東日本大震災
平成 23年 3月 11日 金曜日。この日は青山でヨガを行っていた。午前中のヨガを終えると、母と私はそれぞれの予定もあって、そそくさと会場を後にした。自宅に戻り、妻とテレビを見ていると、突然の大きな地震に見舞われた。
その長く大きな横揺れは、時化(しけ)た海に揺られている船のようにさえ感じた。とっさにどこか遠くで大変な事態になっているな…と直感できた。慌てて外に出てみると、電柱や信号機が今まで見たことがないような揺れ方をしていた。少しおさまってからテレビをつけると大津波警報が発令されていた。津波の到着予定時間が伝えられ、しばらくすると三陸や仙台の海岸に物凄い津波が押し寄せる中継映像が映し出された。それはとても恐ろしい戦慄の光景だった。もうこれ以上記述するまでもないが、東日本大震災である。
すぐに東北の会員たちが気になった。特に地震直後に発生した福島の原発事故による放射能被害は、目に見えない被害への対応であり、不完全な情報にもやきもきさせられた。そして、この放射能汚染は関東へも広がり、まったく他人事ではなくなってしまった。
事故後、会員から「薬王石は放射能に効かないのか?」と尋ねられ、父は「黒石(薬王石のこと)は放射能も消せるよ!」と即答していた。私は「また確認も取れていないことを平気で話してるな…」と直感的な父の言動にまたアレルギーを持ったのだが、この展開は、その後の貴重な出会いの布石となった。
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新宿のホテルにて
3月11日から数ヶ月。佐藤会長の紹介で、薬王石を使用した放射能対策を研究していると言う、神内先生にお目にかかった。小雨降る、少し寒い日だった。新宿のホテルのラウンジでその会合は始まった。諸先輩方が会話を進める中、私は神内先生の話にとても興味を惹かれていった。それはこれまで父がしてきた理論構築に対して、神内先生が上手に聞き返しながら、父の矛盾点をつまびらかにし、重要な事項を整頓しているように見えたからだった。初めて父に対して理路整然とやり取りしている人物を見て、久しぶりに気持ちが湧いていた。
ちなみに私は、神内先生に何某気に留めてもらえたらと、その時携えていた『唯識でみる般若心経』という本を、あえてテーブルに置いていたのだが、これは結果的に神内先生との接点の一つとなり、その後のやり取りのきっかけになった。そして神内先生とのメールは始まった。
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神内先生とのメール
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この記事につきまして
45歳の平成二十八年十月、私はそれまでの半生を一冊の自叙伝にまとめました。タイトルは「自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅」としました。この「自然に生きて、自然に死ぬ」は 戦前の首相・広田弘毅が、東京裁判の際、教誨帥(きょうかいし)である仏教学者・花山信勝に対し発したとされる言葉です。私は 20代前半、城山三郎の歴史小説の数々に読み耽っておりました。特に 広田弘毅 を主人公にした「落日燃ゆ」に心を打たれ、その始終自己弁護をせず、有罪になることでつとめを果たそうとした広田弘毅の姿に、人間としての本当の強さを見たように思いました。自叙伝のタイトルは、広田弘毅への思慕そのものでありますが、私がこれから鬼籍に入るまでの指針にするつもりで自らに掲げてみました。
記事のタイトル頭のカッコ内数字「 例(1-1)」は「自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅」における整理番号です。ここまでお読みくださり本当にありがとうございます。またお付き合い頂けましたら嬉しく思います。皆さまのご多幸を心よりお祈り申し上げます。
タイトル画像は miyuchuchouさん より拝借しました。
心から感謝申し上げます。ありがとうございます。