の所に行けば良かったとか…

お母さんを悲しませちゃったこととか…

大人になれば良いことだってあるはずなのに…

でも…もう後悔しても遅いんだけどね…。

スマホも木っ端微塵に壊れていて、嫌な思いでも全部消えた。

保健室の先生と、登校していなかった友達やクラスメイトの数人が泣いてくれたことが、私の…せめてもの癒しだった。



天へと続く階段をゆっくり上がりながら、橙色から彼岸花のように紅く染まっていく雲を見上げていた。

彼岸花の花言葉を思い出しながら、私は天使の後について階段を上がっていた。

階段を上りながら、私を呼ぶ声に気付いて立ち止まった。

『由美…』

私を呼ぶ声に振り返った。

『由美…由美…』

お母さんの声だった。

『…お母さん…』

私はそう呟くと、幼い子供のように泣き出して、お母さんにごめんなさいって何度も謝ってた…。

『帰りたい?お母さんのところに…』

その時、私の前で立ち止まっていた天使が私に囁いた。

『はい…帰りたい‥』

私はしゃくりあげながら天使を見て返事をした。

『自分がしたこと後悔してる?』

『してます…』

『自分の命を粗末にしないと約束できる?』

『はい…』

『これからも同じようなことがあるかもしれないけど耐えられる?』

『はい』

私は泣きながらも天使の問い掛けに応えた。

『そう‥‥わかりました』

天使がそう言うと、たくさんの鳥が舞い上がる中で、私は急激に深い眠りに落ちていった。


『由美…』

お母さんの声が聞こえた。

私の手に触れる温かい感覚に自然と瞼が開いた。

ボヤけた瞳に映るお母さんの横顔が、次第にハッキリと見えてきたとき、私の手を握っていたお母さんの手を無意識に握り返していた。

お母さんは驚いたように私の顔を見ていた。

徐々に深い眠りから覚めていくのを感じながら視線をずらすと折り鶴が束ねられた千羽鶴が見えた。

たくさんの鳥は折り鶴だったんだ、と私はその時思った。

その千羽鶴の横に、見慣れた友達の顔と保健室の先生の顔が見えた。

二人とも私の腕に手を添えながら笑顔を見せていたけど、涙をポロポロ溢していた。

私も同時に涙が込み上げて溢れていくのがわかった。

保健室の先生が溢れでる私の涙をティッシュで拭ってくれた。

白衣を着た医師が来たことで、私はその時初めて病院にいることを自覚した。

『工藤さん、娘さん頑張りましたね』

『先生、ありがとうございました』

お母さんと医師の言葉がなんとなく聞こえていた。

その時、私の涙を拭う保健室の先生を見つめながら、私に優しく囁いてくれた天使を保健室の先生に重ねていた。

私が無意識に映し出した虚像の天使だったのか…。

それとも私の中に入り込んできた保健室の先生だったのか…。

そんなことを考えながら…もう一度天使の囁きに応えるように「他人にどう思われようと私は私なんだ…」と呟いた。

そう思うと同時に「もう負けない」と保健室の先生の顔を見ながら心で呟いた。

保健室の先生が泣きながら頷いたように見えた。

病室の窓の外を見ると雲の間から一筋の光が射していた。

その光がすぐに消えていくのを見ていた私の中で、強い意志が沸き上がるのを感じていた。

翌日、私が胸の内を打ち明けた部活の先輩がお見舞いに来てくれた。

私への謝罪と、大学受験を理由に部活を辞めたことを告げて帰っていった。

後から聞いた話だけど、私の噂を広めた切っ掛けになった先輩も、当初は酷いバッシングを受けたということを聞いた。

でも、それは私の飛び降り事件を切っ掛けに、他人への誹謗中傷を非難する傾向が強まり、先輩へのバッシングはすぐに無くなったと知った。

先輩がお見舞いに来てくれた後で、クラスメイト大勢で病院へ行くのは迷惑になる、ということで私の友達が代表でクラスメイトの私へのメッセージを伝えてくれることになった。

その友達のスマホに次々と映し出される私へのビデオメッセージには私への謝罪と励ましの言葉がたくさん詰まっていた。

私の心はクラスメイトの気持ちに励まされながら、天使のささやきに誓った強い意志と共に、暗いトンネルを手探りで出口へと向かい始めた。


      小麦



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