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幸せ? 五徳に見出だそう…【雑記 名言 迷言 ?】

【五徳】

生きることは辛いもの

それでも人は幸せ探し

思いがけない出来事に

幸せ感じ辛さを感じ

生きる事への道理を問えば

理不尽な事も見えてくる…


人に媚売りゃ礼儀も過ぎて

愛が深けりゃ情脆く

義理も重けりゃ融通利かず

知恵が回れば嘘も上手い

人を信じりゃ騙される


何事も良い加減なら心地好い…
人の幸せ妬むべからず♪

人の幸せとか辛さなんて…
線が一本有るか無いかの違いだけ♪
雲泥の差はあるけどね💦
でも因果関係は否めないのであります。

辛いときには辛い道をそのまま進まず
草むら掻き分け自分で一本道を造れば
違う世界も見えてくる(*^^*)b…かも💦
アクマデモタトエデスd( ゚ε゚;)


ということで…

どもです(*´∇`)ノ♪

以前の記事でも書いた幸と辛。
幸に人偏を付けると人が手枷(手錠)を掛けられたイメージになります。

倖(こう)という漢字をばらして見てみると…

幸という字は、遠い昔の罪人に掛ける手枷(手錠)のイメージが文字になったものです。

倖とは人に手枷(手錠)を掛けるものになります。

手枷を掛けた罪人。
手枷を掛けられて身体丸めて倖(へつら)い手を着く罪人の「許して…」というへつらう姿から、執拗とか執行という言葉の【執】という字になったのであります。

それが倖(さいわい)というのなら…

恥を晒すのが幸せというのなら…

真性のマゾですよね(*ノ▽ノ)ワタシノコトカー♥

何故、倖がそういう意味なのか…

以前も調べましたが、再び調べました(*^^*)b


昔の罪人は悪いことをすれば、それはそれは残酷な刑が行われていたそうです。

両手両足をそれぞれ丈夫なロープで馬に縛り付け四方へ馬を鞭で叩いて走らせると…
どうなるか分かりますよね…アーナッテコーナッテ…
ヽ(ヽ゚ロ゚)ヒイィィィ!

他にも残酷な刑があったりした当時は、手錠を掛けられるだけの刑ならその方が良いわけで、良かった…嬉しい…幸せ…となる説が一つ。

もう一つは、やはり罪人として手枷を掛けられた者が、手枷が緩くて外れたことで、逃げることができて超ラッキー😆嬉しい( ≧∀≦)ノキャッホー♪シアワセー♪

そんな思いがけない幸運が幸せとなった説があります。

どちらにしても倖という字は、人に手枷をかける事を現していることになります。

そういう幸運や嬉しいことが今の時代の
幸せという言葉になったようです。

因みに、幸と辛の字はよく似てるけど辛は
手枷とはとても深い因果関係があります。

人生辛いときもあれば幸せなときもある。現代風に言えばバイオリズム?(*^^*)

人生楽ありゃ苦もあるさ♪と介さん格さんも歌ってた!
イヨッ♪
「あらご隠居さまどちらへ?」
「これから罪人成敗に行くとこじゃ。介さん格さん凝らしめてやりなさい」
「はっ!」
「はっ!」
「えぇい! 控え控え控え、控えおろう!」
介さん格さんの活躍により罪人に手枷が掛けられちゃったらどうしようもない!
手枷が取れない抜けないもう知らないっ!😠💨フンッ!
てことで罪人はしょぼくれ意気消沈だ!
ご老公の御前にて厳しく始まる裁きの執行。
しかしどういうわけか、手枷が緩いことに気付いた罪人。
手枷外して隙を見て、寅さん風に一目散に逃げ出す罪人。

「ざまぁみやがれ、こんちくしょー!(ノ≧▽≦)ノ♪」
「ここまで来やがれ屁のカッパ(`ω´)」
と意気揚々と逃げきる罪人。ヤッタネ♪
こんな幸運、そうそうあるもんじゃぁない。
辛いお仕置きの直前で幸いにも逃げられた罪人。

おっとごめんよそこの兄ちゃん、道開けてくれてありがとう!
そこのお姉ちゃん、しかめっ面してたら七福神も逃げちゃうよ?
よう、旦那! 落ち込んじゃってどうしたの?
辛いことがあってもよ、幸せ探しゃあ何処にでもあるもんだぜ?それからな、幸せってのは自分で探すもんでもあるんだよ。それによ、辛いことだって歩いてりゃ風が吹き飛ばしてくれるってもんよ。
落ち込んでる町人を励ましながら逃げる罪人。

その頃…
今度は介さん格さんがご隠居に怒られ意気消沈。

そして寅さんかぶれの罪人の幸福感は都に知れ渡り、辛いことの一歩手前で思わぬ幸福に恵まれたことから「辛いときは幸せの一歩手前だぜ!」と言う迷言が、ご老公を負かした罪人の言葉として広く伝わっていったそうな。
「辛い時は幸せの一歩手前だぜ!辛くても諦めるんじゃねぇ!」という罪人の言葉に介さん格さんも、後に慰められたという。(笑)

そんな辛いという字に、一歩手前の一を辛の上に一本線を引いて幸せという文字になったそうな(笑)と云う、半分は私が創った説と…(笑)

辛は昔の刺青を彫るときに使う道具の形から出来た文字という説もありまして…。
刺青を彫るときは痛いから、その痛みを我慢する事から刺青を彫るときに使う道具が文字になって辛いという言葉になったという説もあるのですが…
手枷と彫り物の道具は似てるの?という疑問が湧きます💦
もしかしたら、刺青掘るときは手枷をして痛くて暴れるのを防ぐとか?
それでも痛いのに彫る…?
やっぱり昔の人はマゾだったのでしょうか…
マゾカクテイ(*^-^)
私は前者の罪人の説を推します(笑)


冒頭の言葉の中に伊達政宗の名言を、私なりに解りやすくはしょって書いた五徳『仁・義・礼・智・信』です。

「仁」過ぎれば 弱くなる
「義」過ぎれば 固くなる
「礼」過ぎれば 諂(へつら)いとなる
「智」過ぎれば 嘘をつく
「信」過ぎれば 損をする

 伊達政宗

現代にも通用する名言ですよね♪



そんなことを思いつつ
終わりにしたいと思います♪

今日も最後まで読んでいただき
ありがとうございました。


辛く貧しい二人の夢は
愛の幸せ育みながら
生きる幸せ探すこと
耐えて忍んでいつかはきっと
枯れたすすきに花が咲く…
シンダラアカン(;ω;`*)

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