紅い黄昏…(読み切りハードボイルド)
前書き
二人の若者(斉藤竜一)(佐田義之)を中心に、何気無い日常から発展するトラブルと、その世界観。
その中で垣間見る固い友情。
竜一と義之のラストシーンでは、二人のその後を想像していただけるようなエンディングにしました。
ハードボイルドサスペンスとして書いた北方謙三さんファンであるワタクシ安桜芙美乃の作品です。
※※※※※※※※※※※※※※
幼馴染み
傷害事件を起こして、刑務所で5年の服役を終えた佐田義之は、看守に頭を下げて刑務所を出た。
少し離れた所に軽自動車が一台止まっていた。
刑務所から出てきた義之を確認した斉藤竜一が、車から出て義之に向かって手を振った。
義之は、口許だけでニヤリと笑い竜一の車へ向かって歩きだした。
『義之!』
久しぶりに見る幼馴染みの義之を見て笑顔になる竜一。
『迎えに来てくれたんだ』
義之も刑務所の外で会う幼馴染みの竜一に笑顔を見せた。
『当たり前だろ!こういう時ってのは誰かが迎えに来るもんだと思ってさ。映画とかでよく見るじゃん。ちょっと真似してみた。乗れよ。帰ろうぜ…』
そう言った竜一だが、帰る場所の無くなった義之を、出所の時には必ず迎えにいくと決めていたのだった。
竜一は、義之を自分の軽自動車の助手席に乗るように促した。
『わりぃな…ありがとう、竜一…』
義之は、規律の厳しい刑務所の中では他人に見せたことのない笑顔を竜一に向けて軽自動車の助手席に乗り込んだ。
佐田義之が傷害事件で刑務所に入ったのは、些細ないざこざが発端だった。
義之が21才の時のこと。
幼馴染みで仕事仲間でもある竜一と同僚二人の四人で、夕暮れ時に横浜のみなとみらいへ遊びに行ったときのことだった。
みなとみらいから山下公園に向かうときに、同僚の一人がトイレに行くと言ったきり戻ってこなかった。
同僚の一人が携帯に電話したが、コールはするが出なかった。
皆で探していた時、同僚を見つけたが服はボロボロで顔に痣が2ヶ所と鼻血を出してよろよろと歩いていたのを義之たちが見つけた。
同僚がトイレから出たところで、肩がぶつかって口論となり4人のグループと取っ組み合いの喧嘩をして、ぼこぼこにやられた挙げ句、財布と携帯電話を取られたということだった。
義之と竜一は、同僚に四人グループの特徴を聞いて辺りを探した。
四人のうち二人はスカジャンを着ていて、一人はロン毛だということだった。
義之と竜一は、四人グループを探し特徴が一致するグループを見つけた。
竜一が4人グループに声をかけて、トイレで喧嘩していたところを見なかったか、と聞いた。
スカジャンを着ている一人の手に、同僚の財布を持っているのを見た義之も竜一に続いて、連れが殴られて財布を取られたことを告げ、同僚の財布を持っていたスカジャンを着た男に一歩詰め寄った。
『知らねぇよ、そんなこと。知っててもお前らに教えるつもりもねえし…なぁ?』
スカジャンの男はそう言って、同意を求めるように仲間の3人の顔を見た。
『なんだてめぇ!俺たちに言い掛かりつけんのか?あぁ?』
もう一人のスカジャンの男が義之を睨み付け近付いた。
『顔近いし口臭ぇんだよ。近寄んなよ!』
鼻をつまんで男から離れる仕草をする義之。
そこからエスカレートして喧嘩になり、竜一がぼこぼこにやられているのを見て義之は逆上。15才の時から始めていたボクシングで鍛えられた拳が、スカジャンの男のこめかみを直撃した。
人形が倒れるような感じで手足を痙攣させ、身体を硬直させて倒れた。
それでも倒れたスカジャンの男を殴り続けて、後遺症が残る怪我を負わせてしまった。
更に、竜一に襲い掛かっていた男にも、義之は強烈な拳を腹と頬と顎に食い込ませた。
男は崩れるように倒れて動かなくなった。
義之が竜一を抱き起こしたところで、通報で駆け付けた警察官に義之は取り押さえられ、傷害の現行犯で逮捕された。
そして5年の刑期を終えて出所したのだった。
怪我を負わせてしまった相手に対しての、後遺症を含めた慰謝料と治療費は相手が犯した竜一と同僚への傷害、財布を盗んだ窃盗の罪を差し引いても大きな金額だった。
義之の母親は亡くなった夫が残した家を売り、実家からお金を借りて慰謝料と治療費に充てたが、それでも足りなかった。
竜一も大怪我をして、相手からの慰謝料を義之の母親に全て渡した。
その半年後に義之の母親は、精神的な疲れから病に倒れ、帰らぬ人となってしまった。
義之は、悔やんでも悔やみきれない思いに心が壊れそうになっていたが、幼馴染みの竜一が一月に一回は必ず義之の入所している刑務所へ面会に来ていたことと、頻繁に手紙を送っていたことが義之の心を辛うじて支えていた。
そして5年の刑期を終えて義之は出所したのだった。
『義之…暫く俺んとこ居ろよ。暫くじゃなくてもずっとでもいいからさ…』
『うん…帰る場所無くなっちまったからな…。家借りられる金ができるまで居てもいいか?』
『お前にそう言われなくても俺はそうするつもりだったし、何時まで居ても構わないって思ってるから気にすんなよ』
『悪いな…ありがとう』
『俺とお前は5才の時から、ほぼ毎日顔付き合わせてきてるんだからさ…家族と同じだろ?俺には遠慮すんなって』
竜一はそう言って家とは反対方向である横浜新道に入っていった。
『どこ行くんだ?竜一…お前の家こっちじゃないだろ?』
竜一の家に帰るのに横浜新道に入るのはおかしいと思う義之。
『ちょっと寄り道だよ』
義之の顔をチラッと見て意味ありげに笑う竜一。
『何だよ、その含み笑いはよ』
義之には、竜一がこういう含み笑いをするときは何かを企んでいる、と分かっていた。
しかし、義之は竜一の企みを楽しもうと思い、敢えて聞こうとはしなかった。
5年振りに噛み締めている兄弟のような親友が隣にいる安心感と刑務所の緊張感から解放された義之は、いつの間にか助手席で眠っていた。
『義之、起きろ。着いたぜ』
目を覚ました義之の目に入ったのは、数年振りに見るお寺だった。
『…』
『ほら、行くぞ。義之の母ちゃんは俺の母ちゃんでもあるんだからさ。挨拶にいこうぜ』
『竜一…ありがとう…』
今にも泣きそうな義之の肩に手を添えた竜一が、助手席の義之を外へ押し出した。
お寺の水桶に水を汲んだ竜一は義之に水桶を渡し、寺の中で売っている線香を買って義之の母親が眠る墓前まで歩いていった。
その後を、義之は俯きながら躊躇いがちにあるいていた。
そして母の眠る墓前で、義之は後悔の念に苛まれて手を合わせたまま声をあげて泣き出した。
竜一は義之の横で手を合わせた。
苦労をかけて葬式にも出られず、親の骨も拾えなかった義之の母に対する気持ちを思えば、何も言わず側にいるだけでいいだろう、と思い義之の気が済むまで竜一は義之の母の墓前で手を合わせていた。
義之の泣き声はすすり泣きに変わり、母への想いを呟きなが五分ほど手を合わせていた。
一頻り手を合わせた義之と竜一は、水桶の水を柄杓で汲み上げ、墓石の上や横に水をかけた。
『義之、ちょっと待っててな。すぐそこにある花屋で花買ってくるからさ』
『あぁ、そうだな…あ、ちょっと待って…』
義之はそう言って、ポケットからくしゃくしゃになっている千円札二枚を出して竜一に渡そうとした。
『いらねぇよ…』
『いや、これで買ってきてほしいんだ…』
義之の真剣な眼差しを見て、しわくちゃのお金を竜一は受け取った。
竜一は寺を出て目の前にある花屋で花を買い、戻ってきた。
『買ってきたぜ』
竜一は義之に花を渡した。
『ありがとう』
竜一から花を受け取って、義之は墓石に花を手向けた。
追跡者
竜一と義之が車に戻ると、竜一は右側のフロントタイヤがパンクしていることに気付いた。
竜一は、舌打ちをして車のトランクを開けた。
『どうしたんだ?竜一?』
助手席に乗り込もうとした義之は竜一の舌打ちに気付いて声をかけた。
『パンクだよパンク…。新しいタイヤに履き替えて一月しか経ってないのによ~』
竜一はぶつぶつ言いながらトランクからスペアタイヤと工具とジャッキを出した。
『手伝うぜ。ジャッキ貸して』
『おぅ、サンキュー』
竜一は義之にジャッキを渡した。
車体をジャッキで持ち上げ、タイヤが地面から浮き上がる前に義之はレンチでタイヤのボルトを緩めてから、ジャッキでタイヤが完全に浮くまで持ち上げた。
パンクしたタイヤを外すときに、義之はタイヤの真横に小さな新しい穴が空いていることに気が付いた。
辺りを見回す義之。
寺の入り口に、動く影を見た。
『どした?義之』
キョロキョロと辺りを見回す義之を見て、竜一が声をかけた。
『あぁ、何でもない。ほらパンクしたタイヤだ。スペアタイヤ取り付けるからトランクにパンクしたタイヤ入れとけよ』
『おぉ、じゃぁ取り付け頼む』
そう言って竜一は、パンクしたタイヤをトランクにしまおうとした時、タイヤの横に穴が開いているのを見つけた。
「パンクの原因はこれか…アイスピックみたいので突いた穴か?」
心の中で呟いた竜一も、辺りをキョロキョロと見回した。
そこへタイヤを着け終えた義之が、工具とジャッキを持って竜一の横に立った。
『お前も気付いたか?』
『あぁ、まるでピンポイントで狙われたようで、ただの悪戯じゃないような気がする』
『俺もそう思ってた。さっき寺の入り口で、こそこそ隠れた奴がいたんだけどさ…』
二人は寺の入り口を暫く見た後、車に乗り込んだ。
竜一はエンジンをかけたが、すぐに動こうとはしなかった。
『なぁ、義之。誰だと思う?パンクさせた奴…』
『もしかしたら、俺が思っている奴とお前が思っている奴…同じかもしれないな…』
『てことは…あいつか…』
竜一が呆れたような顔で言った。
『たぶんな…』
そう言って義之はため息をついた。
『せーのでそいつの名前言ってみようか。俺と義之が言う名前が一緒なら、そいつに間違いないと思うからさ』
『そうだな。じゃいくぞ。せーの!』
『三浦!』
『三浦!』
『おー、やっぱりそうか!』
竜一が義之を見てハイタッチの右手を義之に見せた。
『ぴったしカンカンだな!』
義之も竜一のハイタッチに左手を合わせた。
『ていうことはさ、俺と義之への復讐ということでいいのか?』
『竜一は関係ないだろう…。奴に怪我させて右目が見えなくなったのは俺のせいだからな』
義之は、そう言って俯いたまま自分の右手の拳を左手で撫でていた。
『アイツも根に持つ野郎だな…。十分慰謝料も手に入れたはずなのによ。何時までも根に持ってたからな…』
『…』
義之は黙ったままだった。
家を売り実家に借金までして、自分の尻拭いをさせてしまった母親のことを考える義之。
竜一は、出所したばかりの義之に問題を起こさせたくない思いもあり、これから起こりうる出来事を想像しながら車を寺から出して横浜新道へと向かった。
竜一と義之は後ろからついてくる奴がいないか確かめながら、横浜新道を竜一の自宅へと走らせていた。
二車線ある横浜新道の左の走行車線を80キロで走っていると隣の車線を竜一の軽自動車と並んで走る黒いレクサスが竜一の車のスピードに合わせて走行していた。
黒のレクサスの前方は車がいない状態で、竜一の車と平行して走行しているので、二台の車の後ろは自然に後続者が連なっていった。
竜一はスピードをあげた。
黒のレクサスもスピードをあげて竜一の車に並んでいた。
『義之!奴等かな?』
『たぶんな。スモークで中は見えないけど、奴に間違いないんじゃねぇか?』
『やっぱり跡をつけてけてきてたのか…どうして義之が出てきたの知ってるんだ?奴ら…』
『刑務所の中じゃ、誰々がいつ出る、とか皆分かってるからな。そんなこと調べようと思えば簡単だと思う…』
『そうか…』
竜一は、そう呟いたとき、前方に非常駐車帯の標識を見つけた。
追い越し斜線にいる黒のレクサスには、後続者が煽ることもなく、竜一の軽自動車は後続者のパッシングの嵐だった。
竜一は、構わず走行車線を70キロの速度で走り続けた。
『義之!非常駐車帯で止まって奴等をやり過ごすぞ!』
『賛成だ…後ろの車が可哀想だもんな』
そんなことを言いつつも、義之は黒のレクサスから目を離さなかった。
そして、竜一の車が非常駐車帯へ滑り込んだ。
レクサスのブレーキランプが一瞬点灯したがそのまま走り去っていった。
竜一の後ろにいた車は、堰を切ったようにスピードを上げて走り去っていった。
『何とかやり過ごしたな』
竜一は、そう言って助手席の義之を見た。
義之は俯いたまま、小さな声で『あぁ…』と言っただけだった。
『なぁ、義之。あいつら…俺達をどうするつもりなんだろうな…』
『竜一は関係ないだろう。あいつらは俺に用事があるんだろうからさ…』
義之は、そう言って窓の外を眺めた。
『なぁ、竜一。お前の家に行くのやめるよ』
義之の言葉にカチンときた竜一。
『何言ってんだよ!俺を巻き添えにしたくない、とか思ってんじゃねぇだろうな?
もう俺は十分巻き添えになってんだからよ!一人で格好つけてんじゃねぇよ!
俺は…もし、お前に何かあったら俺だって黙ってられなくなって奴等に何するかわかんねえんだからよ!
お互いを止める奴がいないと、俺とお前のどっちかが警察の世話になっちまうかもしれないんだぞ?
その確率はお前の方がずっと高いんだからな。
俺がどれだけお前が刑務所を出てくることを願ってたか分かってんのかよ?
また、お前が刑務所行きなんてゴメンだぜ!』
『…』
義之は何も言わなかったが、兄弟同然の竜一の気持ちは痛いほど胸に刺さった。
自分が竜一の立場だったら同じことを言うだろうと思う義之だった。
『分かったよ竜一。お前の家に行くよ』
『そうしてくれ。俺もその方が気が楽だからさ』
そう言って竜一は再び車を走らせて家へと向かった。
竜一の車から離れた後ろに止まっていたバイクに竜一が気付くことはなかった。
拉致
家に着いた竜一と義之の跡をつけていたバイクの男は、竜一と義之のアパートと部屋を特定した。
バイクの男は携帯を取り出して電話をかけた。
『もしもし、澤田です。奴等の家、分かりましたよ。住所メールで送りますね』
三浦の仲間である澤田から三浦の携帯に竜一と義之がいる場所の住所が送られてきた。
『住所が分かったぞ。奴にタップリ稼いでもらおうぜ』
三浦の企みに、仲間達は準備を始めた。
翌日の朝、竜一のアパートの近くに、三浦の仲間が車に乗ったまま竜一か義之が出てくるのを待っていた。
そんな状態が続いた四日目、竜一が仕事にいく時間を見極めて三浦の仲間三人が、出勤前の竜一をワゴン車に連れ込んで拉致した。
竜一が拉致されたことを知らずに、朝9時過ぎに目を覚ました義之。
10時になり、空腹を感じた義之は冷蔵庫を開けて中を見たが何も無かった。
『そういえば、あいつ食い物無いから金置いておくって言ってたな』
竜一が言った通りテーブルの上に一万円札が一枚置いてあった。
義之は、服を着てコンビニへ行くため外へ出た。
そしてアパートの横の駐車場に、竜一の車が止まっていることに気付いた義之。
『あれ?竜一の車が何であるんだ?』
義之が竜一の車に近付いたとき、駐車場に車が一台入ってきた。
黒のレクサスだった。
義之は身構えた。
黒のレクサスは義之の側で止まり、中から三浦と仲間であろう3人が出てきた。
『よう。久しぶりだな、佐田』
三浦が義之に近寄りポケットからタバコを取り出して火を着けた。
『お前のお友達の斉藤くん、こっちで預かってるぜ』
義之を見下すような顔で、タバコの煙を義之の顔に吹き掛けた。
『竜一に何をしたんだっ!あぁ?三浦さんよ!』
義之は三浦を睨み付けた。
『おいおい、相変わらず威勢がいいねぇ佐田くん。お友だちがどうなってもいいのか?』
『何が望みなんだよ』
義之は三浦を睨み付けたまま言った。
『おぉ~。やっぱりお友達は大切にしないとなぁ。お前が逆らえば斉藤は辛い目にあうだけだからな』
『用件があるならさっさと言えよ』
三浦の態度にイラつく義之。
『お前さ、俺のこの見えなくなった目の落とし前、ついたと思ってねぇよな?俺は不便でしょうがねえんだ…。
もっと金貰わねえと割りに合わねえんだよ。
そこでだ、お前に仕事をやらせてやろうと思ってよ。
出所したばかりだと仕事も直ぐに見つからないだろうから、俺が優しく手を差し伸べてやろうと思ったわけだ。ありがたいだろ?やってみないか?
というかお前は、やらざるを得ないんだよな。大事なお友達のことを考えればさ』
三浦はそう言って義之の顔にタバコの煙を吹き掛けた。
『薄汚ねぇし臭ぇ野郎だな』
三浦を睨み付けたまま義之は言った。
『佐田、俺が薄汚いとかそういうこと聞いてるんじゃねぇんだよ。仕事やるのかやらねえのか聞いてるんだよ』
『やりゃあいいんだろ!その代わり竜一にちょっとでも怪我させたら、あんたのもう片方の目潰すからな』
『やりゃあいいんだろ、じゃなくってよ。お願いします、やらせてくださいって言わなきゃなぁ。俺はお前を雇ってやるんだからさ』
『口が避けても言いたくねえな、そんなこと。でも仕事はやってやる。ただ、一度だけだからな』
『おいおい、一度だけで俺の目が元通りになるとでも思ってんのか?
俺が満足するまでお前は俺の下で働かなきゃなんねえんだよ』
三浦と話すのがバカらしくなってきた義之は、この場は竜一のためにも断れないと思うのだった。
『ハイハイ、わかりました。仕事は何をするんですか?』
三浦をバカにするような話し方で義之は仕事の内容を聞いた。
『ハイは一回でいいんだよ、佐田』
三浦は義之を睨んだまま少しの間黙った。
『まぁいいや。とりあえず、お前には銀行の職員になってもらうからよ。キャッシュカードを受け取ってくるだけでいいんだ。簡単だろ?』
『なんだ、チンケな詐欺かよ。俺は銀行でも襲うのかと思ったぜ』
『全くテメェは口数の減らねえ野郎だな。いい加減腹立ってくるぜ。黙って俺の言うこと聞いてりゃ斉藤も怪我しないで済むんだからよ。文句言わず言われた通りやればいいんだよ!後はこいつらに聞いて指示通りやれや』
三浦は火の着いているタバコを指で弾き義之に当てた。その時、駐車場に白いライトバンが入ってき。
三人の男が降りてきて義之の腕を後ろ手に結束バンドで縛り、ライトバンの後部座席に義之を押し込んだ。三浦はそれを見届けてからレクサスに乗り込んだ。
車で一時間ほど走ったところで、車は小さなビルの地下駐車場に入った。
そのビルの4階に三浦の事務所があった。
表向きは消費者金融の看板を掲げているが、ヤミ金の臭いがプンプンしていた。
事務所にはガラの悪そうな若い奴に混ざって、学生風の大人しい感じの奴もいた。
義之は三浦の事務所を見て、こんなところにいたら、また刑務所に逆戻りだと思った。
竜一を助けるためにも、この事務所をどうやってぶっ潰そうかと、その事ばかり考えていた。
三浦の部下が義之の結束バンドを切り、義之に詐欺の銀行員としての振る舞い方や話し方を説明していたが、義之は上の空で聞いていた。
亀裂
『お前、俺の話聞いてんのかよ。失敗したら、お前刑務所に逆戻りだからな。分かってんのか?』
『ハイハイ分かってますって。それより俺の友達は何処にいるんですかね』
『それは教えられねぇな。お前がちゃんと仕事すれば会えるかもしれないけどな』
義之に詐欺の説明をしていた男を見ていて、義之は簡単に騙せるかもしれないと思った。
『じゃあ、早速仕事いくぞ、佐田』
『ハイハイ。人を騙してお金を取るのは俺の動議に反する事だけど、親友が傷つけられちゃ嫌ですからね』
『やっと自分の立場が分かってきたようだな。お前』
『そうだ、先輩の名前聞いてなかったですね』
義之は詐欺の説明をしていた男を先輩と呼びながら、二人で地下の駐車場に向かって階段を下りていた。
階段を下りていくと、下から茶髪の男が階段を上がってきた。
『あっ、安藤さん。アイツ、斉藤とか言う奴。暴れちゃってしょうがないですよ。交代間際にもう一度腹と顔に何度もパンチ入れてやったら大人しくなりましたけど、一人で監視してるのは交代でもキツいっす。せめて二人にしてもらえないですかね』
それを聞いた義之は、階段を上がってきた男の顎を目掛けて拳を放った。
男は、そのまま後ろに倒れて上がってきた階段をゴンゴンと音をたてて転がり落ちた。
『お前!何やってんだこの野郎!』
『先輩、安藤っていうんですね。アイツが今言ってたこと…俺の友達の事ですよね?俺の友達を殴ったって事ですよね?俺の友達に手を出すからムカついて殴っちゃったんです。すみませんでした』
安藤の前で義之はシャドーボクシングをしていた。
義之の一撃を目の当たりにした安藤。
義之に対して怯えが出たのか少々弱腰になった。
『あ、あぁ…お前の友達のことだ。地下に監禁してる。お前に仕事をさせるためにな』
『地下の何処にいるんでしょうか…俺の友達は…』
『仕事が終わったら教えてやるよ』
『約束ですよ、安藤さん』
義之は、階段を転がり落ちて倒れている男の襟首を掴みそのまま階段を引き摺りながら地下まで降りようとした。
『そいつ、ど、どうするつもりなんだ、お前』
『安藤さん、こいつが目覚めたら階段ですれ違った安藤さんのせいになっちゃいますよ?地下に隠しておいた方がいいと思って』
義之はそう言いながら、男の襟首を掴んでいた手を離し、蹴り飛ばして再び階段を転げ落とした。
ゴン、ゴンという鈍い音と共に、男は更に下の階へ落ちていった。
『この方が楽ですね』
『お、お前…えげつないことするんだな』
『俺の友達を監禁して殴る方がえげつないと思いますよ?安藤さん?』
義之は階段を降りて転がり落ちた男を見ていた。
『安藤さん、こいつヤバイです。手と脚が不自然に曲がっちゃってます。救急車呼んだほうがいいんじゃないですか?』
『そ、そうだな。佐田、地下まで運ぶから手を貸せ』
『はい』
義之は、返事をして倒れている男の両手を持つと左右の腕の長さが明らかに違っていた。
『ありゃりゃ…これ骨外れてますね肩からぐにゃぐにゃですよ安藤さん』
『いちいち言わなくていいから早く地下まで運べ』
男を地下まで運んだ安藤と義之。
安藤は携帯を取り出して事務所に電話をかけた。
静かな地下の駐車場に事務所からの安藤に対する罵倒が聞こえてきた。
安藤は義之が男を殴った事は言わなかった。
義之は倒れている男の上着の内ポケットに入っていた携帯を取り出して自分の上着のポケットに隠した。
『はい、はい…わかりました』
安藤は、不満そうな顔をして電話を切った。
『安藤さん、救急車は?』
『ほっとけってよ…。三浦の野郎俺達をなんだと思ってやがるんだ』
三浦に対して嫌悪感を持った安藤を見た義之は、ここぞとばかりに安藤を丸め込もうとした。
『安藤さん、あの事務所ヤミ金ですよね?それに加えてオレオレ詐欺なんて捕まるの目に見えてるじゃないですか…この人を騙して金を巻き上げるなんて、手当そんなにいいんですか?』
『…』
『やっぱり上の者だけが美味しい思いしてるんですね。今回の仕事で足洗ったほうがいいですよ。
俺も友達助けたら、ここの事務所ぶっ潰すつもりですから。逃げたほうがいいですよ?』
『お前…そんなこと考えてるのかよ。ここの事務所は暴力団が仕切ってるんだぞ?すまきにされて海に沈められるぞ』
『大丈夫ですって。俺も刑務所出たばかりで、また刑務所に戻るなんて嫌ですからね。況してや人を騙して金を巻き上げるなんてしたくないですから』
『お前刑務所にいたのか。何やったんだ?』
『三浦の片目を潰して傷害で捕まったんです。
5年前に俺の友達に大怪我させた上に財布まで盗りやがったから、俺が三浦を睨み付けたままぼこぼこにしたんです。
俺、ボクシングやってたから凶器扱いで三浦の片方の目潰しちゃったから。5年刑務所に入ってました。
そしたら俺が出てくるの待ってたようで慰謝料も治療費も満額払ったのに、足りねぇから俺の仕事手伝って足りない分払えって言って、俺が断れないように俺の幼馴染みの親友を拉致ってここに監禁してるんですよ。
だから、俺は三浦をぶっ潰します。社会への貢献だと思って』
『なるほどな…三浦のやりそうな汚ねぇ手だな。そうか…』
安藤はそう言って暫く考えていた。
『佐田、こっち来い。友達のところ連れていってやるよ』
『えー、大丈夫なんですか安藤さん、そんなことして…。今回の仕事してからでいいんですよ?もっとも俺が邪魔するつもりですが』
義之はそう言ってニヤリと笑った。
『仕事を邪魔するってどうするんだ?』
『俺がいわゆる受け子というんですよね?キャッシュカードを受けとる役目だから、そこで素性をバラします。ここの住所を伝えて警察に電話するように相手に言うつもりです』
『なるほどな…そういうことか。なら直ぐにでも三浦に伝えなきゃな』
安藤はそう言ってニヤリと笑った。
『なるほど…そう来るのなら安藤さんもここで、この男のように寝転がる事になりますよ?』
義之に階段から落とされた男を指差し、義之は安藤を見た。
『佐田、嘘、嘘だよ!冗談に決まってるだろ!俺だって、本当はこんなこと辞めたいって思ってるんだからよ。お前の三浦をぶっ潰す案に俺も乗るぜ。お前の友達はこっちにいるんだ。来いよ』
安藤は小走りに地下の駐車場を走り突き当たりのドアの前で止まった。
『ここだ。この中にお前の友達と見張りが一人いる。お前なら見張り一人くらいなんてことないよな?』
『もちろんです』
『オッケー、じゃあ開けるぞ』
安藤は義之の顔を見てドアをノックした。
『誰?』
中から声が聞こえた。
『俺だ、安藤だ』
鍵を開ける音がしてドアが開いた。
髪を赤く染めた若い男が顔を出した。
『安藤さん、どうしたんすか?』
頭をかきながらめんどくさそうに応える若い男。
『その男、解放するぞ』
『そうなんですか?じゃあ社長に電話しないと』
『電話しなくて大丈夫だ。俺が直接言われてきたから』
『でも、社長は他の人がこいつをこの部屋から出す権限は無いって言ってましたよ?俺以外の命令は聞くなって言われてます』
安藤と若い男のやり取りを聞いていて、イラッとした義之はドアの横から若い男の顔を目掛けて素早いパンチを繰り出した。
義之の拳は若い男の鼻っ柱にめり込んだ。
若い男は後ろに吹っ飛び鼻を両手で押さえてもがいていた。
鼻を押さえる手の隙間から血がダラダラと零れた。
そして逃げるように部屋を出ていった。
『竜一!』
義之が部屋に入ると、逃げられないようにするためか、竜一は素っ裸で椅子に縛り付けられていた。
紅い黄昏
竜一の体は痣だらけで、細いロープでキツく縛られた手足は壊死しかけているように見えた。
義之は、竜一の口に詰められた靴下とタオルを取ってやると歯が二本溢れ落ちた。
『これじゃ拷問じゃねえかよ…』
安藤の声が義之の耳に微かに聞こえた。
それから手足のロープをほどこうとしたがキツく縛られていて中々ほどけなかった。
ほどく気もなかったような縛りかただった。
『安藤さん!ナイフ持ってない?』
『俺は持ってねぇな…あっ、車にあったかもしれない。ちょっと見てくる』
『さっきの若い奴が上に知らせに行ったかもしれないから早めに何か探してください!お願いします』
竜一の手足を縛ったロープは素手ではどうやってもほどけなかった。
義之は何か切れるものがないか探したが部屋には何もなかった。
そこへ安藤が戻ってきた。
『佐田!あったぞ!早く切ってやれ』
安藤からカッターナイフを受け取り、義之は竜一の手を縛っているロープを切り始めた。
竜一の両手が、どす黒く膨れ上がっているのを見て、義之は怒りが込み上げてきた。
『三浦の野郎…半殺しにしてやる…』
竜一の手を縛っていたロープがようやく切れたところで、騒がしい声が聞こえてきた。
手のロープがほどけたことで、竜一は両手を抱え込むように前屈みになった。
『待ってろよ竜一。もうすぐ足のロープも切れるからな。切れたら一暴れしてくるからよ。お前をこんな目にあわせた野郎に鉄拳ぶちこんでやる』
部屋の外が一段と騒がしくなった。
安藤の叫び声も聞こえていた。
『切れたぞ、竜一!ちょっと待ってろな?もうお前には誰も触れさせねぇからよ』
ドアから駐車場を見ると、安藤が5人の男達に袋叩きにされていた。
義之には、5人が事務所の幹部連中のように見えた。
倒れても尚、執拗に安藤に蹴りを入れている男達。
安藤は身体を丸めて腹と顔を無意識に守っていた。
五人の他に若い男二人がナイフを持ちながら、義之に襲いかかってきた。
ファイティングポーズをとる義之。
5年の刑務所暮らしだったが、義之の動体視力も反射神経も衰えてはいなかった。
間合いをとり、襲いかかるナイフを避けて若い男の顎に強烈な拳を当てた。
男は操り人形の糸が切れたように崩れ落ちた。
もう一人の男の腹に義之の重たい拳がめり込んだ。
間髪いれずに左手の拳が男の顔を捉え、男はくるりと身体を回すように地面に崩れ落ちた。
竜一の姿を見た義之の拳に手加減は無かった。
男はうめき声も出せなかった。
義之は二人の男を数秒で片付けた。
それを見ていた、安藤をリンチにかけていた男5人が義之にじわじわと近付いてきた。
義之は、ファイティングポーズをとり相手の出方を見ていた。
二人が鉄パイプを持ち、残りの3人がナイフを持っていた。
五人は義之を扇状に取り囲んだ。
五人の執拗なリンチから免れた安藤は、携帯を取り出し110番にかけてそのまま通話状態にした。
男達の義之に対する罵声が駐車場内に響き渡っていた。
その声は、安藤の携帯電話から警察へと届いていた。
鉄パイプの男が義之に襲いかかった。上から振り降ろされた鉄パイプを上半身だけで避けた義之は、体制を立て直して再びファイティングポーズで相手の出方を見ていた。
相手が鉄パイプを振り上げたところで義之の左アッパーが綺麗に相手の顎に入った。
ワンパンチで鉄パイプの男もダウンして、鉄パイプが乾いた音をたてて転がった。。
残りの4人が一斉に義之に襲いかかってきた。
義之は軽いステップで横に跳んだ。
左利きなのか、左手で鉄パイプを振り上げた男の顔に義之の左ストレートが顔の真ん中に入った。
再び鉄パイプが転げ落ち乾いた音をたてた。
残りはナイフを持った3人。
義之を中心に前と左右に広がったナイフを持つ男達。
義之の前にいる男がナイフを付き出した。
左に跳ぶ義之。
その時、左の男の突き出したナイフが義之の脇腹に深く食い込んだ。
一瞬よろめいた義之だが、ファイティングポーズをとり身構えた。
脇腹が焼けるように痛かったが、義之は正面にいる男の顔に渾身の一撃を繰り出した。
右から回り込んだ義之の力を込めた拳は、男の顔面を綺麗に捉え、男の顔が勢いよく横を向き、その後に身体が追い掛けるようにクルリと向きを変えて倒れた。
義之の脇腹にはナイフが刺さったままだった。
叫びたくなるような痛みだったが、義之はファイティングポーズを崩すことはなかった。
義之の脇腹を刺して、ナイフを持たない男にパンチの連打を浴びせる義之。
男は崩れ落ちた。
義之も脇腹の痛みに負けて方膝を着いた。
残る一人のナイフを持った男が義之に近付いてきた。
義之は気合いで脇腹のナイフを引き抜き、痛みを堪えて立ち上がり、上着を脱いで脇腹を上着でキツく縛り傷口を締め付けた。
多少楽になった気がした。
痛みを堪えてファイティングポーズをとる義之。
義之は、相手の動きを見逃さなかった。
前に付き出されたナイフを避けて、義之の繰り出した右腕の拳を下から上に突き上げた。
義之の拳には何かが砕けるような感触が伝わり、男が仰け反るように後ろに反り返り、男の足が宙に浮いているのを義之はスローモーションで見ているように思えた。
倒れた男の顎は、上顎と下顎が見事にずれていて、だらしなく開いていた。
義之の右手の小指も折れていた。
義之は竜一の側にいき、なんとか竜一を担いで駐車場を出ようとしたとき、三浦が駐車場に降りてきていた。
『佐田よぉ…俺の大事な社員になんてことしてくれたんだよ。これじゃあ仕事になんねーだろうが!あぁ?どうすんだよ?どうしてくれんだよ?』
そういいながら三浦は義之に近付いてきた。
そのとき、三浦の後ろで安藤がよろよろ立ち上がっていた。
手にはナイフを持っていた。
『何が大事な社員だ?このクズ野郎!
散々こき使いやがって!
こんなときでもテメェは高見の見物ってか?
もうお前は終わりだぜ。もうじき警察が来る。
お前の社員だった俺が…お前を潰すために呼んだんだ。どうせ捕まるならテメェと刺し違えてやるぜ!』
安藤はそう言って三浦に向かってナイフを付き出した。
三浦は、あっさりとナイフを避けた。
『佐田! 逃げろ警察が来ちまうぞ!』
そう言って安藤は義之に車のキーを投げた。
『安藤さん…』
『バカ野郎!早く逃げろ!また刑務所行きてぇのか!』
安藤は転がっていた鉄パイプを拾い、三浦を睨み付けた。
義之は、安藤が投げた車のキーを拾い、竜一を抱えて車へと向かった。
『佐田!逃げられると思ってんのか?』
三浦が義之を睨み付けていた。
竜一を担いで白いライトバンへ向かう義之。
安藤は三浦を睨み付けていた。
『テメェも逃げられると思ってんのか?クズ野郎!』
安藤が義之を逃がすために三浦を自分に向けた。
白いライトバンの鍵を開けて、竜一を助手席に乗せてドアを閉めた。
その時駐車場の中で、銃声が二回響いた。
よろめきながらも義之が振り向くと、安藤が倒れるところだった。
そのすぐ後に、義之に向けて銃声と共に弾痕が助手席のドアに二つ開いた。
二つの銃弾のうち一発がドアを貫通して竜一の身体の中へ潜り込んだ。
義之はそれに気付かず、運転席に乗り込み車を急発進させてビルの地下駐車場を飛び出した。
ルームミラーに映る遠くのパトカーの赤色灯は、騒がしいサイレンと共に小さくなっていった。
『竜一!逃げられたぞ!俺達逃げられたぞ!このまま行けるとこまで行っちまおう!』
『よ…しゆ……き』
竜一は右手で義之の左腕を掴んだ。
『竜一、しっかりしろ!病院に連れてってやるからな!
子供の頃、二人でアフリカに行きたいってお前言ってたろ!
怪我治してよぉ…一生懸命働いてさぁ…金貯めて…
ちきしょう…痛てぇな…
俺達はこんなことでくたばるわけねえよな?
子供の頃の夢、叶えようぜ…
なぁ…竜一』
力強く義之の腕を掴んでいた竜一の手は、義之の腕を掴んだまま動かなくなった。
黄昏の国道の交差点の赤信号で義之は車を止めた。
身体に縛り付けた上着のポケットから携帯を取り出して119番に繋げた。
義之は竜一の名前を力なく呼び続けた。
信号が青に変わったが義之が運転するライトバンは進まなかった。
後ろの車のクラクションに混ざるパトカーのサイレンが鳴り響くなか、正面から照らす夕陽が、やけに赤く染まっていくのを義之は視界の片隅で見ていた。
終